猟奇的殺人集団
投稿者: sukiyakisukidabe 投稿日時: 2005/04/20 17:27 投稿番号: [16019 / 95793]
残虐目を覆う通州事件
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孫・・・通州事件って何ですか。
私・・・通州事件というのはね、蘆溝橋事件から三週間後の七月二十九日に、北京の近くの通州で起きた中国兵による大規模な日本人虐殺事件で、二百数十名の日本の子女達が、見るも無残に虐殺された事件だよ。
孫・・・へー、そんなことがあったんですか、そこに日本軍は居なかったんですか。
私・・・居たことはいたんだ。しかし偶々守備隊の大部分が別の場所へ戦闘に行っていて、通州にはごく僅かの留守部隊しか残っていなかった。通州には親日的な殷汝耕氏を委員長とする自治委員会が昭和十年十一月から出来ていて、中国の保安隊も形の上ではその隷下にあったわけだから、日本軍も或る程度安心していたのではないかな。それが日本軍の手薄を知って突然寝返ったわけだ。
孫・・・飼い犬に手を咬まれたというところですね。
私・・・飼い犬とまでは行かなかったかも知れないが、とに角多勢に無勢、日本軍は死力を尽して戦ったものの、それ以上は何も出来なかった。その間に殷汝耕氏は拉致されるは、日本の子女達は虐殺されるは・・・・で、大変なことになってしまったわけだ。
孫・・・虐殺って、どんなことをしたんですか。
私・・・うん、あんまり凄いんで、言うのも憚られるんだがね。女という女は全部裸にされて辱しめを受け、その上、局所を切り取られたり、箒を押し込まれたりしていたそうだ。そのほか鼻に牛のように針金を通された子供や、目玉をくり抜かれた人など、見るも無修な情況だったようだ。
孫・・・よくそんなことが出来ますね。
私・・・中国兵には時々、そういう猟奇的な殺人が集団的に見られるようだね。日本の兵隊はそういう殺し方はまずしない。一刀両断バサッと斬るとか、銃剣で一突きで殺すとか、ホラ、テレビで見る昔の戦争のやり方さ。そのへんが国民性の違いかも知れないがね。とに角ひどい殺され方をしたわけさ。
孫・・・そんなひどい殺され方をして、日本は怒ったでしょうね。
私・・・そうだよ。日本の世論は轟々として悪逆無道の中国討つべしという声が高かった。しかし、それでも日本はまだ不拡大方針を変えなかった。そこへ今度は、上海で大山海軍中尉らが虐殺されるという事件が八月九日に起き、それをきっかけとして八月十三日、遂に上海事変が勃発した。中国は全国総動員令を下して日本と全面的に戦う姿勢を示し、日本もやむを得ずこれに呼応して戦うことになったのだよ。
孫・・・そしてどんどん戦線が拡張して行ったのですね。
私・・・当時蒋介石政権の首都は南京にあった。だから南京さえ落せば、戦争は終ると考えていた日本人も随分居たと思うね。しかし蒋介石の国民政府は、南京が陥落する前に主だった人達は皆南京を放棄し、首都を重慶に移して徹底抗戦を唱えた。
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孫・・・通州事件って何ですか。
私・・・通州事件というのはね、蘆溝橋事件から三週間後の七月二十九日に、北京の近くの通州で起きた中国兵による大規模な日本人虐殺事件で、二百数十名の日本の子女達が、見るも無残に虐殺された事件だよ。
孫・・・へー、そんなことがあったんですか、そこに日本軍は居なかったんですか。
私・・・居たことはいたんだ。しかし偶々守備隊の大部分が別の場所へ戦闘に行っていて、通州にはごく僅かの留守部隊しか残っていなかった。通州には親日的な殷汝耕氏を委員長とする自治委員会が昭和十年十一月から出来ていて、中国の保安隊も形の上ではその隷下にあったわけだから、日本軍も或る程度安心していたのではないかな。それが日本軍の手薄を知って突然寝返ったわけだ。
孫・・・飼い犬に手を咬まれたというところですね。
私・・・飼い犬とまでは行かなかったかも知れないが、とに角多勢に無勢、日本軍は死力を尽して戦ったものの、それ以上は何も出来なかった。その間に殷汝耕氏は拉致されるは、日本の子女達は虐殺されるは・・・・で、大変なことになってしまったわけだ。
孫・・・虐殺って、どんなことをしたんですか。
私・・・うん、あんまり凄いんで、言うのも憚られるんだがね。女という女は全部裸にされて辱しめを受け、その上、局所を切り取られたり、箒を押し込まれたりしていたそうだ。そのほか鼻に牛のように針金を通された子供や、目玉をくり抜かれた人など、見るも無修な情況だったようだ。
孫・・・よくそんなことが出来ますね。
私・・・中国兵には時々、そういう猟奇的な殺人が集団的に見られるようだね。日本の兵隊はそういう殺し方はまずしない。一刀両断バサッと斬るとか、銃剣で一突きで殺すとか、ホラ、テレビで見る昔の戦争のやり方さ。そのへんが国民性の違いかも知れないがね。とに角ひどい殺され方をしたわけさ。
孫・・・そんなひどい殺され方をして、日本は怒ったでしょうね。
私・・・そうだよ。日本の世論は轟々として悪逆無道の中国討つべしという声が高かった。しかし、それでも日本はまだ不拡大方針を変えなかった。そこへ今度は、上海で大山海軍中尉らが虐殺されるという事件が八月九日に起き、それをきっかけとして八月十三日、遂に上海事変が勃発した。中国は全国総動員令を下して日本と全面的に戦う姿勢を示し、日本もやむを得ずこれに呼応して戦うことになったのだよ。
孫・・・そしてどんどん戦線が拡張して行ったのですね。
私・・・当時蒋介石政権の首都は南京にあった。だから南京さえ落せば、戦争は終ると考えていた日本人も随分居たと思うね。しかし蒋介石の国民政府は、南京が陥落する前に主だった人達は皆南京を放棄し、首都を重慶に移して徹底抗戦を唱えた。
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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