侵略国日本は国際社会の前科者

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アグネス・スメドレーのつづき2

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/04/13 02:58 投稿番号: [8200 / 8458]
アグネス・スメドレーは、アメリカ人でしたが、インド独立運動に関心を抱くようになりました。そして、ベルリンで勉強していた時、インド人のチャットパディアと出会い、結婚します。

チャットパディアは、単なる愛国的な独立運動家ではありませんでした。ロシア革命後、共産主義者となったからです。彼はインド共産党の創立に加わり、またドイツ共産党でも活動しました。そして、共産主義による国際的な民族解放運動を推進していました。

スメドレーは、そうした人物と数年間、共同生活をしているのです。チャットパディアはソ連=コミンテルン系の共産主義者ですから、スメドレーの方も、共産主義運動に献身あるいは協力していたと見るべきでしょう。仮に二人の目的は、インド人民の悲願、民族独立だったとしても。

スメドレーは、昭和3年(1928)に、ドイツの新聞『フランクフルター・ツァイトゥング』紙の記者となります。この新聞は、フランフルトに本社があります。その都市こそ、西欧マルクス主義の牙城・フランクフルト学派の本拠地でした。

スメドレーは、ドイツでは珍しかっただろうインド人の共産主義者と生活を共にしながら、よくこうした職を得られたものです。さらに彼女は、なぜかシナにも関心を持つようになり、昭和4年、特派員として、シナへ行きます。
その翌年、上海に、コミンテルンの大物スパイが現れます。その名は、リヒャルト・ゾルゲ。かのゾルゲ事件で名高い人物です。ゾルゲは、ドイツ人ジャーナリストの肩書で、ソ連からシナに派遣されたのです。そこでゾルゲは、スメドレーと会い、彼女から尾崎秀実を紹介されます。尾崎は、ゾルゲ事件に連座した新聞記者です。

昭和8年(1933)1月、ドイツにナチスのヒトラー政権が成立しました。すると、ゾルゲは、コミンテルンから日本行きの指令を受けます。彼はまずドイツに入って、偽装ナチ党員となり、同年9月には『フランクフルター・ツァイトゥング』紙の東京特派員の職を得ます。この新聞社は、スメドレーが勤めている新聞社です。

ゾルゲは来日すると、尾崎と共に、国際スパイ活動を展開します。一方、スメドレーはシナに残り、中共軍と行動を共にします。

どうも、どこかに筋書きが書かれているような気がします。素人の気楽さで、仮説を立てると・・・コミンテルンの支部組織がベルリンやフランクフルトにあり、『フランクフルター・ツァイトゥング』紙の幹部に共産主義者がいた。チャットパディア=スメドレー=ゾルゲは、同じ指示系統で活動した。スメドレーは使命を受けてシナに派遣され、現地のコミンテルンの指示を受けて、ゾルゲに協力し、尾崎秀実を紹介した。また彼女はチャットパディアと協力してインド・シナの共産化を画策した・・・。

スメドレーは、実際、チャットパディアとともに、毛沢東・周恩来・朱徳と、ガンジー・ネルーをつなぐ役目をしています。しかし、インドの賢者たちは、チャットパディアと異なり、ソ連・中共の共産主義とは一線を画しました。これは、インドの運命にとって、賢明な判断だったと思います。チャットパディアの路線を行っていれば、インドは東欧と同じ悲惨を味わっただろうからです。
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