中国文化大革命
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/05/08 20:54 投稿番号: [8230 / 8458]
1965年に毛沢東が自らの復権などを目的に始め、以後約10年間続いた権力闘争。
修正主義・市場解放勢力の反動に対する修正運動となっているが、実体は、大躍進政策の大失敗により2000万以上(2000万〜4300万と言われる)の餓死者を出し、国家主席を辞任せざるを得なかった毛沢東が、権力回復の為に起こした政治闘争である。
この間、中国は混乱と混迷を極め、内戦状態の様相を呈した。地方でも多くの人間が反動分子として処刑され、その犠牲者は最も控えめな説でも2000万人といわれているが、実際の数ははっきりしない。大躍進政策での失敗による犠牲者も含むと、総計7000万人に達するという推計もある。
紅衛兵と呼ばれる毛沢東の私兵が思想統制、拷問、つるし上げ、暴行、恐喝、財産没収、糾弾、時には殺人などを行い、徹底的な毛沢東への個人崇拝を強制していった。
階級闘争が叫ばれ、人々は出身階級ごとに色分けされ、出身階級が良いもの(紅五類)が悪いもの(黒五類)を一方的に迫害し、弾圧するということが正当化された。
・紅五類 労働者・中農以下の農民・兵士・革命幹部・革命烈士
・黒五類 旧地主・旧富豪・反動分子・悪質分子・右派分子
◆たとえ親が共産党の幹部でも安心はできなかった。三代前まで遡って査定され、祖父が小さな商店を経営していたために「資本家」のレッテルを貼られ(当時の中国ではそれは死刑判決にも等しかった)、大学進学を諦めなければならない人もいた。
◆学校においては、教師がつるし上げの対象となり、生徒が校長を追放し、授業は行われず、労働が奨励されたため、この時期に学生をしていたものは高等教育を受ける機会を奪われた者が多い。授業の内容はもっぱら毛沢東の著作の研究に終始し、そして出身階級が悪い生徒をつるし上げ、殴打し、悪罵を投げつけるという凄惨な場であったという。
◆ある女性が集団でリンチを加えられているので、殴打されている理由を尋ねると、「この女は地主の娘だからだ」という答えが帰ってきた。
◆紅衛兵は宗教、伝統のある物、古い物を敵視した。造反有理(反逆することに理がある)という毛沢東のスローガンの下、既成概念、既成の政治権力、既成の秩序を徹底的に破壊しようとしたのである。
◆仏教寺院やキリスト教の教会は破壊され、凄まじい数の仏像と経典、文化的価値のある建築物が灰燼に帰した。僧侶やシスターたちは侮辱をうけ、暴行され、時には殺された。文革の後半になると、批林批孔運動の名の下に、儒教と孔子も徹底的に攻撃された。
◆紅衛兵はとにかく古い物を敵視した。中国各地の博物館や美術館、遺跡には紅衛兵が殺到し、重要な文化財を次々に破壊していった。博物館の学芸員たちは、文化財に毛沢東語録の一節を紙に書いて貼り付けることで、多くの美術品や文化材を守ったという。
◆ある男は道を歩いているといきなり紅衛兵に殴打された。男が身に着けていた毛沢東バッジを見咎められ、「出身階級が悪い貴様に毛首席のバッジをつける資格はない」と言われたのである。その男は「私は毛首席を愛する権利がある。」と反論し、次の日から毛沢東に対する忠誠を表すために裸の皮膚にバッジを刺して着けたという。
◆弁護士、医師、学者など、あらゆる知識人や文化人が修正主義者、あるいは走資派として批難と弾圧の対象となった。
◆スーツやイタリア製の靴を着用しただけで「西洋かぶれ」として紅衛兵に詰問され、没収された。
◆ある老夫婦は、地主をしていたというだけの理由で家宅を紅衛兵に捜索され、家財を没収された。老夫婦が紅衛兵にお茶を出してもてなそうとすると、「お茶には毒が入っている!」と決め付けられ、息も絶え絶えになるほど殴打された。
◆この頃の中国では、金目の物をもっていることはそれだけで弾圧の対象となる恐れがあったため、夜中になると高価な美術品や家財を川に投げ込む音が聞えてきたという。
◆文化大革命は中国人の家庭にも深刻な傷を残した。批難する対象を血眼で探し、見つけられなければ実の親子同士で告発をしあった。夫婦、兄弟、親友、全ての人間が信じられなくなり、人間不信で自殺する人がひきもきらない状態であったという。
修正主義・市場解放勢力の反動に対する修正運動となっているが、実体は、大躍進政策の大失敗により2000万以上(2000万〜4300万と言われる)の餓死者を出し、国家主席を辞任せざるを得なかった毛沢東が、権力回復の為に起こした政治闘争である。
この間、中国は混乱と混迷を極め、内戦状態の様相を呈した。地方でも多くの人間が反動分子として処刑され、その犠牲者は最も控えめな説でも2000万人といわれているが、実際の数ははっきりしない。大躍進政策での失敗による犠牲者も含むと、総計7000万人に達するという推計もある。
紅衛兵と呼ばれる毛沢東の私兵が思想統制、拷問、つるし上げ、暴行、恐喝、財産没収、糾弾、時には殺人などを行い、徹底的な毛沢東への個人崇拝を強制していった。
階級闘争が叫ばれ、人々は出身階級ごとに色分けされ、出身階級が良いもの(紅五類)が悪いもの(黒五類)を一方的に迫害し、弾圧するということが正当化された。
・紅五類 労働者・中農以下の農民・兵士・革命幹部・革命烈士
・黒五類 旧地主・旧富豪・反動分子・悪質分子・右派分子
◆たとえ親が共産党の幹部でも安心はできなかった。三代前まで遡って査定され、祖父が小さな商店を経営していたために「資本家」のレッテルを貼られ(当時の中国ではそれは死刑判決にも等しかった)、大学進学を諦めなければならない人もいた。
◆学校においては、教師がつるし上げの対象となり、生徒が校長を追放し、授業は行われず、労働が奨励されたため、この時期に学生をしていたものは高等教育を受ける機会を奪われた者が多い。授業の内容はもっぱら毛沢東の著作の研究に終始し、そして出身階級が悪い生徒をつるし上げ、殴打し、悪罵を投げつけるという凄惨な場であったという。
◆ある女性が集団でリンチを加えられているので、殴打されている理由を尋ねると、「この女は地主の娘だからだ」という答えが帰ってきた。
◆紅衛兵は宗教、伝統のある物、古い物を敵視した。造反有理(反逆することに理がある)という毛沢東のスローガンの下、既成概念、既成の政治権力、既成の秩序を徹底的に破壊しようとしたのである。
◆仏教寺院やキリスト教の教会は破壊され、凄まじい数の仏像と経典、文化的価値のある建築物が灰燼に帰した。僧侶やシスターたちは侮辱をうけ、暴行され、時には殺された。文革の後半になると、批林批孔運動の名の下に、儒教と孔子も徹底的に攻撃された。
◆紅衛兵はとにかく古い物を敵視した。中国各地の博物館や美術館、遺跡には紅衛兵が殺到し、重要な文化財を次々に破壊していった。博物館の学芸員たちは、文化財に毛沢東語録の一節を紙に書いて貼り付けることで、多くの美術品や文化材を守ったという。
◆ある男は道を歩いているといきなり紅衛兵に殴打された。男が身に着けていた毛沢東バッジを見咎められ、「出身階級が悪い貴様に毛首席のバッジをつける資格はない」と言われたのである。その男は「私は毛首席を愛する権利がある。」と反論し、次の日から毛沢東に対する忠誠を表すために裸の皮膚にバッジを刺して着けたという。
◆弁護士、医師、学者など、あらゆる知識人や文化人が修正主義者、あるいは走資派として批難と弾圧の対象となった。
◆スーツやイタリア製の靴を着用しただけで「西洋かぶれ」として紅衛兵に詰問され、没収された。
◆ある老夫婦は、地主をしていたというだけの理由で家宅を紅衛兵に捜索され、家財を没収された。老夫婦が紅衛兵にお茶を出してもてなそうとすると、「お茶には毒が入っている!」と決め付けられ、息も絶え絶えになるほど殴打された。
◆この頃の中国では、金目の物をもっていることはそれだけで弾圧の対象となる恐れがあったため、夜中になると高価な美術品や家財を川に投げ込む音が聞えてきたという。
◆文化大革命は中国人の家庭にも深刻な傷を残した。批難する対象を血眼で探し、見つけられなければ実の親子同士で告発をしあった。夫婦、兄弟、親友、全ての人間が信じられなくなり、人間不信で自殺する人がひきもきらない状態であったという。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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