クジラミの選別と△違い診断
投稿者: discover_200 投稿日時: 2008/09/05 03:13 投稿番号: [40392 / 63339]
クジラ食いに応対する時、次の選別をしなければ要を得ない。
”このバカは人食い、ET食い、大型類人猿食いを許容しているや否や?”
それが他人や自分に実行できると思ってるいるかどうかはどうでもいい。
善悪の問題は悪人にそれを守る能力があるか否かとは無関係だからだ。
ある連中に禁煙できないことが、喫煙を正当化しないの同じである。
クジラ食いはバカと△違いに大別できるが、
経験的に、ここに書き込むクジラ食いの8割はカニバル(人食い人種⊆△違い)である。
その理由は、単にバカならば、
ここを読めば改心するか、分が無いと思い逃げ出すかのどちらかだから。
法が無ければ「人を食っていい」と思ってる餓鬼が、
クジラを食っていいと感じるのは当然である。
これなら論理的に矛盾はしない。
クジラ殺しが抱えている問題はそもそもクジラ問題では無い。
感情移入も我慢もできない幼児脳の害悪、社会問題である。
高い論理の壁を越えられるのは、△違いに限られる。
その壁はいよいよ高く、強度の△違いにしか越えられなくなった。
△違いはその壁を越える度に引っ掛かって壊れる。
そして、仕舞いは病棟に運ばれていくことになる。
地震で壊れかけた家は、そのままにしてると危険であるから
揺すって壊してしまうのがいい。原理はこれと同じである。
△違いは己の壊れた心を、当たり構わずぶつけて来る習性がある。
自分が壊れていく自覚が無いから自己破壊を続ける。
頑健な構造物でもドン・キホーテのように突進してきては壊れていく。
最終的に、意味不明になって応えようがなくなるが、
できる限り異常者の相手をしてやるのがいいだろう。
異常者はその論理が矛盾したものであるからこそ、我々は異常と感じるのだ。
それを根気強く指摘してやればいいだけである。
これを”△違いの診断”と名付ける。
これは従来の”異常者は相手にしない”というWEB常識とは違うものだ。
キチは自己崩壊に快感(自己の存在確認)すら覚えている。
WEBで代償作用を与え、実際の犯罪を軽減できるのである。
愚者は賢者に学ばないが、賢者は愚者にも学ぶ。
△違いは論理の壁を越えるが故に、突拍子も無い連想をして、
我々を楽しませてくれるだろう。
それがヒントになって、今までの疑問が一瞬に解ける場合もある。
我々にとっても決して損は無いことだ。
実生活で狂人と付き合うのは願い下げだが、
WEBが異常者との相互作用を可能にした訳である。
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