田中上奏文
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/04/15 23:18 投稿番号: [8208 / 8458]
細川一彦のオピニオンより
東京裁判において、日本は、国家指導者の共同謀議によって、昭和3年(1928)以来、計画的に侵略戦争を行ったとして、断罪されました。その裏付けの一つとされたのが、『田中上奏文』です。
中国語では「田中奏折」と記し、英語では「The Tanaka Memorandum」または「The Tanaka Memorial」と記します。「田中メモ」であれば個人的な覚書ですが、「田中メモリアル」となれば歴史的な価値のある文書という意味となります。この文書が偽書であることは、既に国際的に定説となっています。欧米でも『エンサイクロペディア・アメリカーナ』や『ブリタニカ』に、「偽造文書」と解説されています。しかし、今も中国のみはこれを本物として、対日外交に利用し、南京事件もこの文書に書かれた計画の一例としています。
『田中上奏文』の虚偽を徹底的に明らかにしなければ、日本の汚名をぬぐうことはできず、国際社会における正当な地位を回復し得ないのです。
この20世紀最大の謀略文書について、最近、ソ連が捏造したものだという新説が出ています。また、中国では田中上奏文は存在しなかったという見方が主流になりつつあるといいます。もしそうだとすると、わが国は、共産主義の謀略に見事に嵌められたことになります。
この文書がどういうものかということを振り返りながら、明らかになりつつある実態を確認してみたいと思います。
『田中上奏文』には世界制覇の野望に基づく計画が書いてあり、天皇も承認した、それを実行に移したのが昭和3年の張作霖爆殺事件だ、その後の日本の行動はこの文書に書かれた計画に基づいている、という説が流布されています。
文書の一節には、「世界を征服しようと欲するなら、まず中国を征服せねばならない。中国を征服しようと思うなら、まず満州と蒙古を征服しなければならない。わが国は満州と蒙古の利権を手に入れ、そこを拠点に貿易などをよそおって全中国を服従させ、全中国の資源を奪うだろう。中国の資源をすべて征服すればインド、南洋諸島、中小アジア諸国そして欧州までがわが国の威風になびくだろう」とあるとされます。
『田中上奏文』の「田中」とは、昭和初期に首相を務めた陸軍大将・田中義一のことです。田中内閣が発足したのは、昭和2年(1927)4月20日。シナでは、軍閥、コミンテルン、共産党等が絡む事件が続き、わが国のシナへの対応が難しくなっていた時代です。
田中は組閣に当たり、昭和天皇より、外交には特に慎重熟慮するようにとの御言葉を賜りました。そこで、田中は、根本的な大陸政策を確立するために一大連絡会議を開きました。この東方会議の議決に基いて田中首相が天皇に上奏し、天皇が署名したとされるのが、『田中上奏文』です。そして、『上奏文』の計画の実行の第一歩として、昭和3年6月、関東軍は張作霖事件を起こしたとされるのです。
しかし、実際は、全く異なります。張作霖事件について、陸軍は真相を隠して事件の揉み消し工作をしたというのが通説です。田中義一首相は責任者を厳しく処分すると天皇に申し上げたのですが、真相究明に一年もの時間を掛けた挙げ句、白川陸軍大臣があれは陸軍が関与したのではないようだったので、行政処分にしましたと上奏したのです。すると天皇は、汝の今言っていることは前回に自分が総理に命じ、総理が約束したところと違っている、そんなことでは軍の規律を維持できない、と激しくお怒りになりました。田中首相は、お目通りもかなわない。そこで田中は非常な衝撃を受け、田中内閣は即日、総辞職。首相は謹慎して3ヶ月足らずの後に、狭心症で亡くなりました。
田中首相が上奏した文書を、天皇が承認して、計画を実行したなどということは、あり得ない話であるわけです。
東京裁判において、日本は、国家指導者の共同謀議によって、昭和3年(1928)以来、計画的に侵略戦争を行ったとして、断罪されました。その裏付けの一つとされたのが、『田中上奏文』です。
中国語では「田中奏折」と記し、英語では「The Tanaka Memorandum」または「The Tanaka Memorial」と記します。「田中メモ」であれば個人的な覚書ですが、「田中メモリアル」となれば歴史的な価値のある文書という意味となります。この文書が偽書であることは、既に国際的に定説となっています。欧米でも『エンサイクロペディア・アメリカーナ』や『ブリタニカ』に、「偽造文書」と解説されています。しかし、今も中国のみはこれを本物として、対日外交に利用し、南京事件もこの文書に書かれた計画の一例としています。
『田中上奏文』の虚偽を徹底的に明らかにしなければ、日本の汚名をぬぐうことはできず、国際社会における正当な地位を回復し得ないのです。
この20世紀最大の謀略文書について、最近、ソ連が捏造したものだという新説が出ています。また、中国では田中上奏文は存在しなかったという見方が主流になりつつあるといいます。もしそうだとすると、わが国は、共産主義の謀略に見事に嵌められたことになります。
この文書がどういうものかということを振り返りながら、明らかになりつつある実態を確認してみたいと思います。
『田中上奏文』には世界制覇の野望に基づく計画が書いてあり、天皇も承認した、それを実行に移したのが昭和3年の張作霖爆殺事件だ、その後の日本の行動はこの文書に書かれた計画に基づいている、という説が流布されています。
文書の一節には、「世界を征服しようと欲するなら、まず中国を征服せねばならない。中国を征服しようと思うなら、まず満州と蒙古を征服しなければならない。わが国は満州と蒙古の利権を手に入れ、そこを拠点に貿易などをよそおって全中国を服従させ、全中国の資源を奪うだろう。中国の資源をすべて征服すればインド、南洋諸島、中小アジア諸国そして欧州までがわが国の威風になびくだろう」とあるとされます。
『田中上奏文』の「田中」とは、昭和初期に首相を務めた陸軍大将・田中義一のことです。田中内閣が発足したのは、昭和2年(1927)4月20日。シナでは、軍閥、コミンテルン、共産党等が絡む事件が続き、わが国のシナへの対応が難しくなっていた時代です。
田中は組閣に当たり、昭和天皇より、外交には特に慎重熟慮するようにとの御言葉を賜りました。そこで、田中は、根本的な大陸政策を確立するために一大連絡会議を開きました。この東方会議の議決に基いて田中首相が天皇に上奏し、天皇が署名したとされるのが、『田中上奏文』です。そして、『上奏文』の計画の実行の第一歩として、昭和3年6月、関東軍は張作霖事件を起こしたとされるのです。
しかし、実際は、全く異なります。張作霖事件について、陸軍は真相を隠して事件の揉み消し工作をしたというのが通説です。田中義一首相は責任者を厳しく処分すると天皇に申し上げたのですが、真相究明に一年もの時間を掛けた挙げ句、白川陸軍大臣があれは陸軍が関与したのではないようだったので、行政処分にしましたと上奏したのです。すると天皇は、汝の今言っていることは前回に自分が総理に命じ、総理が約束したところと違っている、そんなことでは軍の規律を維持できない、と激しくお怒りになりました。田中首相は、お目通りもかなわない。そこで田中は非常な衝撃を受け、田中内閣は即日、総辞職。首相は謹慎して3ヶ月足らずの後に、狭心症で亡くなりました。
田中首相が上奏した文書を、天皇が承認して、計画を実行したなどということは、あり得ない話であるわけです。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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