腐れテレビ局NHKのつづき3
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/03/08 10:17 投稿番号: [8128 / 8458]
あるブログより引用。
NHKスペシャル「日本はなぜ戦争へと向かったのか」の4回シリーズの最終回、“開戦・リーダーたちの迷走”をやっていました。
1941年に焦点を充てて日本の決断できない結果が開戦となった、というものです。・・・
番組はこう切り出しました。
「今から70年前の1941年、日本はアメリカとの破局的な戦争「太平洋戦争」へと向かいました。
当時のリーダーはアメリカとの圧倒的に国力差という現実を無視して開戦に突き進んだと考えられてきました。しかし事態はもっと複雑でた。・・・」
「現実を無視した」と思っていたら「事態はもっと複雑でした」というNHK.。
「日本は好戦的で、戦争こそ命」とでも本気で思っていたようです。
どれほど馬鹿でも「現実を無視して開戦に突き進む」わけがあるまい。
「国家の指導者たちはなぜ不利と承知の戦争を避けられなかったのか、これは開戦前半年前の衝撃的な記録です。・・・・今回、取材をしてみてわかったことは、この段階で日本はアメリカと戦争をしなくてはいけないんだ、というふうに本気で思っていたリーダーたちはいなかったということです。では皆さん、なぜ、日本は戦争へと向かっていってしまったのでしょうか。・・・」
その後、番組で強調したのは、「日本が大東亜戦争に突入したのは首相や閣僚たちが迷走して決断できないからだ」ということでした。そのために番組で繰り返し使う言葉は「先送り」でした。
1941年7月2日、
「南進、北進、どれかに絞ることなく全て進めるというその場的プランでした。しかも具体的なことは状況を見て別に定める、つまり何も決めず準備だけするという実質様子見、先送りでした」
これは6月24日の大本営が策定した「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」の、
「支那事変処理に邁進し、自存自衛のために南進し、独ソ戦が帝国に有利となれば武力で北辺の安定を期す」という三面作戦を打ち立てたもので、
これを元に7月2日に御前会議で「独ソ開戦に伴う新情勢に対応する国策決定」としたものです。南部仏印進駐し、北方は日本に有利となるまで待つことでした。
9月3日、
陸・海軍の共同提案を議する連絡会議で「帝国国策遂行要領」を決定しましたが、「外交交渉で10月上旬にも我が要求のめどなき場合にはただちに対米開戦を決意し、10月下旬に戦争準備を完成する」としたこれも「先送り」だと言いました。
また、近衛首相から東條首相となって、陛下から「国策の大本を決定するには9月6日の御前会議にとらわれることなく内外情勢を検討して慎重に」という「白紙還元の御諚」を伝達されて、日本が譲れる最後の線として12月1日まで外交交渉すると決めたことも「またも先送り」したと言う。
戦争を避けるため最後の最後まで外交交渉をしようと期限を決めたことを「先送り」というNHK。
NHKは外交交渉で先送りせずに「戦争はしない」と決断すればいいと言わんばかりでした。
つづく
NHKスペシャル「日本はなぜ戦争へと向かったのか」の4回シリーズの最終回、“開戦・リーダーたちの迷走”をやっていました。
1941年に焦点を充てて日本の決断できない結果が開戦となった、というものです。・・・
番組はこう切り出しました。
「今から70年前の1941年、日本はアメリカとの破局的な戦争「太平洋戦争」へと向かいました。
当時のリーダーはアメリカとの圧倒的に国力差という現実を無視して開戦に突き進んだと考えられてきました。しかし事態はもっと複雑でた。・・・」
「現実を無視した」と思っていたら「事態はもっと複雑でした」というNHK.。
「日本は好戦的で、戦争こそ命」とでも本気で思っていたようです。
どれほど馬鹿でも「現実を無視して開戦に突き進む」わけがあるまい。
「国家の指導者たちはなぜ不利と承知の戦争を避けられなかったのか、これは開戦前半年前の衝撃的な記録です。・・・・今回、取材をしてみてわかったことは、この段階で日本はアメリカと戦争をしなくてはいけないんだ、というふうに本気で思っていたリーダーたちはいなかったということです。では皆さん、なぜ、日本は戦争へと向かっていってしまったのでしょうか。・・・」
その後、番組で強調したのは、「日本が大東亜戦争に突入したのは首相や閣僚たちが迷走して決断できないからだ」ということでした。そのために番組で繰り返し使う言葉は「先送り」でした。
1941年7月2日、
「南進、北進、どれかに絞ることなく全て進めるというその場的プランでした。しかも具体的なことは状況を見て別に定める、つまり何も決めず準備だけするという実質様子見、先送りでした」
これは6月24日の大本営が策定した「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」の、
「支那事変処理に邁進し、自存自衛のために南進し、独ソ戦が帝国に有利となれば武力で北辺の安定を期す」という三面作戦を打ち立てたもので、
これを元に7月2日に御前会議で「独ソ開戦に伴う新情勢に対応する国策決定」としたものです。南部仏印進駐し、北方は日本に有利となるまで待つことでした。
9月3日、
陸・海軍の共同提案を議する連絡会議で「帝国国策遂行要領」を決定しましたが、「外交交渉で10月上旬にも我が要求のめどなき場合にはただちに対米開戦を決意し、10月下旬に戦争準備を完成する」としたこれも「先送り」だと言いました。
また、近衛首相から東條首相となって、陛下から「国策の大本を決定するには9月6日の御前会議にとらわれることなく内外情勢を検討して慎重に」という「白紙還元の御諚」を伝達されて、日本が譲れる最後の線として12月1日まで外交交渉すると決めたことも「またも先送り」したと言う。
戦争を避けるため最後の最後まで外交交渉をしようと期限を決めたことを「先送り」というNHK。
NHKは外交交渉で先送りせずに「戦争はしない」と決断すればいいと言わんばかりでした。
つづく
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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