『かわいそう』と魚を食べられない子供
投稿者: deathvoicescreaming 投稿日時: 2009/09/27 02:35 投稿番号: [59592 / 63339]
『かわいそう』と魚を食べられない子供が増加…それは動物愛護とは違う
・食卓に上がったお魚の目がかわいそうで、食べられない子どもが増えているという。
「これは恐ろしいことです」と、青木淳一横浜国立大学名誉教授は嘆く。
食習慣を形成するのは幼少期からの経験だ。経験の歪曲と欠如は、食への偏見、無知を生む。
その結果が人の命さえ奪うことだってある。青木氏は講演で、ある青年の例を引いた。
まじめで従順な幼少時代。内向的な性格だが、学校では成績優秀。
その青年がある日、命について考えた。自分はこれまで、動物の命を食べ、奪ってきた。なんて醜い人間なんだ。
彼は、魚と野菜中心の食生活を始めた。
その後、また気付いた。魚にも命があることに。以降、彼は魚も一切、口にしなくなった。
ついに彼は、最終的な「結論」に達してしまう。植物にも命がある。がくぜんとする青年。自分はどれほどの
命を奪ってきたのか。引きこもり、一切の食物を拒否。両親が説得しても、頑として摂食しない。
そしてついに…。精神的に不安定になった彼は、両親の命を奪ってしまう。
実際の事件だそうだ。抱え込んでしまった命の意味、絶食までの苦悩。少しずつ歯車が狂っていった。
次はある小学校の話。教師がニワトリをひなから飼いはじめた。児童とともに世話し、親鳥になったら
みんなで肉を食べましょう。命を学習する試みだ。しかし父母からの異議で、中止されたという。残酷だから。
肉は店頭に並ぶ。切り身になった魚。でも、そこに生の命はない。分業時代になり、直接命を奪わなくても
タンパク質が入手できる。
いま、生活から「生き死に」体験が消えつつある。庭にニワトリはいない。昆虫採集する子どもも減った。
命を考える機会の減少。そんな複合要素が、先の事件を生んだとはいえないだろうか。
動物愛護週間。愛犬や愛鳥の精神は大事にしたい。同時に、わたしたちの命を維持してくれるのも彼らの仲間。
魚の目がかわいそうと思う子どもの気持ち。でもそれは動物愛護とは違うんだよ。優しく諭す教育も大切だ。
命をいただく行為だから「いただきます」。命あっての命。その意味を、家族みんなで考えたい。(一部略)
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017200909242428.html
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