Re: 他者に強制しようとするのは何故?
投稿者: discover_300 投稿日時: 2008/03/06 01:15 投稿番号: [10544 / 63339]
>倫理だからだよ。
>倫理の意味を知ってるかね、無知蒙昧君?
ishutalt No.9656>問題なのは彼ら欧米人が倫理として主張していることの中味なのですよ。
中身は単純明快。
欧米人は大型類人猿以上に知性が高いクジラの殺戮を人殺し、人食いとほぼ等価であると思っている。俺はそれを論証している。
マリーンパレス(大分生態水族館)館長 川原 大
月刊「ミックス」1996年3月号より
編集・発行:大分合同新聞社
鯨の保護、というより愛護の論理は、第1、2回で述べた「動物にも心がある。無闇にころすな」ということと関係する。主にアメリカを中心とするイルカの研究により、鯨類が高度に発達した脳を持ち、優れた知能を持っていることは周知のものとなりつつある。このように優れた、いわば人に近い動物を殺すことは悪であり、野蛮であるというのが、その論理の骨子ではないかと思う。これに対し日本やアイルランドなど捕鯨国は、これは資源管理の問題であり、鯨食文化の問題であると反論している。モラトリアムが続いているということは、前者の立場をとっている国の方が多い訳である。
------------------------------------------------------------------------
>欧米の反捕鯨団体が声高に主張している倫理観が、
捕鯨団体と歪曲する卑怯者君よ、先進国欧米人の大多数が反倫理的と考えているのだ。
<以下引用>
また、カナダの人類学者ミルトン・フリーマン(Milton Freeman)が1992年初頭にカナダのギャラップ社に依頼して、オーストラリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本、ノルウェーの6ヵ国で行った世論調査(サンプル数はアメリカが1000名、他はそれぞれ500名)においても、「あなたは”鯨のような知能の高い生き物を殺すなんて信じられない”という主張に同意できますか?」という設問において、「イエス」の割合がそれぞれ 63.9、64.2、55.8、57.0、24.6、21.8 パーセントとなっていて、「知能が高い鯨」を殺す事に対する反感が反捕鯨国で高い事をうかがわせている(ちなみに「ノー」の割合は 21.7、20.1、23.5、24.8、47.9、57.1パーセントである)。
<このデータの読み方>
1.両極のイギリス(動物愛護国)とノルウェー(最強捕鯨国)を比較しても、平均が「イエス側」にある。
1.捕鯨と無関係のドイツ人のが最も中立的な感覚(国際世論に近い)と言える。
1.反捕鯨国の方が圧倒的に多いことが推測できる。
>はたして彼らとは異なる伝統文化を育んできた日本人に対しても受け入れられる普遍性のあるものなのか?
普遍性の無いものは倫理ではない。普遍性の無いものが真理でないのと同様(定義)。
我々の倫理が間違っているというのなら、クジラ殺しこそ、それに反証する義務がある。
イジメと感じている者がいれば、たとえ遊びや冗談でやったとしても、それはイジメだ。
イジメと名指しされた者は、それがイジメでないことを釈明しなければならない。
被害者クジラにとって、我々は第三者、お前らは加害者なのだ。
どちらが正しい客観的判断ができるているか、初めから自明なことだろうに。
動物殺しはその屠殺法においても倫理問題となるのは常識。食う目的が例外とはならない。
君のように殺戮に刺激を受け、興味を抱き、快感を覚え、執着するサイコパスや
日常的に従事し殺戮に麻痺した者以外には残酷と嫌悪させる普遍性があるからだ。
クジラ殺しは人殺しと等価であると考えるべき十分の知性と感性がクジラにあることを論証している。
少なくとも、チンパンジー殺しと等価であることを幼児にも分かるように示している。
>欧米人から『捕鯨は倫理に反する』といわれて、それを鵜呑みにしている低能は自分の頭で考えることができない。その倫理とは誰が作ったものなのか?誰から見た倫理なのか?何に基づいて悪習文化と倫理の区別をするのか?
自分や家族、属する集団、地域、国に対する批判を鵜呑みにするバカなど何処にもいる訳があるまいが、倒錯した△違い。
お前こそ他者の批判に対して耳を塞ぎ、思考停止してる卑怯で臆病な低能の見本だ。
>倫理の意味を知ってるかね、無知蒙昧君?
ishutalt No.9656>問題なのは彼ら欧米人が倫理として主張していることの中味なのですよ。
中身は単純明快。
欧米人は大型類人猿以上に知性が高いクジラの殺戮を人殺し、人食いとほぼ等価であると思っている。俺はそれを論証している。
マリーンパレス(大分生態水族館)館長 川原 大
月刊「ミックス」1996年3月号より
編集・発行:大分合同新聞社
鯨の保護、というより愛護の論理は、第1、2回で述べた「動物にも心がある。無闇にころすな」ということと関係する。主にアメリカを中心とするイルカの研究により、鯨類が高度に発達した脳を持ち、優れた知能を持っていることは周知のものとなりつつある。このように優れた、いわば人に近い動物を殺すことは悪であり、野蛮であるというのが、その論理の骨子ではないかと思う。これに対し日本やアイルランドなど捕鯨国は、これは資源管理の問題であり、鯨食文化の問題であると反論している。モラトリアムが続いているということは、前者の立場をとっている国の方が多い訳である。
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>欧米の反捕鯨団体が声高に主張している倫理観が、
捕鯨団体と歪曲する卑怯者君よ、先進国欧米人の大多数が反倫理的と考えているのだ。
<以下引用>
また、カナダの人類学者ミルトン・フリーマン(Milton Freeman)が1992年初頭にカナダのギャラップ社に依頼して、オーストラリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本、ノルウェーの6ヵ国で行った世論調査(サンプル数はアメリカが1000名、他はそれぞれ500名)においても、「あなたは”鯨のような知能の高い生き物を殺すなんて信じられない”という主張に同意できますか?」という設問において、「イエス」の割合がそれぞれ 63.9、64.2、55.8、57.0、24.6、21.8 パーセントとなっていて、「知能が高い鯨」を殺す事に対する反感が反捕鯨国で高い事をうかがわせている(ちなみに「ノー」の割合は 21.7、20.1、23.5、24.8、47.9、57.1パーセントである)。
<このデータの読み方>
1.両極のイギリス(動物愛護国)とノルウェー(最強捕鯨国)を比較しても、平均が「イエス側」にある。
1.捕鯨と無関係のドイツ人のが最も中立的な感覚(国際世論に近い)と言える。
1.反捕鯨国の方が圧倒的に多いことが推測できる。
>はたして彼らとは異なる伝統文化を育んできた日本人に対しても受け入れられる普遍性のあるものなのか?
普遍性の無いものは倫理ではない。普遍性の無いものが真理でないのと同様(定義)。
我々の倫理が間違っているというのなら、クジラ殺しこそ、それに反証する義務がある。
イジメと感じている者がいれば、たとえ遊びや冗談でやったとしても、それはイジメだ。
イジメと名指しされた者は、それがイジメでないことを釈明しなければならない。
被害者クジラにとって、我々は第三者、お前らは加害者なのだ。
どちらが正しい客観的判断ができるているか、初めから自明なことだろうに。
動物殺しはその屠殺法においても倫理問題となるのは常識。食う目的が例外とはならない。
君のように殺戮に刺激を受け、興味を抱き、快感を覚え、執着するサイコパスや
日常的に従事し殺戮に麻痺した者以外には残酷と嫌悪させる普遍性があるからだ。
クジラ殺しは人殺しと等価であると考えるべき十分の知性と感性がクジラにあることを論証している。
少なくとも、チンパンジー殺しと等価であることを幼児にも分かるように示している。
>欧米人から『捕鯨は倫理に反する』といわれて、それを鵜呑みにしている低能は自分の頭で考えることができない。その倫理とは誰が作ったものなのか?誰から見た倫理なのか?何に基づいて悪習文化と倫理の区別をするのか?
自分や家族、属する集団、地域、国に対する批判を鵜呑みにするバカなど何処にもいる訳があるまいが、倒錯した△違い。
お前こそ他者の批判に対して耳を塞ぎ、思考停止してる卑怯で臆病な低能の見本だ。
これは メッセージ 9656 (ishutalt さん)への返信です.
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