Re: もうすぐ衆院選ですな>丁髷さん
投稿者: chonmage_johney 投稿日時: 2009/08/24 23:44 投稿番号: [21538 / 22816]
こんばんは。
日本文理のピッチャーは、ちょっとだけ桑田真澄に似ていると感じた丁髷です。
>野球はツーアウトからだ
もうこれは球界における最も有名な格言ですね。
負けている方にとっては、最後まで諦めるな。といった訓示という側面が強いと思いますが、反対にリードしている方は当然勝ちを意識します。するとどこかで心に隙間が出来るというか、目に見えない力が作用して、思わぬ展開に・・・というのはあります。私もTV等を通じて、プロ、アマ問わず、何回も見てきたような気がします。
まさに非科学的な人間が織り成す、筋書きのないドラマです。
>大人なら・・・・ビールを飲んで・・というところですが、彼らは何で乾杯するのでしょうか・・・
ノンアルコールビールじゃないでしょうか(笑)。
それはさておき、昭和48年の夏の大会、銚子商業に敗れた江川卓のいた作新学園はその夜、メンバー内でこっそりと、ビールでパーティをやったと、何かで読んだ記憶があります。今だったら大変ですが、ま、古き良き時代のストーリーという解釈をしております。
さて、高校野球の名門と呼ばれる高校にも、宗教学校がありますね。あえて校名は伏せますが・・・。
それらの教義の内容は、不問にしますが、甲子園は実に有効な布教活動の場となっているという側面は否定できません。
考えようによっては、甲子園とは、げに恐るべきフィルターの役割がありますね。
で、その宗教ですが、意外と定義づけが難しいような気がします。
かのマックス・ベーバーは、「宗教とはエトス(行動様式)」と説きました。
この説でいくと、儒教はもちろん、武士道精神ですら宗教たりえます。
故に、日本人は無宗教といった俗説もウソということになります。どこか特定の宗派に属していないだけで、エトスたる独特の行動様式を持っていますからね。
それが、山本七平氏が仰るところの『日本教』ですね。
一方で宗教とは大変恐ろしいものでもあります。
一言で表せば、「教義(ドグマ)には絶対服従」。
ここから特有の狂信が発生するのです。
どこぞのカルトが国家転覆や無差別殺戮をドグマにすれば、信者らはそれを忠実に実行しなければならないという構造があります。既存の法秩序や連綿と受け継いできた文化の破壊など朝飯前です。
>いろんな宗教のお誘いを受けたりしましたが、どうしても信用できない何かがあるのです。
>勘?なのかなんなのか・・・・
実のところ、我々は腹の中では神道しか信じていないフシがあります。
一例を。比叡山の僧兵が強訴の時に奉持して押し立てていったのは、法華経でも曼荼羅でもなく、日吉神社の神輿だったのです。
日本仏教の総本山の僧侶でさえも、本当に信仰しているのは日本古来の神様だったというワケです。
>末端の信者は真剣に信仰しているのでそうなのね・・・って思うんですが、上でエラソーにしている輩を見ると石をぶつけたくなります・・・
ま、仕方ないんじゃないっすか。ドグマには絶対服従なのですからね。
※ 参考文献
『日本人のための宗教原論』小室直樹・徳間書店
日本文理のピッチャーは、ちょっとだけ桑田真澄に似ていると感じた丁髷です。
>野球はツーアウトからだ
もうこれは球界における最も有名な格言ですね。
負けている方にとっては、最後まで諦めるな。といった訓示という側面が強いと思いますが、反対にリードしている方は当然勝ちを意識します。するとどこかで心に隙間が出来るというか、目に見えない力が作用して、思わぬ展開に・・・というのはあります。私もTV等を通じて、プロ、アマ問わず、何回も見てきたような気がします。
まさに非科学的な人間が織り成す、筋書きのないドラマです。
>大人なら・・・・ビールを飲んで・・というところですが、彼らは何で乾杯するのでしょうか・・・
ノンアルコールビールじゃないでしょうか(笑)。
それはさておき、昭和48年の夏の大会、銚子商業に敗れた江川卓のいた作新学園はその夜、メンバー内でこっそりと、ビールでパーティをやったと、何かで読んだ記憶があります。今だったら大変ですが、ま、古き良き時代のストーリーという解釈をしております。
さて、高校野球の名門と呼ばれる高校にも、宗教学校がありますね。あえて校名は伏せますが・・・。
それらの教義の内容は、不問にしますが、甲子園は実に有効な布教活動の場となっているという側面は否定できません。
考えようによっては、甲子園とは、げに恐るべきフィルターの役割がありますね。
で、その宗教ですが、意外と定義づけが難しいような気がします。
かのマックス・ベーバーは、「宗教とはエトス(行動様式)」と説きました。
この説でいくと、儒教はもちろん、武士道精神ですら宗教たりえます。
故に、日本人は無宗教といった俗説もウソということになります。どこか特定の宗派に属していないだけで、エトスたる独特の行動様式を持っていますからね。
それが、山本七平氏が仰るところの『日本教』ですね。
一方で宗教とは大変恐ろしいものでもあります。
一言で表せば、「教義(ドグマ)には絶対服従」。
ここから特有の狂信が発生するのです。
どこぞのカルトが国家転覆や無差別殺戮をドグマにすれば、信者らはそれを忠実に実行しなければならないという構造があります。既存の法秩序や連綿と受け継いできた文化の破壊など朝飯前です。
>いろんな宗教のお誘いを受けたりしましたが、どうしても信用できない何かがあるのです。
>勘?なのかなんなのか・・・・
実のところ、我々は腹の中では神道しか信じていないフシがあります。
一例を。比叡山の僧兵が強訴の時に奉持して押し立てていったのは、法華経でも曼荼羅でもなく、日吉神社の神輿だったのです。
日本仏教の総本山の僧侶でさえも、本当に信仰しているのは日本古来の神様だったというワケです。
>末端の信者は真剣に信仰しているのでそうなのね・・・って思うんですが、上でエラソーにしている輩を見ると石をぶつけたくなります・・・
ま、仕方ないんじゃないっすか。ドグマには絶対服従なのですからね。
※ 参考文献
『日本人のための宗教原論』小室直樹・徳間書店
これは メッセージ 21537 (tukiyo_no_ban2009 さん)への返信です.
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