蟻を踏んで遊んでる子供を見たら注意せよ!
投稿者: discover_300 投稿日時: 2008/04/11 01:54 投稿番号: [20235 / 63339]
2003/ 4/19 2:05
メッセージ: 12305 / 12307
投稿者: discover_100
蟻を踏んで遊んでる幼児への注意をしない親や爺婆、周囲の大人がこういう餓鬼、
異常犯罪者、無差別殺戮魔を生み出している。
ここの餓鬼どもが蟻を自分の足元に見つけても、踏まないように注意することは考えられない。
ちっぽけな蟻さえも殺すまいとする人間が高度な知能を持つクジラを食うことなど有り得ない。
「子供は残酷なもの」、「子供だから仕方ない」と、やらせ放題の大人はこのガキと似たもの同士だ。
このバカ親達はやはり何も感じてないから注意も怒りもしないのであるから。
”割れた窓ガラス理論”という犯罪を減らす方法がNYで劇的な効果を上げているという。
http://www.biwa.ne.jp/~domon/poem006.htmlhttp://www.sbf-net.co.jp/homepage/sirotori/kouhou/2002_07/11.htm何のことはない。これは「小事が大事」「一事が万事」と、昔からの知恵にあることで
見識のある者なら日常的にやっていることである。
万事、小さい頃に、小さい事に、小さい内に芽を摘むのが肝要である。
ところが、そんな小さなことでガミガミ言うなという無責任、放任主義が横行した。
僕は、相手が大きな失敗をした時には決して怒らないし、実際、全く怒る気になれない。
結果を怒ってももう遅い。それに大事を起こした本人が一番後悔しているものだ。
仮に、重大事故を起こして後悔してないとすれば気が狂ってるのだから、これこそ怒っても始まらない。
しかし、極めて小さな失敗に対しては怒る場合が結構ある。
少し違えばその同じ過ちが大事に到ると思われるケースがある。
その些事での戒めだけが大事を防ぐことができる。
今後の為に、何事も結果ではなく(何をどう為したかという)過程が大事なのである。
過程が正しければ、極端に言えば結果などどうでもいい。結果は後からついてくるのだから。
過程が間違っていれば、結果がよくても批判、反省せねばならない。
小さな虫ですら傷つけまいとすることは、人に対してもそういう気持ちを抱かせる。
仮に、どんなに憎んでいたとしてもそれがブレーキになるのだ。
逆に、無差別殺人を行った宮崎も宅間も酒鬼薔薇も小動物を殺していたことが知られている。
クジラを殺せる奴が人を殺すのはもっと容易なことだ。
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