Re: 白人は人間自体を8つに分けた
投稿者: ichiro_55a 投稿日時: 2009/08/21 11:39 投稿番号: [58566 / 63339]
>黒人を人間と見なさなかったのではなく、別の種類の人間として差別していたんですね
・アメリカ独立宣言と同時期の人種理論でも、黒人は人間の一つと見なされていました。「人間と見なされていなかった黒人が人間の仲間入りをした」というデスカバの論理は大嘘です。現実には白人とは違う人間も、白人と同じ権利が認められるようになったということですね。
人種(Wikipedia)
学説史的にはドイツの医師ヨハン・フリードリッヒ・ブルーメンバッハ (Johann Friedrich Blumenbach, 1752-1840) による分類が人種理論の嚆矢とされている。ブルーメンバッハは1775年にゲッティンゲン大学に提出した論文 De generis humani varietate nativa (ヒトの自然的変種)において頭蓋骨の比較研究などを基礎に、コーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)の5種に分類した。
ブルーメンバッハの分類方法および定義の特徴は、ユダヤ=キリスト教的文化および当時のヨーロッパ人の伝統に強く影響を受けていることにある。たとえばコーカシアという定義は、旧約聖書でノアの箱舟が辿り着いたとされる中央アジアのコーカサス地方を命名の由来としており、実際のヨーロッパ人の居住地域や特徴とは関係のない定義である。また、モンゴリカという定義も単なる「モンゴル人」という意味であり、当時のヨーロッパ人に知られていたモンゴル帝国の人々を表しているに過ぎない。
初期の人類学が成立したこの時代のヨーロッパは、未だユダヤ=キリスト教的文化の伝統に支配されていた時代であった。この時代、『創世記』のノアの箱舟が辿り着いたとされたアララト山がある中央アジアのコーカサス地方は、アルメニア教会などにとっては聖地とされており、且つ旧約聖書の創世記1~6章では、白い色は光・昼・人・善を表し、黒い色は闇・夜・獣・悪を表していた。このことから、当時の人類学を主導したヨーロッパ人は自分たちを「ノアの箱舟で、コーカサス地方に辿り着いた人々の子孫で、善である白い人」という趣旨で、自らをコーカソイドと定義した[1]。
実際ブルーメンバッハは、さまざまな人間集団のなかで「コーカサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しくすべての人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと定義している。このような宗教的影響から、現在は同じコーカソイドに分類される、イタリアなど南欧圏に居住するキリスト教徒は白人、トルコ及びパレスチナ地方など中近東に居住する異教徒のイスラム教徒(ムスリム)は有色人種と規定するなど、現在の人類学的レベルで判断すると非合理的かつ恣意的な分類概念となっている[2]。
1813年にはブルーメンバッハの影響下でジェイムズ・C・プリチャード (James Cowles Prichard, 1786-1848) が『人類の自然史』を出版し、ウィリアム・ロレンス (William Lawrence) とウィリアム・ウェルズ(William Charles Wells)とともに人間の進化論を展開した。ただし、プリチャードらはあくまで自然科学者であり、たとえば「人類の原型は黒人種であることを示す多くのデータがある」とも述べている。ブルーメンバッハの影響を受けた他の学者にはトマス・ヘンリー・ハクスリー(1825-1895)やウィリアム・フラワー(1831-1899)などがいる。
・アメリカ独立宣言と同時期の人種理論でも、黒人は人間の一つと見なされていました。「人間と見なされていなかった黒人が人間の仲間入りをした」というデスカバの論理は大嘘です。現実には白人とは違う人間も、白人と同じ権利が認められるようになったということですね。
人種(Wikipedia)
学説史的にはドイツの医師ヨハン・フリードリッヒ・ブルーメンバッハ (Johann Friedrich Blumenbach, 1752-1840) による分類が人種理論の嚆矢とされている。ブルーメンバッハは1775年にゲッティンゲン大学に提出した論文 De generis humani varietate nativa (ヒトの自然的変種)において頭蓋骨の比較研究などを基礎に、コーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)の5種に分類した。
ブルーメンバッハの分類方法および定義の特徴は、ユダヤ=キリスト教的文化および当時のヨーロッパ人の伝統に強く影響を受けていることにある。たとえばコーカシアという定義は、旧約聖書でノアの箱舟が辿り着いたとされる中央アジアのコーカサス地方を命名の由来としており、実際のヨーロッパ人の居住地域や特徴とは関係のない定義である。また、モンゴリカという定義も単なる「モンゴル人」という意味であり、当時のヨーロッパ人に知られていたモンゴル帝国の人々を表しているに過ぎない。
初期の人類学が成立したこの時代のヨーロッパは、未だユダヤ=キリスト教的文化の伝統に支配されていた時代であった。この時代、『創世記』のノアの箱舟が辿り着いたとされたアララト山がある中央アジアのコーカサス地方は、アルメニア教会などにとっては聖地とされており、且つ旧約聖書の創世記1~6章では、白い色は光・昼・人・善を表し、黒い色は闇・夜・獣・悪を表していた。このことから、当時の人類学を主導したヨーロッパ人は自分たちを「ノアの箱舟で、コーカサス地方に辿り着いた人々の子孫で、善である白い人」という趣旨で、自らをコーカソイドと定義した[1]。
実際ブルーメンバッハは、さまざまな人間集団のなかで「コーカサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しくすべての人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと定義している。このような宗教的影響から、現在は同じコーカソイドに分類される、イタリアなど南欧圏に居住するキリスト教徒は白人、トルコ及びパレスチナ地方など中近東に居住する異教徒のイスラム教徒(ムスリム)は有色人種と規定するなど、現在の人類学的レベルで判断すると非合理的かつ恣意的な分類概念となっている[2]。
1813年にはブルーメンバッハの影響下でジェイムズ・C・プリチャード (James Cowles Prichard, 1786-1848) が『人類の自然史』を出版し、ウィリアム・ロレンス (William Lawrence) とウィリアム・ウェルズ(William Charles Wells)とともに人間の進化論を展開した。ただし、プリチャードらはあくまで自然科学者であり、たとえば「人類の原型は黒人種であることを示す多くのデータがある」とも述べている。ブルーメンバッハの影響を受けた他の学者にはトマス・ヘンリー・ハクスリー(1825-1895)やウィリアム・フラワー(1831-1899)などがいる。
これは メッセージ 58561 (kkkvzmoon1492 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019607/ja7dfa4ha5afa58a5ijdd8n_1/58566.html