侵略国日本は国際社会の前科者

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ついでに「シベリア抑留」について

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/02/19 13:01 投稿番号: [8075 / 8458]
ソ連は一九四五年二月四日から一一日にかけてのヤルタ会談により、八月八日、日ソ中立条約を一方的に破り、対日宣戦布告。翌八月九日は満州、樺太南部、千島列島に侵略を開始した。その結果、膨大な数の日本人民間人がソ連兵の略奪・暴行の餌食となった。軍民も約六〇万人が拉致・連行された後に、強制的な重労働により約六万人が死亡した。「早期に捕虜を本国に送還する」というポツダム宣言に明らかに違反する行為である。
  これらは、朝鮮人がよく言うウソの強制連行ではない。すべて事実である。
  八月二三日にスターリンが発した命令は
「強制労働に耐えうる健康な捕虜五〇万人を選別する。捕虜を一〇〇〇人ずつの建設大隊に編成する。捕虜の被服や寝具は戦利品から調達すること」
という盗人のソ連らしいものであった。捕虜のほとんどは軍人であったが、技術や通訳の能力を持っている軍属・満州国政府や満鉄の日本人職員、そして従軍慰安婦などの女性五〇〇〇人も連行された。それぞれが、重労働に狩駆り立てられ、女性は慰安婦というものを最初から考えていず、現地の女性を強姦するというソ連軍の習性により恥辱の対象とされた。

  ソ連軍が捕虜とした外国軍民は、ドイツや日本をはじめ四一二万人にのぼる。これだけの大量の捕虜を捕獲連行した理由は、戦後復興のためのタダの労働力にするためだった。したがって、このソ連により捕虜という名目で奴隷にされた日本軍民の収容所はシベリアに限らず各地に設置された。モンゴル、中央アジア、ウクライナ、モスクワ近郊を含むロシアそしてヨーロッパ各地である。
  ハーグ陸戦法規やジュネーブ捕虜条約の精神を踏みにじり、捕虜たちは食糧や医療も不十分で極寒の中、危険で厳しいさまざまな作業に酷使された。石炭・石油の採掘、木材の伐採、河川・港湾の整備、鉄道の建設、各種工場での労働、農場での労働などで、ノルマが課せられ、目標を達成できない場合は労働時間の延長、減食などの懲罰に付された。
  平成一二年(二〇〇〇年)一二月一九日に公開された害務省(通名として外務省ともいう)外交文書で、シベリア帰還者の証言が明らかになった。それによると、収容所はバラックや旧囚人収容所。一人当りの居住面積は平均わずか一・三平方メートルで、やっと横になれる程度。衣服や暖房が不十分なため、凍死者があいついだ。食事も重労働に値するものではなく、一日、一九〇〇〜二〇〇〇カロリー、収容当初は一食三〇〇グラムのパンとお茶だけで氷点下四〇〜六〇度のなか労働を強制された例もある。
  抑留者がさらされた恐怖は、重労働だけではない。約三〇〇〇人が弁護人もつかないデタラメな略式裁判で「スパイ罪」、「反革命罪」、「資本主義幇助罪」などに問われ、五年から二五年の強制労働に処せられたのである。
  これら犠牲者の取り調べの模様について、外交文書はこう記している。
  「足を縛ってつるされた」
  「等身大の箱に八時間閉じ込められた」
  「銃で脅され調書に署名させられた」
  手元にある、「シベリア捕虜収容所」(若槻泰雄著   サイマル出版)によると、
  取り調べと裁判の実態として、同書に収められている「ソ連長期抑留者同盟」の調査による結果による拷問の実情として、下記の数字が揚げられている。
  絶食      一二四
  減食      三一七
  水攻め     三八
  寒冷攻め    六一
  睡眠を与えず九九
  脅迫      一五七
  暴力      一五八
  その他    一〇一七
  備考   1)一人で二つ以上の拷問を併用された場合は、主たる方が記載されている。
     2)拷問なしと答えた者が一八二名
  「シベリア捕虜収容所」(若槻泰雄著   サイマル出版)上   P三〇三
 
  一方、共産主義の洗脳教育に同調し、日本帰国後はソ連の先兵として日本共産化に挺身するであろうと目された者のみは、食事・衣服・労働量などで優遇されたのである。
  死亡者は約六万人とされているが、実際には実数不明である。公開されている日本人墓地とされるところにすら、墓碑名もないただの土山しかない、いや、土山すらない原野で氏名や身元不詳の無縁墓地が多く残されている。

  このような無法国家であるソ連が極東軍事裁判において、裁く側にいたと事だけでもあの裁判の異常さがよくわかります。
  日本人に対してこのような残虐非道な行いをしたソ連、そしてその指導者であった残虐なスターリンが昭和二八年三月六日に死亡した時に、あの朝日新聞は翌日三月七日の夕刊で「子供好きのおじさん」とその死を称えて報道しました。流石です。流石は朝日新聞です。
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