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人間の知性と道徳の歴史で重要な一歩

投稿者: discover_200 投稿日時: 2009/07/10 02:25 投稿番号: [56570 / 63339]
(1978年、ユネスコ本部、パリ)

  動物の権利の世界宣言は、1978年10月15日、パリのユネスコ本部において厳粛に宣言された。それは、人類と他の動物の間に、それ以降確立されるべき関係についての哲学上の立場の選択であった。その哲学は最新の科学的知見にもとづき、生命の前における種の平等を表明している。二十一世紀の夜明けに、同宣言は人類に対して、生命倫理の準則を提案している。普遍的平等主義の理念は新しいものではない。それは西洋文明よりずっと古い文明の中にも見いだされ、ユダヤ・キリスト的宗教とはまったく違う宗教の中にも見いだされる。しかし、この倫理は、すでにあまりに変調をきたし、破壊におののき、そして暴力と残虐がたえず爆発しているこの現代の世界において、明確に断固と表明されなければならなかった。



  たとえ人間が、自分自身の種についての諸権利の綱領を徐々に確立することができたとしても、しかし、人間は宇宙に対しては、なんら特別の権利を持っているわけではない。人間は地球上の動物のひとつの種、しかもごく最近になって現れた種のひとつにすぎないのである。生命は人類のものではない。人間は生命の創造主でもなけれな、その排他的な保持者でもない。生命は、魚にも昆虫にも哺乳類にも鳥にも、そして植物にも属している。人間は、自分自身のやり方だけを考慮して、生物界に本来存在しない恣意的な序列を作った。この人間中心的な序列は、種差別主義へとつながるが、その立場は種ごとに違った態度をとり、ある種を保護しつつある種を破壊し、ある種を「有益」と宣言し他の種を「有害」または「獰猛」と宣言し、「知性」は人間だけに留保して動物には「本能」しかないとするものである。人間が動物は人間のように苦しまないと考えるようにさせたのは、その種差別主義であるが、その反対に現在わかっているところでは、動物もわれわれ同様に身体的苦痛を感じ、中枢神経系の存在と関連して、その思考も神経科学が垣間見せてくれるものよりずっと洗練されたものであって、それがまた動物に心理的な苦悩を与えるのである。こういった能力があるため動物には、植物との対比において特別な権利が与えられる。



  世界宣言は、人類が宇宙との調和を取り戻すのを助けるはずである。それが目的とするのは、人類を未開部族の生活様式にふたたび戻そうというのではなく、人間が属し、人間が依存している生物共同体全体の利益のために、あらゆる形態の生命を尊重するよう人間を仕向けていくための一歩となるものなのである。宣言は、人間の貧困に対する闘い、精神的身体的な苦痛に対する闘い、凶暴な利己主義、政治的な監禁、拷問に対する闘いを忘れさせることを目標とするものではないし、またそのような結果をもたらしてはならない。それどころか、動物の権利の尊重に目を配ることは、必然的に人間の権利への目配りにもなることは明らかである。なぜならば、その両者は、不可分に結びついているからである。



  世界宣言は、良心を反省し深く捉えることによって人類に生物種の中における自らの位置を再認識させ、人類自身の生存の基本的条件である自然の均衡のなかにあらためて場所を得させることを通じて、ひとつの哲学、ひとつの生命倫理、ひとつの道徳的振る舞いを人類に示しているのである。そのことは、人類が、現在の志向様式を変え、動物崇拝的な行動も人間中心主義も放棄して、生命の擁護を中心に据えた行動と倫理を採用しなければならないことを意味する。



  そこにおいて、動物の権利の世界宣言は、の人間の知性と道徳の歴史中で重要な一歩をなすのである。
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