クジラへのメッセージ_1
投稿者: springsanbo 投稿日時: 2009/01/19 12:14 投稿番号: [49807 / 63339]
第54回読書感想文コンクール:県審査最優秀作品
/香川
◇クジラへのメッセージ−−県立丸亀高2年・鉄川ななみさん
目を閉じてみよう。すると、私の中には様々な音が響いてくる。鳥のさえずり、木々のざわめき、夏には風鈴の音も…。
海の中に聞こえる唄(うた)があるだなんて、誰が考えただろう。それも、その唄は私たち人間が奏でる、あのリズミカルな歌と何らかわりはない、ということを。
この本の著者、ロジャー・ペインは、クジラが「唄う」ことを発見したアメリカの博士だ。その博士が次にしたことは、この唄を守ること。
今、世界では温暖化を初め、数多くの環境問題が起こり続けている。毎年毎年、「今世紀最高気温」というテロップがテレビを飾り、水不足と言われても私達は「なんだ、また水不足か。」と当たり前のように感じているし、毎年の事なので、水不足でないことの方が非日常のような気がしている。人間という生物は、本当に恐ろしいと思う。
オデッセイ号は、このような自然に対して無責任になってしまった私達にむけて、「本当にそれでいいのか?」という問いをぶつけてくれた。
海はすべてのものより下方にある。雨となって降った水は、どんなに使われ、どんなに汚されても、結局は海にたどりつく。川に流したゴミも、すべて海へと向かう。しかし、ついに人間は、不死の化学物質を海へと流してしまった。死のサイクルの幕開けである。そしてそのサイクルが到達するのは、私達自身であることを、私達はまだ認められないでいるのだ。
ペインは、モルジブ沖にいる時、こう言っている。
「二酸化炭素が減少して初めて、モルジブの人々は、十時間以上時差のある遠く離れた人に脅威を感じなくてすむようになるでしょう。」
もし私がモルジブに住んでいたら…と考えるだけでぞっとする。毎年毎年「水不足だ。」と言って雨を待っているのとはわけが違う。今まで慣れ親しんだ自分たちの島が沈んでいくのだ。子供の頃、遊んだ海岸も、そしてそこに住んでいた生き物たちも…。
同じ人間に対して脅威を抱くなんて、どれほどつらい事だろうか。しかし、抱かなくてはならないほどに私達は追い込まれているのだ。この青く美しく壮大な地球を失うことを引き換えにして。
人間が海へと送り込んだ物質による影響を調査するオデッセイ号。しかしそれが目にしたものは、悲しい被害だけではない。羽ばたくことなく数時間飛行するアホウドリ、光の矢のようなイカの群れ、そしてクジラたちのクリック音。一瞬、自分達の状況を忘れさせてくれるほど輝く、生命の景色。ペインはこの景色を見て、何を考えただろう。私はこれを見て逆に危機感を覚えた。人間は、彼らを都合よくとらえているのではないか、と。世界の端々で起こっている事実には目をあてないのに、一時自然の生物が見せてくれる美しさに翻弄され、感動し、「地球は美しい。」という一言を残して去っていく。しかし、そうではないのだ。自然は壮大である。だからこそ、今までじっと耐えてこられたのだ。もしクジラや、アホウドリや、イカたちが私たちの目を楽しませてくれる余裕がなくなった時、その時は、もう私たちにできる事はなくなっていると考えるべきだと思う。つまり、行動を起こすとしたら、たった今、そう、この今なのだ。いくら経済が発展途上でも、環境にタイムを要求することはできない。私たちの方が、この環境の足取りに合わせなければならないところまで来てしまったのだ。
◇クジラへのメッセージ−−県立丸亀高2年・鉄川ななみさん
目を閉じてみよう。すると、私の中には様々な音が響いてくる。鳥のさえずり、木々のざわめき、夏には風鈴の音も…。
海の中に聞こえる唄(うた)があるだなんて、誰が考えただろう。それも、その唄は私たち人間が奏でる、あのリズミカルな歌と何らかわりはない、ということを。
この本の著者、ロジャー・ペインは、クジラが「唄う」ことを発見したアメリカの博士だ。その博士が次にしたことは、この唄を守ること。
今、世界では温暖化を初め、数多くの環境問題が起こり続けている。毎年毎年、「今世紀最高気温」というテロップがテレビを飾り、水不足と言われても私達は「なんだ、また水不足か。」と当たり前のように感じているし、毎年の事なので、水不足でないことの方が非日常のような気がしている。人間という生物は、本当に恐ろしいと思う。
オデッセイ号は、このような自然に対して無責任になってしまった私達にむけて、「本当にそれでいいのか?」という問いをぶつけてくれた。
海はすべてのものより下方にある。雨となって降った水は、どんなに使われ、どんなに汚されても、結局は海にたどりつく。川に流したゴミも、すべて海へと向かう。しかし、ついに人間は、不死の化学物質を海へと流してしまった。死のサイクルの幕開けである。そしてそのサイクルが到達するのは、私達自身であることを、私達はまだ認められないでいるのだ。
ペインは、モルジブ沖にいる時、こう言っている。
「二酸化炭素が減少して初めて、モルジブの人々は、十時間以上時差のある遠く離れた人に脅威を感じなくてすむようになるでしょう。」
もし私がモルジブに住んでいたら…と考えるだけでぞっとする。毎年毎年「水不足だ。」と言って雨を待っているのとはわけが違う。今まで慣れ親しんだ自分たちの島が沈んでいくのだ。子供の頃、遊んだ海岸も、そしてそこに住んでいた生き物たちも…。
同じ人間に対して脅威を抱くなんて、どれほどつらい事だろうか。しかし、抱かなくてはならないほどに私達は追い込まれているのだ。この青く美しく壮大な地球を失うことを引き換えにして。
人間が海へと送り込んだ物質による影響を調査するオデッセイ号。しかしそれが目にしたものは、悲しい被害だけではない。羽ばたくことなく数時間飛行するアホウドリ、光の矢のようなイカの群れ、そしてクジラたちのクリック音。一瞬、自分達の状況を忘れさせてくれるほど輝く、生命の景色。ペインはこの景色を見て、何を考えただろう。私はこれを見て逆に危機感を覚えた。人間は、彼らを都合よくとらえているのではないか、と。世界の端々で起こっている事実には目をあてないのに、一時自然の生物が見せてくれる美しさに翻弄され、感動し、「地球は美しい。」という一言を残して去っていく。しかし、そうではないのだ。自然は壮大である。だからこそ、今までじっと耐えてこられたのだ。もしクジラや、アホウドリや、イカたちが私たちの目を楽しませてくれる余裕がなくなった時、その時は、もう私たちにできる事はなくなっていると考えるべきだと思う。つまり、行動を起こすとしたら、たった今、そう、この今なのだ。いくら経済が発展途上でも、環境にタイムを要求することはできない。私たちの方が、この環境の足取りに合わせなければならないところまで来てしまったのだ。
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