江戸時代だって動物食べてたよ●デスカバ
投稿者: sanba_3_sanba 投稿日時: 2008/11/10 22:25 投稿番号: [46564 / 63339]
江戸時代以前の日本人は動物性食材を食べていなかったか?
●答えはNOである。
食べていた動物性食材
■4つ脚だって食べていた。■
・ウサギ・・・日本では現在はウサギをあまり食べないが、かつては一般的であり、例えば徳川家でも正月にウサギ肉入り雑煮を食べたという。ウサギを「匹」といわず、鳥類と同様の「羽」と数えるのは、「四つ足でない」ため食べてもいいというこじつけ(ウサギを鵜と鷺に読替え鳥肉と偽る)のためだったといわれる。(Wiki食のタブー)
・犬・・・・日本においても、中世、近世、および戦時中などでは赤犬などがしばしば食用とされており(Wiki食のタブー)
・馬・・・・日本では地方によってはかなり古くから食べてきた(Wiki食のタブー)
http://www.sagasake.or.jp/sakana/r7.html
江戸時代には、一般的に獣肉が食材として用いられるこ とが少なかったのは事実らしいが、全く食されなかったわけで はない。それでも、まあ、獣肉忌避の風潮は根強く、獣肉を 食べるのは「薬喰(ぐ)い」と称し、ひそかに行われていて、その中心 が猪であったようだ。牡升(ぼたん)、また山鯨(やまくじら)などと呼ばれていたと いう。
■鳥を食べるのは当たり前■
http://www.yakitori-jp.com/encyclopedia/histry/hhtml/rekisi04.html
江戸時代には、神社の参道で焼鳥が売られていた。米作の妨げになる雀を中心に焼鳥にしていた。京都の伏見稲荷や雑司ヶ谷の鬼子母神では雀の焼鳥が評判となっていた
■魚や貝も食べてました。山間地では田んぼのドジョウを食べてたよ■
http://www.kamaboko.com/gotoshi/49/49-5.htm
・海産物・・・・潮干狩りは、春の行事として、古くから重要だった。ハマグリやアサリなどの磯物とりに意味があったのはいうまでもないが、潮風や海水に触れることによって、身を清めると同時に、海の生命力にあやかる目的もあったのである。
日本人は、稲作農耕民族であり、苗代づくりに入る前に、海水につかって汚(けが)れを流し、みそぎをしなければならなかった。 みそぎが済んだら、海の幸を採取する。春は潮の干満の差が大きく、遠浅になるため、貝類を拾いやすかった。日本人のこの風習は、縄文時代以来のもので、各地に残された貝塚に、縄文人と海との関係の深さをしのぶことができる。
http://www.med.nihon-u.ac.jp/home/bungeibu/no20/edo.html
「刺身」
さしみは本来「魚及」と書いた。この魚及は鮒を本とし、鯛などは作り身と言った。つまり、川魚・海魚で呼称が違ったということである。
京や大坂では鮪を初の身と呼び、異名を「天満屋」とも言う。しもじもの食する物として、中流階級以上の人間や接待の場では決して食されることはなかった。江戸時代の人々は、鮪を食す時は特に赤身を好んだ。現在、大層な値段のつけられる大とろは捨てられるかねぎとろにして食べられていた。
「天ぷら」
京や大坂では、天ぷらは半片の油揚げのことであった。天ぷらはつけあげといった。江戸の天ぷらは、あなご、芝えび、こはだ、貝柱のことで、野菜の油揚げは江戸でも天ぷらとは言わず、あげものと言った。
http://homepage3.nifty.com/shokubun/dozeu2.html
先にも書きましたが、江戸時代は流通が不便でして、海から離れると魚から縁が遠くなります。もちろん時々は干物などで、動物蛋白質をとっていたのでしょうが、なま物でないと効能が薄い。そのあたりを考えると淡水魚の出番になります。鯉、フナ、ウナギ、どじょうなど、田んぼの近くで、いくらでも獲れました。ウナギと鯉は貴重品でしたから後回しにしますが、子供でも捕獲できたのがドジョウです。いわば田んぼからの蛋白質の贈り物。村のハレのご馳走でした。
●答えはNOである。
食べていた動物性食材
■4つ脚だって食べていた。■
・ウサギ・・・日本では現在はウサギをあまり食べないが、かつては一般的であり、例えば徳川家でも正月にウサギ肉入り雑煮を食べたという。ウサギを「匹」といわず、鳥類と同様の「羽」と数えるのは、「四つ足でない」ため食べてもいいというこじつけ(ウサギを鵜と鷺に読替え鳥肉と偽る)のためだったといわれる。(Wiki食のタブー)
・犬・・・・日本においても、中世、近世、および戦時中などでは赤犬などがしばしば食用とされており(Wiki食のタブー)
・馬・・・・日本では地方によってはかなり古くから食べてきた(Wiki食のタブー)
http://www.sagasake.or.jp/sakana/r7.html
江戸時代には、一般的に獣肉が食材として用いられるこ とが少なかったのは事実らしいが、全く食されなかったわけで はない。それでも、まあ、獣肉忌避の風潮は根強く、獣肉を 食べるのは「薬喰(ぐ)い」と称し、ひそかに行われていて、その中心 が猪であったようだ。牡升(ぼたん)、また山鯨(やまくじら)などと呼ばれていたと いう。
■鳥を食べるのは当たり前■
http://www.yakitori-jp.com/encyclopedia/histry/hhtml/rekisi04.html
江戸時代には、神社の参道で焼鳥が売られていた。米作の妨げになる雀を中心に焼鳥にしていた。京都の伏見稲荷や雑司ヶ谷の鬼子母神では雀の焼鳥が評判となっていた
■魚や貝も食べてました。山間地では田んぼのドジョウを食べてたよ■
http://www.kamaboko.com/gotoshi/49/49-5.htm
・海産物・・・・潮干狩りは、春の行事として、古くから重要だった。ハマグリやアサリなどの磯物とりに意味があったのはいうまでもないが、潮風や海水に触れることによって、身を清めると同時に、海の生命力にあやかる目的もあったのである。
日本人は、稲作農耕民族であり、苗代づくりに入る前に、海水につかって汚(けが)れを流し、みそぎをしなければならなかった。 みそぎが済んだら、海の幸を採取する。春は潮の干満の差が大きく、遠浅になるため、貝類を拾いやすかった。日本人のこの風習は、縄文時代以来のもので、各地に残された貝塚に、縄文人と海との関係の深さをしのぶことができる。
http://www.med.nihon-u.ac.jp/home/bungeibu/no20/edo.html
「刺身」
さしみは本来「魚及」と書いた。この魚及は鮒を本とし、鯛などは作り身と言った。つまり、川魚・海魚で呼称が違ったということである。
京や大坂では鮪を初の身と呼び、異名を「天満屋」とも言う。しもじもの食する物として、中流階級以上の人間や接待の場では決して食されることはなかった。江戸時代の人々は、鮪を食す時は特に赤身を好んだ。現在、大層な値段のつけられる大とろは捨てられるかねぎとろにして食べられていた。
「天ぷら」
京や大坂では、天ぷらは半片の油揚げのことであった。天ぷらはつけあげといった。江戸の天ぷらは、あなご、芝えび、こはだ、貝柱のことで、野菜の油揚げは江戸でも天ぷらとは言わず、あげものと言った。
http://homepage3.nifty.com/shokubun/dozeu2.html
先にも書きましたが、江戸時代は流通が不便でして、海から離れると魚から縁が遠くなります。もちろん時々は干物などで、動物蛋白質をとっていたのでしょうが、なま物でないと効能が薄い。そのあたりを考えると淡水魚の出番になります。鯉、フナ、ウナギ、どじょうなど、田んぼの近くで、いくらでも獲れました。ウナギと鯉は貴重品でしたから後回しにしますが、子供でも捕獲できたのがドジョウです。いわば田んぼからの蛋白質の贈り物。村のハレのご馳走でした。
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