シャロン前首相の無節操
投稿者: eysdthydj 投稿日時: 2006/08/14 22:54 投稿番号: [1246 / 8458]
イスラエルの混迷の背景にはアリエル・シャロン前首相の無節操な方針転換がある。イスラエルでは土地と和平の交換を目指す撤退派と大イスラエル主義に立つ右派(強硬派)の路線対立が存在していた。
シャロンは右派のリーダーであった。シャロンはレバノンの難民キャンプであるサブラSabra、シャテーラShatillaにおいてパレスチナ人を大量虐殺した責任者として戦争犯罪を告発されている(サブラ、シャティーラの虐殺に関するアリエル・シャロン裁判に関する国連への嘆願書)。虐殺されたパレスチナ人の遺族達はシャロン首相の責任を追及すべくベルギーの裁判所に対し訴訟を提起している。
シャロンが国防相であった1982年、イスラエルはレバノンに侵攻した。その際、イスラエルの同盟軍であったキリスト教徒マロン派民兵組織によりパレスチナ人が虐殺された。死者の大部分は、女性と子どもであったことは言うまでもない。首をはねられ、その他手足を切断された遺体が多数あったという。シャロンは虐殺を黙認するのみならず、「パレスチナ人の一人たりとも生き残っているのを見たくはない」と命じたとされる。
2000年9月28日に当時の野党リクード党首であったシャロンは、それまでユダヤ教徒が自粛していた東エルサレムの神殿の丘を訪問し、イスラムの聖地を汚した。イスラム教徒を侮辱する挑発行為により、イスラエルとパレスチナの間にあった和解の可能性は一気に消滅した。イスラエルの政界は右派が強くなり、その後の選挙でシャロンは首相になった。
ところが2004年になるとシャロンは占領地撤退に方針転換した。シャロンを支持していた右派から見ればシャロンは裏切り者以外の何者でもない。本来の撤退派にとっても迷惑極まりない話である。パレスチナ人がサブラ・シャテーラの大虐殺やシャロンの神殿の丘登壇を忘れないのは当然である。シャロンが紛争の原因であり、和平の障害である。シャロンが真剣に占領地撤退がイスラエルの国益に適うと考えたのならば、自ら反省し、相応しい人間にバトンタッチすべきであった。昨日までの強硬派が方針転換したところで、誰の支持も得られない。シャロンが占領地撤退を掲げたことで、占領地撤退策自体が誰からも歓迎されない愚策に堕ちてしまった。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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