法は暴走する倫理を制御するためのもの
投稿者: noxdhfeio 投稿日時: 2008/03/03 19:11 投稿番号: [9869 / 63339]
>例えば、△違いの論法では外国人なら殺してもいいことになる。
>法は国内でしか通用しない。外国人と契約した訳ではなかろう。
外国人を殺害したら逮捕されるでしょ?
それぐらいのことも分からないの?
法は国内でしか通用しないけど、どこの国でも殺人は罪になるの。
そして国同士条約を結んで、外国人を殺した場合、きちんと裁かれる仕組みがちゃんとできてるの。
そもそも倫理なんてものは教育されて初めて生まれるもの。
生まれながらに人には倫理が備わっているなんて思うのは小学生の発想。
社会から隔離されて育った子どもは自分が生き延びるための手段は持ち合わせていても、倫理なんぞは持っていない。
アフリカの少年兵は敵を殺すことを正義という教育を叩き込まれ、人を殺すことはいいことだという倫理を植え付けられている。
自分が倫理だと信じているものが、実は誰かにマインドコントロールされているだけという
オウム事件の犯人たちの例もある。
法は国に一つしかないが、倫理観は個人それぞれに持ち合わせており、
法律がなければそれぞれの自分勝手な倫理が暴走して、ぶつかり合う。
どっかのNGO崩れのテロ集団みたいに、自分勝手な倫理を振りかざして他人に強要する連中なんかはその見本だ。
連中は自分の倫理のためならば、法を犯し、暴力を容認し、殺人さえも厭わない。
だから、みんなが自分勝手な倫理を振りかざして人殺しをしないように、
社会の構成員みんなが契約を結び合い、共通のみんなが合意したルール(法)をつくる。
いわゆるルソーの社会契約説だ
>例えば、△違いの論法では外国人なら殺してもいいことになる。
というのがどこの文章をどう読んだらそう思うのか?
人の言葉を誤変換しちゃうような脳みそは捨てなさい。
これは メッセージ 9530 (discover_300 さん)への返信です.
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