>不走者の関係者?
投稿者: arasiyamaganta 投稿日時: 2005/04/24 23:28 投稿番号: [23034 / 95793]
そうだったんですか??!!
まだまだ勉強足りないな。
教えてくださってありがとうございます。
まぁ天声人語というのはそこからきてるんですね。
戦後右派が左派に転化するのは良くあったようですからね。どちらにしろ自分の頭で考えないで人の意見を鵜呑みにするだけだという点では変らないですが。
ほんとうに変れば変るものですね。
知っている人で、戦時中は天皇万歳だったのが、一転して天皇は人間で正しいのは社会主義だと信じて、それから経済成長を遂げてリッチになると、資本主義が正しいのだという人がいました。一応哲学者だったらしいですが、本当に自分の考えが無い人だなと感じてました。全部何とか主義とか何とか論の受け売りだけでしたから。
ちなみに産経は戦後は左派だったらしいですな。
産経新聞の歴史
大阪で新聞配達をしていた前田久吉が、配達先の川口松太郎(作家・「鶴八鶴次郎」「明治一代女」で第1回直木賞受賞。大映映画専務。妻は女優の三益愛子。政財界に知人が多くいた)に可愛がられ、新聞販売店店主、南大阪新聞創刊(現在の大阪新聞)、日本工業新聞創刊。戦時新聞統制令により愛知以西の業界紙33社を統合し、㈱産業経済新聞となる。このとき東は中外新報、現在の日本経済新聞となった。戦後、福沢諭吉が創刊した明治・大正時代のトップ新聞であった時事新報の流れを汲む東京の世界日報社の再建を頼まれたが再建ならず、優秀な記者を残して東京産経として印刷開始。目先の利く前田久吉は、「テレビの時代がやってくる」と、東京タワーの建設運営に力を入れ過ぎ、産経の経営悪化。日本共産党など左翼系新聞になりかけたので、主力銀行の住友の堀田庄三が財界に働きかけ、桜田武(日清紡社長)、永野重雄(富士製鉄社長)、水野成夫(共産党から鞍替えして財界のマスコミ対策委員長。国策パルプ社長)らが、評論家の稲葉修三に社長を、朝日の論説委員の土屋清に編集を頼み、産経は再建された。その後、水野成夫(文化放送社長)、ついで鹿内信隆ニッポン放送専務も産経の社長になり、フジテレビを創った。
これは メッセージ 23004 (moon_605 さん)への返信です.
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