無差別殺戮の△違い論
投稿者: discover_200 投稿日時: 2008/08/28 01:30 投稿番号: [39635 / 63339]
yan_0117_bt No.20738>牛や豚、羊、馬etc どれも同じ哺乳類だし、鯨が賢いからというのは差別だと思う
シンドラーのリスト、トリアージ、弱者優先等
命を救うには正しい差別があるのだ、無差別殺戮餓鬼。
無差別殺戮魔pesshin No.13867>あなたの理屈は、知能の高低で殺してよいものとそうでないものを決める利己的、恣意的な考え方であり、知能が低い人間は殺害してもよい、という差別意識に基づいている。
お前の反知能と反知識はこの多重人格のサイコパス↓といい勝負だ。
無差別殺戮魔noxdhfeio No.13117 >知能が…なんていう差別主義者は無視して
結局、振り出しに戻った△違い極痴サイコパス。
8163 noxdhfeio >こいつは低脳だか食っていい。こいつは知性があるからダメだ。
オマエは低脳だが、オマエを食えるのは畜生と餓鬼だけだよ。
捕鯨反対の理由は人間失格、野蛮人の烙印を押されることであって
これに全く抗えない低能にとっては致命的である。
その為に、大隈は相当のバカしか通用しない論理的に未熟な詭弁を弄したのであったが
反対に、無差別殺戮を推奨する極悪非道の低能であることを暴露してしまった。
これは今から5、6年前に徹底的に叩いたので、クジラミ餓鬼は誰も言わなくなった。
もう二度と大隈自身からはその文句を聞くことはあるまい。
知能12「クジラ殺しの無差別殺戮の論理」
(大隅)>利口だから殺してはいけないということは、頭が悪ければいいということになり、ナチズムと同じ危険な思想です。
これは命題「知能が高ければ食ってはいけない」の裏命題であって
論理的に同じどころか、命題が真ならば裏命題は偽である(但しA≠B)
命題「差別して殺すのは間違い(ナチス的悪)である」と同値なのは
対偶「間違いでないのは無差別に殺すことである」となる。
救助者が少ない状況で、助けるものは多ければ多い程良い。
それを、「一人救うことは他を殺すことになるから、救助は差別である」と言ってるのだ。
この餓鬼どもは無差別殺戮の方が、通常の動機(差別)殺人より正しいと言ってるのだ。
クジラを人間の方に引き上げることが、何故差別になるのか。
これはクジラを人間と差別しないということだ。
ところが、クジラを殺さないことが、「他の動物」と差別することだと、
クジラ殺しの△違いは低脳なスリカエを行うのである。
悪いこと(殺す行為)は差別化するのが正しいのである。
必要悪、悪い事はできるだけしないこと、選別すること、つまり差別化を計ること。
無差別テロがいい例。オウム、アルカイダ、宅間。
逆に、善行はできるだけ広く及ぼすことと、即ち無差別、平等、博愛がよい。
これを理論的に説明するならば、「悪いことは極小に、善いことは極大にすればいい」からだ。
殺人鬼宅魔が嘯いたこと
「人間は皆平等だって教わった」。
「女・子供・年寄だけを助けるのは不公平だから、全員殺したのだ」。
「子供だけを助けるなんて、差別主義者、ナチのやったことと同じだ」。
クジラ食いの旗振り船頭はこう嘯いた。
「動物は皆平等だ。知能や愛着で食べないのは差別することだ」。
「知能が高いから食べていけないとは、知能が低いから食べていいということだ」。
「これはナチが知的障害者を抹殺しようとしたことと同じじゃないか」。
シンドラーのリスト、トリアージ、弱者優先等
命を救うには正しい差別があるのだ、無差別殺戮餓鬼。
無差別殺戮魔pesshin No.13867>あなたの理屈は、知能の高低で殺してよいものとそうでないものを決める利己的、恣意的な考え方であり、知能が低い人間は殺害してもよい、という差別意識に基づいている。
お前の反知能と反知識はこの多重人格のサイコパス↓といい勝負だ。
無差別殺戮魔noxdhfeio No.13117 >知能が…なんていう差別主義者は無視して
結局、振り出しに戻った△違い極痴サイコパス。
8163 noxdhfeio >こいつは低脳だか食っていい。こいつは知性があるからダメだ。
オマエは低脳だが、オマエを食えるのは畜生と餓鬼だけだよ。
捕鯨反対の理由は人間失格、野蛮人の烙印を押されることであって
これに全く抗えない低能にとっては致命的である。
その為に、大隈は相当のバカしか通用しない論理的に未熟な詭弁を弄したのであったが
反対に、無差別殺戮を推奨する極悪非道の低能であることを暴露してしまった。
これは今から5、6年前に徹底的に叩いたので、クジラミ餓鬼は誰も言わなくなった。
もう二度と大隈自身からはその文句を聞くことはあるまい。
知能12「クジラ殺しの無差別殺戮の論理」
(大隅)>利口だから殺してはいけないということは、頭が悪ければいいということになり、ナチズムと同じ危険な思想です。
これは命題「知能が高ければ食ってはいけない」の裏命題であって
論理的に同じどころか、命題が真ならば裏命題は偽である(但しA≠B)
命題「差別して殺すのは間違い(ナチス的悪)である」と同値なのは
対偶「間違いでないのは無差別に殺すことである」となる。
救助者が少ない状況で、助けるものは多ければ多い程良い。
それを、「一人救うことは他を殺すことになるから、救助は差別である」と言ってるのだ。
この餓鬼どもは無差別殺戮の方が、通常の動機(差別)殺人より正しいと言ってるのだ。
クジラを人間の方に引き上げることが、何故差別になるのか。
これはクジラを人間と差別しないということだ。
ところが、クジラを殺さないことが、「他の動物」と差別することだと、
クジラ殺しの△違いは低脳なスリカエを行うのである。
悪いこと(殺す行為)は差別化するのが正しいのである。
必要悪、悪い事はできるだけしないこと、選別すること、つまり差別化を計ること。
無差別テロがいい例。オウム、アルカイダ、宅間。
逆に、善行はできるだけ広く及ぼすことと、即ち無差別、平等、博愛がよい。
これを理論的に説明するならば、「悪いことは極小に、善いことは極大にすればいい」からだ。
殺人鬼宅魔が嘯いたこと
「人間は皆平等だって教わった」。
「女・子供・年寄だけを助けるのは不公平だから、全員殺したのだ」。
「子供だけを助けるなんて、差別主義者、ナチのやったことと同じだ」。
クジラ食いの旗振り船頭はこう嘯いた。
「動物は皆平等だ。知能や愛着で食べないのは差別することだ」。
「知能が高いから食べていけないとは、知能が低いから食べていいということだ」。
「これはナチが知的障害者を抹殺しようとしたことと同じじゃないか」。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019607/ja7dfa4ha5afa58a5ijdd8n_1/39635.html