白と黒さま(神神の微笑)
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2006/03/19 12:40 投稿番号: [6405 / 22816]
こんにちは。
大変長らくお待たせ致しました。
芥川龍之介の文章のご紹介ありがとうございました。
これを読んでおりますと、まるで遠藤周作氏の『沈黙』で問いかけられていることを先取りしたような思いになりました。
日本人がキリスト教信仰にぶつかるときに終始葛藤するものはいつの時代でも同じなのかなあぁと、しみじみと感じ入らせていただきました。
ですが、異端のクリスチャンであるわたくしに言わせればあらゆる宗教は外国に伝播する過程で変質しその国にふさわしい形に裁断されなおされます。
実際、そもそもイエス・キリストはA.D.元年に生まれたわけではありません。(諸説有りますが、いまのところはB.C.4年あたりとするのがもっとも有力のようですね)
また、原始キリスト教団では12月25日にキリストの生誕を祝ったなどということもありませんでした。これはケルトやゲルマンの信仰に近付けるため設定されなおした日付です。
雪のなかをサンタクロースがやってくるなどというのもオリジナリティという面から見ればナンセンスな話ですよね。そもそも、中東地方で雪など降るのはほんの1部に限られていますし。(イエスは、一生涯雪なんて見たこともないのではないでしょうか)
また、キリスト教は偶像崇拝を禁止するユダヤ教の流れを受け継ぐものですからサンタクロース(聖ニコラウス)などのカソリックが設定する「聖人・聖女」などという存在も純粋な教義上はあってはならないのです。これは、ローマ帝国がキリスト教を国教化するさいに取り込まれていった存在です。(実際、ケルトやゲルマンの神々が「聖人・聖女」として取り入れられているそうです)
キリスト教のことばかり申しましたが仏教も似たようなものです。
仏教は、そもそも宗教としてではなく人間修行の哲学というような形からはじまりました。釈尊の死後300年ほどは、仏の像や絵を表すことは固く禁じられていたそうです。その禁忌がゆるんだのはインドがクシャナ朝に征服されてからであり、そのまえにはブッダを表わす印としては唯一車輪の形が用いられたと耳にしたことがございます。
また、仏教は現在大きく2つの流れに分類されております。大乗仏教と上座部仏教ですね。前者は中国を通じて日本に伝わった部類です。朝鮮半島の仏教もこれに含まれるでしょう。
後者は南アジアで発達したもので、スリランカやネパール、タイなどで信仰されております。最近も、ブッダの生まれ変わりと称する少年のニュースが1部を騒がしておりましたね。
あの厳格なイスラムでさえ、ムハンマドの時代からくらべれば変質をまぬがれたわけではありません。
イスラムはユダヤ教よりさらに厳しく偶像崇拝を禁じる宗教ですが、それでもイスラム教にも聖人あつかいされる存在は数々あります。また、偶像崇拝が禁止されたためにアラベスク紋様などの幾何学的美術が発達したというのが定説ですが、インドを征服したムガール帝国(ムスリムの帝国)時代発達したミニチュア画には人物像が描かれています。
以上列記しましたように(すでにご存知のことも多かったかと思いますが)、どこの国においても宗教的教義や風習は変質してその国に受け容れやすいものになっていくのです。これは、日本独自のことではありません。
私が思うに、芥川竜之介や遠藤修作(それに太宰治虫ら)などの日本人の知識人は馬鹿正直すぎたのでしょう。
私は、日本の独自性は少し別のところにあると思っております。
そして、それがなんなのかを問う旅を(多くの事柄と同時平行ではありますが)はじめようとしている最中です。
それでは、以後よろしくお願い致します。
大変長らくお待たせ致しました。
芥川龍之介の文章のご紹介ありがとうございました。
これを読んでおりますと、まるで遠藤周作氏の『沈黙』で問いかけられていることを先取りしたような思いになりました。
日本人がキリスト教信仰にぶつかるときに終始葛藤するものはいつの時代でも同じなのかなあぁと、しみじみと感じ入らせていただきました。
ですが、異端のクリスチャンであるわたくしに言わせればあらゆる宗教は外国に伝播する過程で変質しその国にふさわしい形に裁断されなおされます。
実際、そもそもイエス・キリストはA.D.元年に生まれたわけではありません。(諸説有りますが、いまのところはB.C.4年あたりとするのがもっとも有力のようですね)
また、原始キリスト教団では12月25日にキリストの生誕を祝ったなどということもありませんでした。これはケルトやゲルマンの信仰に近付けるため設定されなおした日付です。
雪のなかをサンタクロースがやってくるなどというのもオリジナリティという面から見ればナンセンスな話ですよね。そもそも、中東地方で雪など降るのはほんの1部に限られていますし。(イエスは、一生涯雪なんて見たこともないのではないでしょうか)
また、キリスト教は偶像崇拝を禁止するユダヤ教の流れを受け継ぐものですからサンタクロース(聖ニコラウス)などのカソリックが設定する「聖人・聖女」などという存在も純粋な教義上はあってはならないのです。これは、ローマ帝国がキリスト教を国教化するさいに取り込まれていった存在です。(実際、ケルトやゲルマンの神々が「聖人・聖女」として取り入れられているそうです)
キリスト教のことばかり申しましたが仏教も似たようなものです。
仏教は、そもそも宗教としてではなく人間修行の哲学というような形からはじまりました。釈尊の死後300年ほどは、仏の像や絵を表すことは固く禁じられていたそうです。その禁忌がゆるんだのはインドがクシャナ朝に征服されてからであり、そのまえにはブッダを表わす印としては唯一車輪の形が用いられたと耳にしたことがございます。
また、仏教は現在大きく2つの流れに分類されております。大乗仏教と上座部仏教ですね。前者は中国を通じて日本に伝わった部類です。朝鮮半島の仏教もこれに含まれるでしょう。
後者は南アジアで発達したもので、スリランカやネパール、タイなどで信仰されております。最近も、ブッダの生まれ変わりと称する少年のニュースが1部を騒がしておりましたね。
あの厳格なイスラムでさえ、ムハンマドの時代からくらべれば変質をまぬがれたわけではありません。
イスラムはユダヤ教よりさらに厳しく偶像崇拝を禁じる宗教ですが、それでもイスラム教にも聖人あつかいされる存在は数々あります。また、偶像崇拝が禁止されたためにアラベスク紋様などの幾何学的美術が発達したというのが定説ですが、インドを征服したムガール帝国(ムスリムの帝国)時代発達したミニチュア画には人物像が描かれています。
以上列記しましたように(すでにご存知のことも多かったかと思いますが)、どこの国においても宗教的教義や風習は変質してその国に受け容れやすいものになっていくのです。これは、日本独自のことではありません。
私が思うに、芥川竜之介や遠藤修作(それに太宰治虫ら)などの日本人の知識人は馬鹿正直すぎたのでしょう。
私は、日本の独自性は少し別のところにあると思っております。
そして、それがなんなのかを問う旅を(多くの事柄と同時平行ではありますが)はじめようとしている最中です。
それでは、以後よろしくお願い致します。
これは メッセージ 6162 (whiteandblack998 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022057/haa47a4a4a55a5ha5afa4na4bfa4aa4n4rm76j_1/6405.html