広島原爆投下のつづき2
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/06/14 01:47 投稿番号: [8257 / 8458]
▽広島が原爆投下目標に選ばれた理由▽
1945(昭和20)年春から、アメリカは投下目標都市の検討を始めました。投下目標は、原爆の効果を正確に測定できるよう、直径3マイル(約4.8km)以上の市街地を持つ都市の中から選び、空襲を禁止しました。7月25日には目標都市の広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに対する投下命令を下しました。広島を第1目標とする命令を出したのは、8月2日。それは目標都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思っていたためです。
また、終戦までに日本の主要都市は米軍の空襲でほとんど壊滅状態でした。そのなかで、広島はまだ決定的な被害を受けていませんでした。広島が原爆投下の目標に選ばれた理由には、次の2点も考えられます。
・都市の大きさや山に囲まれた地形が、原爆の破壊力を探るのに適していたため。広島はまだ空襲を受けておらず、原爆の威力を確認しやすかった。
・広島には軍隊、軍事施設、軍需工場が集中しており、それらがまだ破壊されずに残っていた。8月6日、広島の天気は晴れ。広島の運命は決まりました。
①入念に行われた投下目標の検討
投下目標は、軍人と科学者で構成する目標検討委員会で、軍事的観点から検討されました。1945(昭和20)年4月27日の第1回会議で目標地域の選定基準が決まり、17地域が研究対象として選ばれました。その後、投下目標の選定は、爆風で効果的に損害を与えることができるなどの条件で進められました。5月11日の第2回会議で、京都、広島、横浜、小倉の4つの目標が選ばれました。
②投下目標都市への空襲の禁止
アメリカ軍による日本本土への本格的な空襲は、1944(昭和19)年11月から始まりました。翌年3月からは、東京など大都市への無差別爆撃が始まりました。5月28日には、原爆の効果を正確に測定できるよう、同規模の都市が空襲を受ける中、投下目標都市に対する空襲が禁止されました。
③警告無しの使用の決定
アメリカのトルーマン大統領の承認の下、19455(昭和20)年5月に暫定委員会が設置されました。6月の会議で、原爆の使用について、「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと決められました。これに対し開発に携わった科学者の一部は、無警告の原爆投下に反対しました。
④原爆の模擬爆弾の投下
原爆はそれまでの爆弾と投下方法が異なるため、アメリカ国内の砂漠などで、繰り返し投下訓練が行われました。さらに実戦面の訓練として、地理に慣れ、目標へ確実に投下するため、1945(昭和20)年7月から8月にかけて目標都市の周辺地域に原爆の模擬爆弾(通称「パンプキン」)を投下しました。
⑤第1目標に選ばれた広島
原爆の投下命令は、1945(昭和20)年7月25日付で発令されました。それには、8月3日ごろ以降、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに原爆を投下するよう記されていました。その後、新潟を除外し、8月2日付で、攻撃日を8月6日、第1目標は「広島市街地工業地域」とする命令が出されました。これは、目標都市の中で唯一、広島に連合国軍の捕虜収容所がないと思われていたからです。
⑥広島の運命を決定した好天
原爆投下は、当時最も信頼された目視で行うこととされていました。1945(昭和20)年8月6日未明、マリアナ諸島のテニアン島から気象観測機が広島、小倉、長崎に向かい、その後原爆を搭載した「エノラ・ゲイ」と科学観測機、写真撮影機の計3機のB29が離陸しました。第1目標が好天との連絡を受けた「エノラ・ゲイ」は、広島に向かいました。照準点は市内中心部にあるT字型の相生橋。午前8時15分に投下された原爆は、相生橋の南東約300メートルにある島病院の上空約600メートルでさく裂しました。
▽原爆投下目標にされた都市▽
<投下目標の変遷(1945(昭和20)年)>
4月27日 投下目標の研究対象として、東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保の17地域を選定
5月11日 京都、広島、横浜、小倉を選定
5月28日 京都、広島、新潟に対し空襲を禁止
6月14日 小倉、広島、新潟を選定
7月25日 8月3日ごろ以降、速やかに広島、小倉、新潟、長崎のいずれかへ原爆を投下する命令
8月 2日 8月6日に投下する命令。優先順位は広島、小倉、長崎
8月 6日 広島へ原爆投下(ウラン爆弾)
8月 8日 8月9日に投下する命令。優先順位は小倉、長崎
8月 9日 長崎へ原爆投下(プルトニウム爆弾)
1945(昭和20)年春から、アメリカは投下目標都市の検討を始めました。投下目標は、原爆の効果を正確に測定できるよう、直径3マイル(約4.8km)以上の市街地を持つ都市の中から選び、空襲を禁止しました。7月25日には目標都市の広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに対する投下命令を下しました。広島を第1目標とする命令を出したのは、8月2日。それは目標都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思っていたためです。
また、終戦までに日本の主要都市は米軍の空襲でほとんど壊滅状態でした。そのなかで、広島はまだ決定的な被害を受けていませんでした。広島が原爆投下の目標に選ばれた理由には、次の2点も考えられます。
・都市の大きさや山に囲まれた地形が、原爆の破壊力を探るのに適していたため。広島はまだ空襲を受けておらず、原爆の威力を確認しやすかった。
・広島には軍隊、軍事施設、軍需工場が集中しており、それらがまだ破壊されずに残っていた。8月6日、広島の天気は晴れ。広島の運命は決まりました。
①入念に行われた投下目標の検討
投下目標は、軍人と科学者で構成する目標検討委員会で、軍事的観点から検討されました。1945(昭和20)年4月27日の第1回会議で目標地域の選定基準が決まり、17地域が研究対象として選ばれました。その後、投下目標の選定は、爆風で効果的に損害を与えることができるなどの条件で進められました。5月11日の第2回会議で、京都、広島、横浜、小倉の4つの目標が選ばれました。
②投下目標都市への空襲の禁止
アメリカ軍による日本本土への本格的な空襲は、1944(昭和19)年11月から始まりました。翌年3月からは、東京など大都市への無差別爆撃が始まりました。5月28日には、原爆の効果を正確に測定できるよう、同規模の都市が空襲を受ける中、投下目標都市に対する空襲が禁止されました。
③警告無しの使用の決定
アメリカのトルーマン大統領の承認の下、19455(昭和20)年5月に暫定委員会が設置されました。6月の会議で、原爆の使用について、「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと決められました。これに対し開発に携わった科学者の一部は、無警告の原爆投下に反対しました。
④原爆の模擬爆弾の投下
原爆はそれまでの爆弾と投下方法が異なるため、アメリカ国内の砂漠などで、繰り返し投下訓練が行われました。さらに実戦面の訓練として、地理に慣れ、目標へ確実に投下するため、1945(昭和20)年7月から8月にかけて目標都市の周辺地域に原爆の模擬爆弾(通称「パンプキン」)を投下しました。
⑤第1目標に選ばれた広島
原爆の投下命令は、1945(昭和20)年7月25日付で発令されました。それには、8月3日ごろ以降、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに原爆を投下するよう記されていました。その後、新潟を除外し、8月2日付で、攻撃日を8月6日、第1目標は「広島市街地工業地域」とする命令が出されました。これは、目標都市の中で唯一、広島に連合国軍の捕虜収容所がないと思われていたからです。
⑥広島の運命を決定した好天
原爆投下は、当時最も信頼された目視で行うこととされていました。1945(昭和20)年8月6日未明、マリアナ諸島のテニアン島から気象観測機が広島、小倉、長崎に向かい、その後原爆を搭載した「エノラ・ゲイ」と科学観測機、写真撮影機の計3機のB29が離陸しました。第1目標が好天との連絡を受けた「エノラ・ゲイ」は、広島に向かいました。照準点は市内中心部にあるT字型の相生橋。午前8時15分に投下された原爆は、相生橋の南東約300メートルにある島病院の上空約600メートルでさく裂しました。
▽原爆投下目標にされた都市▽
<投下目標の変遷(1945(昭和20)年)>
4月27日 投下目標の研究対象として、東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保の17地域を選定
5月11日 京都、広島、横浜、小倉を選定
5月28日 京都、広島、新潟に対し空襲を禁止
6月14日 小倉、広島、新潟を選定
7月25日 8月3日ごろ以降、速やかに広島、小倉、新潟、長崎のいずれかへ原爆を投下する命令
8月 2日 8月6日に投下する命令。優先順位は広島、小倉、長崎
8月 6日 広島へ原爆投下(ウラン爆弾)
8月 8日 8月9日に投下する命令。優先順位は小倉、長崎
8月 9日 長崎へ原爆投下(プルトニウム爆弾)
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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