捕鯨とクジラ保護

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名作劇場シリーズ:羅生門 _2

投稿者: sanba_ga_daikirai 投稿日時: 2009/10/28 23:40 投稿番号: [61308 / 63339]
産婆が驚いたのは云うまでもない。
  産婆は、一目小芋を見ると、まるで弩にでも弾かれたように、飛び上った。
「おのれ、どこへ行く。」
  小芋は、産婆がつまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞いで、こう罵った。
産婆は、それでも小芋をつきのけて行こうとする。
小芋はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。
二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。
しかし勝敗は、はじめからわかっている。
小芋はとうとう、産婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
  小芋は、産婆をつき放すと、いきなり、懐中電灯をその眼の前へつきつけた。
けれども、産婆は黙っている。
両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球がの外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗く黙っている。
これを見ると、小芋は始めて明白にこの産婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。
そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。
後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。
そこで、小芋は、産婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
「己は水産庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。
だからお前を警察に引き渡すと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」
  すると、産婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその小芋の顔を見守った。
「鯨肉を食べておったのじゃよ」
  小芋は、産婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。
すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。
産婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
「成程な、鯨肉を食べると云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。でも、我慢ができないのじゃよ。捕って来る調査船が悪いんじゃ」
産婆は、大体こんな意味の事を云った。
  小芋は、懐中電灯を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。
勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰を気にしながら、聞いているのである。
しかし、これを聞いている中に、小芋の心には、ある勇気が生まれて来た。
それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。
そうして、またさっきこの門の上へ上って、この産婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。
小芋は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。
その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
「きっと、そうか。」
  産婆の話が完ると、小芋は嘲るような声で念を押した。
そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、産婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、己が泥棒をしようと恨むまいな。己も鯨肉を食べたいんだ」
  小芋は、すばやく、産婆から鯨肉が入ったパックを奪い取った。それから、足にしがみつこうとする産婆を、手荒くホームレスの上へ蹴倒した。
梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。
小芋は、鯨肉パックをわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
しばらく、死んだように倒れていた産婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。
産婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、梯子の口まで、這って行った。
そうして、そこから、茶髪を倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
  小芋の行方は、誰も知らない。
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