Re: 捕鯨とクジラ保護
投稿者: suuuuuuhoi 投稿日時: 2008/04/26 00:17 投稿番号: [23055 / 63339]
人間が、どの生き物とどういう関係を持つか、どの生き物をどういう用途の対象とするかは、民族、宗教、文化、歴史や国によって、異なります。人間と生き物との関係は、万国共通ではありません。
私たち日本人の多くにとって、金魚は観賞の対象ですが、鮪は食べるものです。
海老や蟹の用途は、食用ばかりではありません。キチンとキトサンが、人口皮膚や人口骨の原料として、医療資源として使われますし、吸着排出の特性を活かして、廃水の凝集剤にする(有害物質を無害化する)など、産業資源にもなります。
牛や豚を神聖な動物と信じる信仰を持つ人たちが、牛や豚を食べるのを止めよと言ったら、牛や豚を食べている人たちは、どうしましょう?
生まれて1年にも満たない幼気な子羊(ラムのことです)を食べるなんて残酷だと誰かが言ったら、羊を食べる人たちはどう受け止めるのでしょう?
1月1日の夜、TBSで放映された映画「あらしのよるに」を観ました。
オオカミのガブとヤギのメイの、種を超えた友情に感動しました。
実際の動物でも、異種同士が親子・兄弟や友達の関係になることがありますし、人間社会を省(かえり)みると、利害を超えた友情や絆を結ぶことはとても大切です。
日々の経済活動に追い立てられて生活しているなか、利害を超えて人間関係を作ろうとはなかなか思えない自分が恥ずかしいです。
1月3日、NHKで放送された「大自然スペシャル シリーズ赤道・アフリカ」を観ました。今夜のNHKの「ダーウィンが来た!生き物新伝説」も観ました。
アフリカの大地で繰り広げられる弱肉強食の様は、凄みがありました。錦江湾(鹿児島湾)の海のなかで生き抜くマダラギンポには、頑張れと応援したくなりました。
生きるとは、①生きている物を殺して②食べるということです。
自給自足を止めて分業社会に暮らしている私たちの多くは、毎日、肉も魚も食べていますが、①生きている物を殺して②食べるという、生き物として至極真っ当な営みのうち、①を何処かの誰かに委ねてしまっています。
でも、①があって②があることを承知しておくべきです。
菜食主義を主張しているのではありません。植物だって生きているのですから。
異種同士の友情や愛情を否定しているのでもありません。私もペットを愛しています。
ただ、自分は殺生とは関係なく生きていると思うのは、フェアではないです。
そこに良い意味も悪い意味も見出すつもりはありませんが、生きるとは、そういうことだと。
食べ物を粗末にするべきではありませんね。
人間以外の生き物と、人間は如何に対するべきか、について、
「人間対人間」の関係で言うと、何人(なんぴと)も、自分の価値観や信念を他人に強要するのは、独善と驕りです。
「人間対人間以外の生き物(植物を含む)」の関係では、その種を絶滅させてはいけない、生態系のバランスを崩してはいけない、という以外の、古今東西を超えた普遍の関係があり得るでしょうか?
求められるのは、個々の価値観や信念や感情ではなく、自然科学的な検証と判断です。
第二勇新丸に乗り込んだシー・シェパードの2人は、日本人船員に、天婦羅を食べたいとリクエストしたそうです。
鯨は可哀相だから食べてはいけないけれど、魚介類は美味しいから天婦羅にして食べましょう・・・ということなんでしょうね。
私たち日本人の多くにとって、金魚は観賞の対象ですが、鮪は食べるものです。
海老や蟹の用途は、食用ばかりではありません。キチンとキトサンが、人口皮膚や人口骨の原料として、医療資源として使われますし、吸着排出の特性を活かして、廃水の凝集剤にする(有害物質を無害化する)など、産業資源にもなります。
牛や豚を神聖な動物と信じる信仰を持つ人たちが、牛や豚を食べるのを止めよと言ったら、牛や豚を食べている人たちは、どうしましょう?
生まれて1年にも満たない幼気な子羊(ラムのことです)を食べるなんて残酷だと誰かが言ったら、羊を食べる人たちはどう受け止めるのでしょう?
1月1日の夜、TBSで放映された映画「あらしのよるに」を観ました。
オオカミのガブとヤギのメイの、種を超えた友情に感動しました。
実際の動物でも、異種同士が親子・兄弟や友達の関係になることがありますし、人間社会を省(かえり)みると、利害を超えた友情や絆を結ぶことはとても大切です。
日々の経済活動に追い立てられて生活しているなか、利害を超えて人間関係を作ろうとはなかなか思えない自分が恥ずかしいです。
1月3日、NHKで放送された「大自然スペシャル シリーズ赤道・アフリカ」を観ました。今夜のNHKの「ダーウィンが来た!生き物新伝説」も観ました。
アフリカの大地で繰り広げられる弱肉強食の様は、凄みがありました。錦江湾(鹿児島湾)の海のなかで生き抜くマダラギンポには、頑張れと応援したくなりました。
生きるとは、①生きている物を殺して②食べるということです。
自給自足を止めて分業社会に暮らしている私たちの多くは、毎日、肉も魚も食べていますが、①生きている物を殺して②食べるという、生き物として至極真っ当な営みのうち、①を何処かの誰かに委ねてしまっています。
でも、①があって②があることを承知しておくべきです。
菜食主義を主張しているのではありません。植物だって生きているのですから。
異種同士の友情や愛情を否定しているのでもありません。私もペットを愛しています。
ただ、自分は殺生とは関係なく生きていると思うのは、フェアではないです。
そこに良い意味も悪い意味も見出すつもりはありませんが、生きるとは、そういうことだと。
食べ物を粗末にするべきではありませんね。
人間以外の生き物と、人間は如何に対するべきか、について、
「人間対人間」の関係で言うと、何人(なんぴと)も、自分の価値観や信念を他人に強要するのは、独善と驕りです。
「人間対人間以外の生き物(植物を含む)」の関係では、その種を絶滅させてはいけない、生態系のバランスを崩してはいけない、という以外の、古今東西を超えた普遍の関係があり得るでしょうか?
求められるのは、個々の価値観や信念や感情ではなく、自然科学的な検証と判断です。
第二勇新丸に乗り込んだシー・シェパードの2人は、日本人船員に、天婦羅を食べたいとリクエストしたそうです。
鯨は可哀相だから食べてはいけないけれど、魚介類は美味しいから天婦羅にして食べましょう・・・ということなんでしょうね。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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