Re: いわっちさんへ>丁髷さんへ
投稿者: chonmage_johney 投稿日時: 2008/05/16 02:41 投稿番号: [18569 / 22816]
こんばんは。
>この矛盾をどうして誰も指摘せず、憲法改正に動かなかったのか・・・が不思議です。
知っていて・・・わざと見逃していたのか・・?との疑念も浮かびます。
身も蓋もないことを申せば、現行憲法の前に思考停止に陥っていた。またはSCAPの洗脳が完璧だったんでしょうね。特に阿呆なメディアとか似非知識人たちにおいて。ついでに、1条の“象徴”も変な表現です。前にも書きましたが、人間が象徴なんて無機質なものになれるワケがありませんから、『人間宣言』とは矛盾しますし、この表現を有難がるようでは、愛国者失格だと考えます。
>三島由紀夫氏の檄文
いわっちさんが引用された
>>生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
は、初めてこの言葉を知った時、凄く知的インパクトを受けた記憶があります。今からン十年前ですが・・・。
しかし、三島の檄文中の問題提起は、全く色褪せていませんね。
この生命尊重のみを尊ぶ精神が、昨今の歪んだ自由や個性とやらを増長させてきたのだと思います。なぜなら、魂を磨くためには、自由等とは対極に位置するであろう、我慢とか忍耐が必要だからと考えます。
>自由、平等、民主主義など美辞麗句を掲げていますが、
一言で表現すれば、米国は言い訳というか、正当化の術に長けているんです。
例えば、西部を開拓していった時に用いた思想に『マニフェストディスティニー(= Manifest Destiny ・明白なる運命)』というのがあります。要は、領土拡大は神からの使命だ。というロジックです。
米国の掲げる正義は、時として幼稚性や独善性が伴います。ま、生理と言ってしまえばそれまでですが。
ですから、「日本弱体化こそがManifest Destinyだ」と、当時、マッカーサーが無邪気に信じていた可能性はあると思いますね。
で、ヨコです。
>>民主主義と自由は共存しないと思うし、自由と平等も共存しないと思うし・・・・・。
前者はちょっと考え過ぎじゃないですか? 自由。とりわけ、良心の自由(内面の自由)が保障されて、初めてデモクラシーが成立すると考えます。逆に言えば、その自由を認めない。即ち、洗脳を是とする体制にデモクラシーはありえません。
後者については、機会の平等、結果の自由。ならば、共存できると思いますが如何に?
>神の元に・・・となるということは、現存する「自由、平等、民主主義」とは概念が違うということでしょうか・・?
結論を申し上げますと、近代デモクラシーのバックボーンには、キリスト教が存在するということです。それに気づいた伊藤博文が、天皇をキリスト教的な神(=法の上に位置させた)にして、明治憲法を作ったのです。
翻って現在、欧米の機軸はキリスト教のままですが、我が国において、キリスト教は基軸たりえませんし、天皇からは神格が奪われました。少なくとも憲法上。ですから理論上、戦後デモクラシーの精神的バックボーンは、未だに米国であり、マッカーサーのまんまだと考えます。
それが、どういう理論構成を構築し、数多の害毒を垂れ流してきたかは、多言を要しませんね・・・・・。
三島の憂鬱も、ここら辺にあったのかと、勝手に想像します。
では。
>この矛盾をどうして誰も指摘せず、憲法改正に動かなかったのか・・・が不思議です。
知っていて・・・わざと見逃していたのか・・?との疑念も浮かびます。
身も蓋もないことを申せば、現行憲法の前に思考停止に陥っていた。またはSCAPの洗脳が完璧だったんでしょうね。特に阿呆なメディアとか似非知識人たちにおいて。ついでに、1条の“象徴”も変な表現です。前にも書きましたが、人間が象徴なんて無機質なものになれるワケがありませんから、『人間宣言』とは矛盾しますし、この表現を有難がるようでは、愛国者失格だと考えます。
>三島由紀夫氏の檄文
いわっちさんが引用された
>>生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
は、初めてこの言葉を知った時、凄く知的インパクトを受けた記憶があります。今からン十年前ですが・・・。
しかし、三島の檄文中の問題提起は、全く色褪せていませんね。
この生命尊重のみを尊ぶ精神が、昨今の歪んだ自由や個性とやらを増長させてきたのだと思います。なぜなら、魂を磨くためには、自由等とは対極に位置するであろう、我慢とか忍耐が必要だからと考えます。
>自由、平等、民主主義など美辞麗句を掲げていますが、
一言で表現すれば、米国は言い訳というか、正当化の術に長けているんです。
例えば、西部を開拓していった時に用いた思想に『マニフェストディスティニー(= Manifest Destiny ・明白なる運命)』というのがあります。要は、領土拡大は神からの使命だ。というロジックです。
米国の掲げる正義は、時として幼稚性や独善性が伴います。ま、生理と言ってしまえばそれまでですが。
ですから、「日本弱体化こそがManifest Destinyだ」と、当時、マッカーサーが無邪気に信じていた可能性はあると思いますね。
で、ヨコです。
>>民主主義と自由は共存しないと思うし、自由と平等も共存しないと思うし・・・・・。
前者はちょっと考え過ぎじゃないですか? 自由。とりわけ、良心の自由(内面の自由)が保障されて、初めてデモクラシーが成立すると考えます。逆に言えば、その自由を認めない。即ち、洗脳を是とする体制にデモクラシーはありえません。
後者については、機会の平等、結果の自由。ならば、共存できると思いますが如何に?
>神の元に・・・となるということは、現存する「自由、平等、民主主義」とは概念が違うということでしょうか・・?
結論を申し上げますと、近代デモクラシーのバックボーンには、キリスト教が存在するということです。それに気づいた伊藤博文が、天皇をキリスト教的な神(=法の上に位置させた)にして、明治憲法を作ったのです。
翻って現在、欧米の機軸はキリスト教のままですが、我が国において、キリスト教は基軸たりえませんし、天皇からは神格が奪われました。少なくとも憲法上。ですから理論上、戦後デモクラシーの精神的バックボーンは、未だに米国であり、マッカーサーのまんまだと考えます。
それが、どういう理論構成を構築し、数多の害毒を垂れ流してきたかは、多言を要しませんね・・・・・。
三島の憂鬱も、ここら辺にあったのかと、勝手に想像します。
では。
これは メッセージ 18550 (iwacchi1960 さん)への返信です.
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