Re: いいかげんにしてほしい!>リラさん
投稿者: iwacchi1960 投稿日時: 2008/03/23 14:37 投稿番号: [17085 / 22816]
こんにちは。
>iwacchi1960さんはたくさんのブログをよく読んでおられますね。限られた範囲で出来るだけ多方面からの情報を得ようとアタフタしている私には、知らないブログからこうしてご紹介していただけるのはありがたいことです。
いわ・・でいいですよ。
私は他の板に常駐しているので、そこでいろいろと教えていただきました。
>そのあたりのヨミが福田氏と周辺では甘かったのでしょう。世論の批判を浴びていずれ民主党は折れてくるだろう、とタカをくくっていたのでは?
ですが民主党の側もiwacchi1960さんがおっしゃるように内部は
>>もうバラけている
状態でしょうから外に対しては逆に引くに引けなくなっている、ということなのだろうと私は見ています。
> こうなると
「1番迷惑をこうむるのは国民だ。
内閣も野党もしっかり考えろ!」
という声が沸きあがってきます。(すでにマスコミはそうあおり出していますしね)
ですが、この事態を招いた根本の原因はわが日本国民自身にある、というのが私の見解でもあります。
参議院選挙で民主党という選択をしたのは国民ですので、責任は選択した側にあるというのは当然の理だと私も思います。
民主党に期待をしていたのかどうかはわかりませんが、
「政治家よ、なんとかしてくれ」
と憤る国民の感情の根底にはリーダーシップのある(聞こえはいいですが)、言わば独裁的なリーダーを羨望している・・というものがあるのではないかと思うのですね。
歴史の要所、要所にリーダーが現れるということはあったと思うのですが、それは混乱していた時期に・・だったと思います。
比較的平和であった徳川時代(250年余)に、救世主は現れませんでした。平和な時期には必要がないということになるのでしょう。
今、それを求めるという心情が国民にあるということは今が混乱した時代であるということの現れなのか、その前兆であるというのか、そんな気がしてなりません。
日本だけが平和であるということは徳川時代と違ってあり得ないことです。
ある映画のセリフの中に「平和というのは戦争や紛争の間にあるほんのひと時のものに過ぎない。我が国はその平和が60年続いているということだ、そしてそれが永遠に続くと思い抱いている」・・正確ではありませんが・・
世界情勢をみると、平和な時がどれだけあったのか・・と思う国が多くありますし、現在もそれ(戦争、紛争)はなくなることはありません。
戦争や紛争は政治であると私は思っているのですが、国民の中に独裁的リーダーを羨望するということは戦争、紛争に至らなくてもすでに政治的混乱起こっているのであるということを薄々感じている。
しかしそれは自分たちが招いたということを自覚していない。
というところに自分自身を含め憤りを感じてしまいます。
支離滅裂な文章になってしまいましたが、国民が選挙において政治家を選ぶということは身近な生活への影響だけではなく、国全体、国際社会に大きく影響しているということを自覚し、責任を持つ。
ということなのだと思います。
これが民主主義なのかな・・と。
政治家も国民ですし、国民によって選ばれた政治家はよりその責任は大きいと思う次第です。
>iwacchi1960さんはたくさんのブログをよく読んでおられますね。限られた範囲で出来るだけ多方面からの情報を得ようとアタフタしている私には、知らないブログからこうしてご紹介していただけるのはありがたいことです。
いわ・・でいいですよ。
私は他の板に常駐しているので、そこでいろいろと教えていただきました。
>そのあたりのヨミが福田氏と周辺では甘かったのでしょう。世論の批判を浴びていずれ民主党は折れてくるだろう、とタカをくくっていたのでは?
ですが民主党の側もiwacchi1960さんがおっしゃるように内部は
>>もうバラけている
状態でしょうから外に対しては逆に引くに引けなくなっている、ということなのだろうと私は見ています。
> こうなると
「1番迷惑をこうむるのは国民だ。
内閣も野党もしっかり考えろ!」
という声が沸きあがってきます。(すでにマスコミはそうあおり出していますしね)
ですが、この事態を招いた根本の原因はわが日本国民自身にある、というのが私の見解でもあります。
参議院選挙で民主党という選択をしたのは国民ですので、責任は選択した側にあるというのは当然の理だと私も思います。
民主党に期待をしていたのかどうかはわかりませんが、
「政治家よ、なんとかしてくれ」
と憤る国民の感情の根底にはリーダーシップのある(聞こえはいいですが)、言わば独裁的なリーダーを羨望している・・というものがあるのではないかと思うのですね。
歴史の要所、要所にリーダーが現れるということはあったと思うのですが、それは混乱していた時期に・・だったと思います。
比較的平和であった徳川時代(250年余)に、救世主は現れませんでした。平和な時期には必要がないということになるのでしょう。
今、それを求めるという心情が国民にあるということは今が混乱した時代であるということの現れなのか、その前兆であるというのか、そんな気がしてなりません。
日本だけが平和であるということは徳川時代と違ってあり得ないことです。
ある映画のセリフの中に「平和というのは戦争や紛争の間にあるほんのひと時のものに過ぎない。我が国はその平和が60年続いているということだ、そしてそれが永遠に続くと思い抱いている」・・正確ではありませんが・・
世界情勢をみると、平和な時がどれだけあったのか・・と思う国が多くありますし、現在もそれ(戦争、紛争)はなくなることはありません。
戦争や紛争は政治であると私は思っているのですが、国民の中に独裁的リーダーを羨望するということは戦争、紛争に至らなくてもすでに政治的混乱起こっているのであるということを薄々感じている。
しかしそれは自分たちが招いたということを自覚していない。
というところに自分自身を含め憤りを感じてしまいます。
支離滅裂な文章になってしまいましたが、国民が選挙において政治家を選ぶということは身近な生活への影響だけではなく、国全体、国際社会に大きく影響しているということを自覚し、責任を持つ。
ということなのだと思います。
これが民主主義なのかな・・と。
政治家も国民ですし、国民によって選ばれた政治家はよりその責任は大きいと思う次第です。
これは メッセージ 17060 (lilasnosakukoro さん)への返信です.
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