市場規模がぜんぜん違うんだけど。
投稿者: arasiyamaganta 投稿日時: 2005/04/20 22:12 投稿番号: [16532 / 95793]
まぁあなたが拠点を移す権限も論理も実行力も無いのは明白ですが。ベトナムが好きなんですか?タイとかの方がいいのでは?ベトナムは親日であっても親中でもありますよ?…そういう知識は無いだろうからいっても無駄かな。中国市場撤退=東アジアでの敗北なんだよね。
[1990年代の日本産業と東南アジア−自動車産業を中心に−]
東南アジアは日本企業の「聖域」、日本製造業の「独壇場」であった。1990年代半ばにそうした状況がかわりつつある。欧米企業の進出と韓国、台湾などのNIES企業の参入による国際競争が激化したからである。タイでは韓国現代自動車が乗用車部門に参入した。商用車の日本企業シェアは相変わらず98%を占めているが、乗用車部門で現代が4.6%シェアを確保したため日本企業は一挙に10ポイント以上下落して70.5%となった。インドネシアでは96年に日本メーカは商用車で96.6%シェアである。やはり韓国の現代の進出で日本車全体は93年の83.4%から48.8%に落ち込んだ。こうした状況に日本企業も必死で対抗している。ホンダを例にとってみよう。タイを四輪車生産の拠点、インドネシアを二輪車生産拠点とした。タイに4社、マレーシアに2社、インドネシアに2社、フィリピンに3社の生産拠点を有し、シビックとアコードを組み立てている。96年タイでアジア・カーを生産、96年中にアジア・カーのシティを、台湾、インドネシア、マレーシア、フィリピン、パキスタンで、97年にはインドで生産を開始した。本田はシティの生産のために日本から同社系列の15社をタイへ呼び寄せた。エンジンカバーやブレーキペダルのユタカ技研、樹脂、金型の森六、クラッチ部品のエフ・シー・シー、駆動系部品のエフティック、ステアリングホイールや内装品の東京シート、カーエアコン部品のサンデンなど。かつて60年代に味の素が圧倒的シェアを誇ったが韓国・台湾の類似メーカが低価格で攻勢をかけてきたとき、味の素は日本からの輸出を現地素材による現地生産に切り替えて市場を取り戻した。自動車でも同じ方法が追求されたのである。
[日本部品メーカの進出」
日系部品メーカの生産拠点がアジア展開するのは1986年以降90年までの時期。なかでもタイへの進出はめざましく、全体の半分を占める。タイがASEANにおける日本の部品メーカの拠点となる理由は、ここがASEAN最大の自動車市場だったことにある。年間50万台の自動車販売実績を持つタイ市場はいうまでもなくASEAN最大。タイはASEAN自動車産業の中心であり、日本企業にとっては「絶対“死守”しなければならぬ」(『週刊金属』 No.73 1996年)“要”なのである。
[90年代の中国市場争奪戦]
中国は90年代に入って「開放政策」を一段と推し進めた。それに応じて、日米欧資本、さらに、韓国、台湾、シンガポールの資本が中国市場に殺到した。最先端エレクトロニクスの固まりといわれる携帯電話では、中国が世界最大の市場になるのは時間の問題だといわれている。中国政府は99年9月この携帯電話分野で60%以上の輸出と50%以上の部品現地調達という外資規制を打ち出した。これに伴い、各社は生産拠点の中国シフトを一挙に加速させ、松下電器を筆頭に中国での圧倒的シェアをもつ日本企業も大増産に乗り出した。
[製造業全般で生産拠点の中国シフト]
最先端エレクトロニクスだけでなく、製造業全体で広範囲にわたって、生産拠点の中国シフトが90年代中頃から加速している。90年と99年で比較すると、中国に進出した日系企業数(現地法人数)は3.3倍、香港を除けば約8倍である。この間、東アジア全域では約2倍であり、全世界では約1.5倍である。日本企業の対中投資額は、89年に4.38億ドル、92年に10億ドル台になり、94年25.65億ドル、95年44.73億ドルと飛躍的に増大した。その後アジア危機で低迷したが、米・欧に匹敵する投資額を維持している。対中国直接投資累計(残高)では98年末時点で、米・英に次いで日本が第三位である。それにドイツが加わって、激しい投資合戦が行われている。自動車産業ではドイツがトップを走っている。
現在、中国の市場規模は、日本を除く東アジア全体の約1/2である。97〜98アジア危機によっても、中国市場争奪戦は少しトーンダウンした程度で、アジア危機以降、中国のWTO加盟を前にして、競争はいっそう激化している。日本企業は、中国以外の東アジアを犠牲にしてでも対中国投資を優先させている。中国市場争奪戦での敗北は、東アジアでの敗北、したがって世界での敗北を意味するからである。
[1990年代の日本産業と東南アジア−自動車産業を中心に−]
東南アジアは日本企業の「聖域」、日本製造業の「独壇場」であった。1990年代半ばにそうした状況がかわりつつある。欧米企業の進出と韓国、台湾などのNIES企業の参入による国際競争が激化したからである。タイでは韓国現代自動車が乗用車部門に参入した。商用車の日本企業シェアは相変わらず98%を占めているが、乗用車部門で現代が4.6%シェアを確保したため日本企業は一挙に10ポイント以上下落して70.5%となった。インドネシアでは96年に日本メーカは商用車で96.6%シェアである。やはり韓国の現代の進出で日本車全体は93年の83.4%から48.8%に落ち込んだ。こうした状況に日本企業も必死で対抗している。ホンダを例にとってみよう。タイを四輪車生産の拠点、インドネシアを二輪車生産拠点とした。タイに4社、マレーシアに2社、インドネシアに2社、フィリピンに3社の生産拠点を有し、シビックとアコードを組み立てている。96年タイでアジア・カーを生産、96年中にアジア・カーのシティを、台湾、インドネシア、マレーシア、フィリピン、パキスタンで、97年にはインドで生産を開始した。本田はシティの生産のために日本から同社系列の15社をタイへ呼び寄せた。エンジンカバーやブレーキペダルのユタカ技研、樹脂、金型の森六、クラッチ部品のエフ・シー・シー、駆動系部品のエフティック、ステアリングホイールや内装品の東京シート、カーエアコン部品のサンデンなど。かつて60年代に味の素が圧倒的シェアを誇ったが韓国・台湾の類似メーカが低価格で攻勢をかけてきたとき、味の素は日本からの輸出を現地素材による現地生産に切り替えて市場を取り戻した。自動車でも同じ方法が追求されたのである。
[日本部品メーカの進出」
日系部品メーカの生産拠点がアジア展開するのは1986年以降90年までの時期。なかでもタイへの進出はめざましく、全体の半分を占める。タイがASEANにおける日本の部品メーカの拠点となる理由は、ここがASEAN最大の自動車市場だったことにある。年間50万台の自動車販売実績を持つタイ市場はいうまでもなくASEAN最大。タイはASEAN自動車産業の中心であり、日本企業にとっては「絶対“死守”しなければならぬ」(『週刊金属』 No.73 1996年)“要”なのである。
[90年代の中国市場争奪戦]
中国は90年代に入って「開放政策」を一段と推し進めた。それに応じて、日米欧資本、さらに、韓国、台湾、シンガポールの資本が中国市場に殺到した。最先端エレクトロニクスの固まりといわれる携帯電話では、中国が世界最大の市場になるのは時間の問題だといわれている。中国政府は99年9月この携帯電話分野で60%以上の輸出と50%以上の部品現地調達という外資規制を打ち出した。これに伴い、各社は生産拠点の中国シフトを一挙に加速させ、松下電器を筆頭に中国での圧倒的シェアをもつ日本企業も大増産に乗り出した。
[製造業全般で生産拠点の中国シフト]
最先端エレクトロニクスだけでなく、製造業全体で広範囲にわたって、生産拠点の中国シフトが90年代中頃から加速している。90年と99年で比較すると、中国に進出した日系企業数(現地法人数)は3.3倍、香港を除けば約8倍である。この間、東アジア全域では約2倍であり、全世界では約1.5倍である。日本企業の対中投資額は、89年に4.38億ドル、92年に10億ドル台になり、94年25.65億ドル、95年44.73億ドルと飛躍的に増大した。その後アジア危機で低迷したが、米・欧に匹敵する投資額を維持している。対中国直接投資累計(残高)では98年末時点で、米・英に次いで日本が第三位である。それにドイツが加わって、激しい投資合戦が行われている。自動車産業ではドイツがトップを走っている。
現在、中国の市場規模は、日本を除く東アジア全体の約1/2である。97〜98アジア危機によっても、中国市場争奪戦は少しトーンダウンした程度で、アジア危機以降、中国のWTO加盟を前にして、競争はいっそう激化している。日本企業は、中国以外の東アジアを犠牲にしてでも対中国投資を優先させている。中国市場争奪戦での敗北は、東アジアでの敗北、したがって世界での敗北を意味するからである。
これは メッセージ 16508 (twbhjjk さん)への返信です.
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