Re: 忠誠心は金で買える
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2006/12/31 14:29 投稿番号: [99763 / 118550]
>自分の方ばよっぽど崇高な人間だと思ってますね。
私は人間を「上等・下等」とか「崇高・邪悪」などのレッテルで分類することは好みません。人は等しく思想信条、信教の自由を有し、人の存在は一様に尊いものだと思っています。
それぞれの個人が、自己の信じる神や道徳規範に従うことは、何ら非難に値するものではなく、むしろ人生に指針を与え、心の平穏を招くものとして奨励すべきことだとも思います。
ですから私は決して、信仰心や道徳観念を否定しようとは思っていません。私が否定するのは、信仰心や道徳観念を盾にした「殺戮」「犯罪」なのです。
信仰心や道徳観念は、自らの行いに対する「規制」と「模範」を示しますが、それらは他人に強制したり、他者を傷つけ、殺したりすることを正当化するものではありません。
他人を規制するものは、個人の信仰や道徳ではなくて「法」です。神は人を裁くかも知れませんが、人は人を裁けません。しかし、共同体を維持するために社会は人の行動を規制する必要があります。その為に生まれたのが「掟」とか「法」とかいうものなのです。
貴女の神は敵を殺すよう、あなたに神託を下しましたか? イエスは「汝の敵を愛せよ」と言いませんでしたか? ユダヤ教の神も十戒で「汝殺すなかれ」と記したのではありませんか?
道徳規範は、確かに文化・風習・宗教などによって差異がありますが、敵を殺すことを徳目とする「道徳」は聞いたことがありません。
貴女は私に道徳心が欠如しているとおっしゃいますが、私には私の道徳があります。それは法の定めによらずに人(それがたとえ敵であっても)を殺さないことです。自分の信仰や道徳を他人に強制しないことです。
もちろん、それは私自身の行動に対する規範であり、貴女に強制するつもりなどありません。しかし、貴女がご自身の信仰や道徳から人を殺すことは、社会がそれを認めません。つまり「法」がそれを許さないということです。
私の道徳は、金のために人を殺すことも認めません。ですから、人が金のために人を殺すことのない世の中になるように願い、出来る範囲で最大限の努力をします。
しかし、現実は「人が金のために人を殺す」ことが常態化しており、その手段として、戦争という名の超法規的殺人が堂々と繰り返されています。そのような汚れた世界で、私一人が清く正しくあり続けることは、とても困難なことなのです。
もちろん、そんなのは誘惑に負けそうになる自分への言い訳にすぎません。私の道徳心は、そんな私の弱い心を容赦なく呵責します。
「敵を殺す」ことは、それが経済的利益を得るためであろうと、自らの道徳心を満足させるためであろうと、どちらにしても「自己の利益」を追求することです。
私は自らの道徳心を満足させるために人を殺すことはしませんが、経済的利益のために人を犠牲にすることがまかり通る世の中では、ふと、その誘惑に負けそうになる自分を自覚する時があるのです。
そんな私は、当然責められるべきでしょう。しかし私なんかより遥かに強力な利己主義者たちが、なんら責められることなく、特異な道徳心の元ではむしろ「英雄」として崇められていることを看過すことはできません。
自らの「悪」を晒すことで、社会の巨悪に少しでも気づいてもらいたい…私の自爆的告白が、そう言った願いの顕われであると思っていただければ、これに勝る喜びはありません。
私は人間を「上等・下等」とか「崇高・邪悪」などのレッテルで分類することは好みません。人は等しく思想信条、信教の自由を有し、人の存在は一様に尊いものだと思っています。
それぞれの個人が、自己の信じる神や道徳規範に従うことは、何ら非難に値するものではなく、むしろ人生に指針を与え、心の平穏を招くものとして奨励すべきことだとも思います。
ですから私は決して、信仰心や道徳観念を否定しようとは思っていません。私が否定するのは、信仰心や道徳観念を盾にした「殺戮」「犯罪」なのです。
信仰心や道徳観念は、自らの行いに対する「規制」と「模範」を示しますが、それらは他人に強制したり、他者を傷つけ、殺したりすることを正当化するものではありません。
他人を規制するものは、個人の信仰や道徳ではなくて「法」です。神は人を裁くかも知れませんが、人は人を裁けません。しかし、共同体を維持するために社会は人の行動を規制する必要があります。その為に生まれたのが「掟」とか「法」とかいうものなのです。
貴女の神は敵を殺すよう、あなたに神託を下しましたか? イエスは「汝の敵を愛せよ」と言いませんでしたか? ユダヤ教の神も十戒で「汝殺すなかれ」と記したのではありませんか?
道徳規範は、確かに文化・風習・宗教などによって差異がありますが、敵を殺すことを徳目とする「道徳」は聞いたことがありません。
貴女は私に道徳心が欠如しているとおっしゃいますが、私には私の道徳があります。それは法の定めによらずに人(それがたとえ敵であっても)を殺さないことです。自分の信仰や道徳を他人に強制しないことです。
もちろん、それは私自身の行動に対する規範であり、貴女に強制するつもりなどありません。しかし、貴女がご自身の信仰や道徳から人を殺すことは、社会がそれを認めません。つまり「法」がそれを許さないということです。
私の道徳は、金のために人を殺すことも認めません。ですから、人が金のために人を殺すことのない世の中になるように願い、出来る範囲で最大限の努力をします。
しかし、現実は「人が金のために人を殺す」ことが常態化しており、その手段として、戦争という名の超法規的殺人が堂々と繰り返されています。そのような汚れた世界で、私一人が清く正しくあり続けることは、とても困難なことなのです。
もちろん、そんなのは誘惑に負けそうになる自分への言い訳にすぎません。私の道徳心は、そんな私の弱い心を容赦なく呵責します。
「敵を殺す」ことは、それが経済的利益を得るためであろうと、自らの道徳心を満足させるためであろうと、どちらにしても「自己の利益」を追求することです。
私は自らの道徳心を満足させるために人を殺すことはしませんが、経済的利益のために人を犠牲にすることがまかり通る世の中では、ふと、その誘惑に負けそうになる自分を自覚する時があるのです。
そんな私は、当然責められるべきでしょう。しかし私なんかより遥かに強力な利己主義者たちが、なんら責められることなく、特異な道徳心の元ではむしろ「英雄」として崇められていることを看過すことはできません。
自らの「悪」を晒すことで、社会の巨悪に少しでも気づいてもらいたい…私の自爆的告白が、そう言った願いの顕われであると思っていただければ、これに勝る喜びはありません。
これは メッセージ 99741 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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