1974年の東南アジアの反日デモを、
投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/04/22 12:26 投稿番号: [18702 / 95793]
振り返ってみると、↓
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スハルト体制の変遷を振り返ると二期目の1974年の1月15日に生じたマラリ事件(注1)はス
ハルト支配への揺さぶりであり、この危機を乗り越えたことでスハルト体制は強化され、インド
ネシア内外を問わず誰も予想しなかった長期政権の礎となった。
マラリ事件は日本の当時の田中角栄首相が国賓として東南アジアを訪問しジャカルタに到着
した際に起きた。日本のオーバープレゼンスが東南アジア全体に反日感情を醸し出しており、
田中首相一行はすでにタイのバンコックでも反日デモの洗礼を受けていた。しかしジャカルタ
の様相ははるかに深刻であった。
反日のスローガンのデモが町にあふれていた14日夕方、田中首相のハリム空港到着ととも
に騒然とした状況になり、翌15日に頂点となりジャカルタ中央のタムリン通にある日本大使館
はデモ隊の投石を受け、日章旗が引きずり降ろされた。
学生が主導する反日デモの抗議運動に便乗した暴徒がチャイナタウンの店の掠奪、放火を
行う暴動となった。1000台余りの日本製自動車が破壊され、トヨタ・アストラ社(→519)の本社
ビルが放火された。首都機能が麻痺する暴動となり、死者8人、負傷者55名、逮捕者820名
をだした。
⇒マラリ事件
⇒マラリ事件
国民の期待で出発したスハルト政権であったが、その後、政治における民主主義の限界、開
発政策による経済発展の成果の恩恵の華僑・華人への集中、外国資本(その代表が日本)の
横行に対する苛立ちと反感から新秩序(→389)に対する欲求不満のガスが充満していた。日
本の田中角栄首相(注2)の訪問がそのガスにマッチの火をつける契機となった。
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page039.html−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本経済のオーバープレゼンスがあったからだけど、国内の独裁体制に対する不満があったことと、
左翼の幼稚な経済理論・植民地理論が一般に信じられていたことが大きな理由だと思います。
考えてみれば、今の中国のデモにもいくぶん似た面がありますね。
もっとも、中国・韓国の場合は、嘘だらけの捏造反日歴史教育も、大きな理由でしょう。
これは メッセージ 18424 (anpontan20000 さん)への返信です.
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