侵略国日本は国際社会の前科者

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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき14

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/01 21:57 投稿番号: [8355 / 8458]
動画「ルーズベルト陰謀論をぶっとばせ」に対する反論

http://www.youtube.com/watch?v=2E80scWE84M

フライングタイガース(Flying Tigers)は日中戦争時に中国国民党軍を支援したアメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group; AVG)の愛称であるが、戦闘機(100機)やパイロットは米国政府が用意しており、実質、義勇軍の名を借りた米国の対日戦闘部隊であった。

空軍参謀クレア・L・シェンノートの登場
中華民国の蒋介石と宋美齢、アメリカ陸軍のスティルウェル推将1930年代後半、日本軍の脅威を感じていたこの頃に蒋介石は自国の軍備状況が他国に比べて遅れていることから、外国の新型武器・兵器の購入を行い、さらにアメリカなどの友好国から数人の外国人軍事顧問を雇い入れ軍備の近代化を図った。

盧溝橋事件の数ヶ月前にあたる1937年5月1日、アメリカのルイジアナ州出身の陸軍航空隊大尉であったクレア・L・シェンノートもこの時、蒋介石の妻で国民党航空委員会秘書長であった宋美齢の呼びかけにより中華民国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして国民党政府に雇い入れられた。当時48歳であった彼は健康上の理由により軍では退役寸前であったが、蒋介石は空戦経験の豊富な彼を中華民国空軍の航空参謀長とし階級も大佐としての待遇を持って国民党政府に招き入れた。月給1000ドル、現代日本価格1200万円であった[1]。

着任したシェンノートはまず重慶の基地を見回り中華民国内を視察、その間もシェンノートはいかに迫りつつある日本軍航空隊を退けるかを思案した。そして1937年、それまで爆撃機を主軸に活動していた中華民国空軍に対しシェンノートは蒋介石に「日本軍航空隊に対し中国軍は優れた戦闘機100機とそれを操縦する優れたパイロットを持つことで、中華民国空軍はこの脅威を退けることが出来るでしょう」とのアドバイスを行っている。この意見は蒋介石に承認され、アメリカ合衆国と協議の結果、承認された。

派兵計画は当初、大統領直属の官僚であるLauchlin Currieが指揮し、資金融資に関してもフランクリン・D・ルーズベルト大統領の友人であるトミー・コルコランが作り上げたワシントン中国援助オフィスを経由して行うといった形をとった。また中立上の立場から直接の軍事援助を行わず、中国国民党軍が資金を使い部隊を集める形式を取った。1940年の夏にシェンノートは中華民国空軍増強の目的で優れたパイロットを集めるためにアメリカ合衆国に一時帰国した。
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