三 周りへの呼びかけと、現実 2
投稿者: springsanbo 投稿日時: 2008/09/22 23:42 投稿番号: [42362 / 63339]
具体的には冊子には
「自然に親しむためのキャンプで使い捨て容器を使って、自然を汚して、これに対してどう思いますか」
「家庭排水の汚染(しょうゆをこれだけ流すと魚が棲める清水にするのにこれだけの清水が必要)」
「割り箸は間伐材と皆伐材とがあって、間伐材はいいが皆伐材にはこんなよくないことが!」
「洋服など繊維もリサイクルできる、捨てないで」
などなど、小学生にも読めるくらい簡単な表現を心がけて、このようなことを書いてました。
身近な人にも、このような身の回りの小さなことを言ってきました。それはよくないことだったのでしょうか。
私の思想を押し付けていたことなのでしょうか。
私としては、「ポイ捨てやめよう」という看板と同じレベルだと思ってやっていました。
「ポイ捨てはやめて」と言われて、「そんなこと言わないで。貴方の考えを押し付けないで。」と憤慨する人はいるでしょうか。まずいないでしょう。ポイ捨てがいけないということは皆分かっているからです。それなら、どうして「しょうゆを出しすぎないで」というのはダメなのでしょう。
どちらも環境負荷がある、という点では同じです。その境界線は一体どこにあるのでしょうか。
その主張がただ市民権が得てないからというだけではないのでしょうか。
問題の最も効果的かつ確実な解決となるのは「人間への」でなく「地球(動物)への」感情(思いやり)や罪の意識だと思います。それがないと根本解決にはなりません。ですがそういった、「思想」は、ある意味宗教的です。それならば全員にそれを期待することは結局は無理なことだと諦める他はないのでしょうか。
私の思いは自分の中だけに留め、人には要請しない、一人で悩み続けなければいけない、ことなのでしょうか。でも、この問題ばかりは、自分だけではどうにもならないことなのです。周りの協力あってのことです。一人より二人、二人より…そうやって、例えば醤油は余分に出さないようにするとか、小さな小さな行動だとしても、学校の人全員でも、小さな行動は大きな行動になります。私一人しかこれをやっていなかったら、努力空しくやっぱり地球にとっては何にも変わりません。
批判され、その内容に納得できる部分もありました。私の考えも、まだ迷いもあり発展途上です。いっそ諦めてしまい、こんなこと考えずにすめばどんなにか楽でしょう。けれど、これは思想とか、自分の心の中だけで、とか、どうしてもそういうレベルの問題には思えないのです。理想の実現は不可能とあきらめて何もしないよりも、どれほど小さいことでもよいから自分にできることから始めることのほうが、はるかに価値のあることだと思います。人には快適に生活していくうえで譲れないところもできないこともあるだろうけれど、先進国に生まれた私たちはその中でも自分のできることを探して、小さなことでもやっていこうとしなければならないと思います。
「自然に親しむためのキャンプで使い捨て容器を使って、自然を汚して、これに対してどう思いますか」
「家庭排水の汚染(しょうゆをこれだけ流すと魚が棲める清水にするのにこれだけの清水が必要)」
「割り箸は間伐材と皆伐材とがあって、間伐材はいいが皆伐材にはこんなよくないことが!」
「洋服など繊維もリサイクルできる、捨てないで」
などなど、小学生にも読めるくらい簡単な表現を心がけて、このようなことを書いてました。
身近な人にも、このような身の回りの小さなことを言ってきました。それはよくないことだったのでしょうか。
私の思想を押し付けていたことなのでしょうか。
私としては、「ポイ捨てやめよう」という看板と同じレベルだと思ってやっていました。
「ポイ捨てはやめて」と言われて、「そんなこと言わないで。貴方の考えを押し付けないで。」と憤慨する人はいるでしょうか。まずいないでしょう。ポイ捨てがいけないということは皆分かっているからです。それなら、どうして「しょうゆを出しすぎないで」というのはダメなのでしょう。
どちらも環境負荷がある、という点では同じです。その境界線は一体どこにあるのでしょうか。
その主張がただ市民権が得てないからというだけではないのでしょうか。
問題の最も効果的かつ確実な解決となるのは「人間への」でなく「地球(動物)への」感情(思いやり)や罪の意識だと思います。それがないと根本解決にはなりません。ですがそういった、「思想」は、ある意味宗教的です。それならば全員にそれを期待することは結局は無理なことだと諦める他はないのでしょうか。
私の思いは自分の中だけに留め、人には要請しない、一人で悩み続けなければいけない、ことなのでしょうか。でも、この問題ばかりは、自分だけではどうにもならないことなのです。周りの協力あってのことです。一人より二人、二人より…そうやって、例えば醤油は余分に出さないようにするとか、小さな小さな行動だとしても、学校の人全員でも、小さな行動は大きな行動になります。私一人しかこれをやっていなかったら、努力空しくやっぱり地球にとっては何にも変わりません。
批判され、その内容に納得できる部分もありました。私の考えも、まだ迷いもあり発展途上です。いっそ諦めてしまい、こんなこと考えずにすめばどんなにか楽でしょう。けれど、これは思想とか、自分の心の中だけで、とか、どうしてもそういうレベルの問題には思えないのです。理想の実現は不可能とあきらめて何もしないよりも、どれほど小さいことでもよいから自分にできることから始めることのほうが、はるかに価値のあることだと思います。人には快適に生活していくうえで譲れないところもできないこともあるだろうけれど、先進国に生まれた私たちはその中でも自分のできることを探して、小さなことでもやっていこうとしなければならないと思います。
これは メッセージ 42361 (springsanbo さん)への返信です.
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