戦争責任とメディア
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2006/09/25 00:07 投稿番号: [96882 / 118550]
宮崎学氏の【直言】から・・
★2006.09.11
第21回「戦争責任とメディア その4」〜「冷笑」と「人道」の彼方に〜
この国のテレビメディアの最近の報道では、北朝鮮報道が突出している。
「北朝鮮」で行われている「統治」は、なるほど悲惨なものであるし、そのことを報道することに何ら異議はない。
・・
「北朝鮮」の強制収容所を取り上げるならば、全く同じ視点でイラク・アルグレイブやキューバ・グアンタナモ収容所についての報道を落としては、それは品格のない低劣なものとなってしまう。
「北朝鮮」についてはキャンペーンで、「アメリカ」のそれについては刺身のツマのような報道にとどめるというこの国のテレビメディアの在り方の中にメディアの「戦争責任」を見る。
こんなこともある。「北朝鮮」報道の中で象徴的に取り上げられる「金正日バッジ」というものがある。思想の統一、忠誠心の象徴としてこの「バッジ」が「北朝鮮」国内でツールとして使われているということを報道している。
その通りである。身に付ける装飾品の中にまで思想性を求めるのは確かに異常である。そして、これをからかうように表現するのも、それはそれでいいだろう。
しかし、だとすればこの国において行われている拉致被害者家族の運動の人達が身に付けている「青リボン」はどうなのであろうか。これも自らの考え方をデモンストレーションしていることにおいては「金正日バッジ」と同じであると考える。
・・
【それはさておき、こうした一連の「北朝鮮」報道が、イラク戦争よりも圧倒的、優先的に流される「理由」については私はこう考える。】
それは、アメリカへの批判的報道は、まず第一にわが国の政府が望まない。
そのため政府筋からのクレームが来る可能性がある。
第二に、取材にコストがかかる。
例えば「北朝鮮」報道であれば、匿名、顔隠しで「脱北者」のコメントを繰り返し使うという「雑な取材」でもクレームが来ない。
そしてそれは「裏どり」をしなくてもいい。しかしイラク取材となれば、故橋田信介さんの例に見られるように、取材が命がけのうえにコストがかかり、そのわりには視聴率が稼げない。こうしたところであろう。
ところで今この国で報道される「北朝鮮」報道の座標軸は、前述の「冷笑主義」プラス「大衆迎合的人道主義」が基本となっている。
こうした視点は、報道すべき「取材の現場の事実」を理由として使い分けされているならまだしも、テレビの自己保身から使い分けされ、アメリカの戦争政策には寛大な報道に終始している。
どう考えても「北朝鮮の脅威」よりも、今この瞬間アフガンで、イラクで、レバノンで行われている、アメリカを中心とする勢力の殺戮行為の方がはるかに「非人道的」である。
そうだとすると、使い分けの基準も整合性を持たない。
かつて戦前の日本のメディアが行った戦争報道と比較して、このような今のテレビの報道は、「冷笑主義」と「大衆迎合的人道主義」を隠れ蓑として装うだけに悪質である。
新たな質の「戦争」協力が、メディアのマニュアルとなりつつある。
(次回に続く)
http://web.chokugen.jp/miyazaki/2006/09/21_ef76.html
★・・・例えば「日米同盟」は必要という常識である。自衛隊のイラク派兵の際にはもっぱらこの「日米同盟を守る」という常識が、その愚行を説明する根拠となった。
しかし仮に日米の「同盟関係」が重要であったとしても、理由もなく大軍を出して人を殺しに行こうとする同盟者がいたとしたら、それを止めるのが本当の常識と言うものである。
しかし、そうした常識は機能しない。逆に前提となっている「日米同盟は必要」という「常識」が、何の疑いもなく機能する。
そもそも冷戦構造の下で誕生した「日米同盟」は、冷戦が終了した時に終わるというのが、私には「常識」だと思われる。
・・
http://web.chokugen.jp/miyazaki/2006/09/22_2424.html
★2006.09.11
第21回「戦争責任とメディア その4」〜「冷笑」と「人道」の彼方に〜
この国のテレビメディアの最近の報道では、北朝鮮報道が突出している。
「北朝鮮」で行われている「統治」は、なるほど悲惨なものであるし、そのことを報道することに何ら異議はない。
・・
「北朝鮮」の強制収容所を取り上げるならば、全く同じ視点でイラク・アルグレイブやキューバ・グアンタナモ収容所についての報道を落としては、それは品格のない低劣なものとなってしまう。
「北朝鮮」についてはキャンペーンで、「アメリカ」のそれについては刺身のツマのような報道にとどめるというこの国のテレビメディアの在り方の中にメディアの「戦争責任」を見る。
こんなこともある。「北朝鮮」報道の中で象徴的に取り上げられる「金正日バッジ」というものがある。思想の統一、忠誠心の象徴としてこの「バッジ」が「北朝鮮」国内でツールとして使われているということを報道している。
その通りである。身に付ける装飾品の中にまで思想性を求めるのは確かに異常である。そして、これをからかうように表現するのも、それはそれでいいだろう。
しかし、だとすればこの国において行われている拉致被害者家族の運動の人達が身に付けている「青リボン」はどうなのであろうか。これも自らの考え方をデモンストレーションしていることにおいては「金正日バッジ」と同じであると考える。
・・
【それはさておき、こうした一連の「北朝鮮」報道が、イラク戦争よりも圧倒的、優先的に流される「理由」については私はこう考える。】
それは、アメリカへの批判的報道は、まず第一にわが国の政府が望まない。
そのため政府筋からのクレームが来る可能性がある。
第二に、取材にコストがかかる。
例えば「北朝鮮」報道であれば、匿名、顔隠しで「脱北者」のコメントを繰り返し使うという「雑な取材」でもクレームが来ない。
そしてそれは「裏どり」をしなくてもいい。しかしイラク取材となれば、故橋田信介さんの例に見られるように、取材が命がけのうえにコストがかかり、そのわりには視聴率が稼げない。こうしたところであろう。
ところで今この国で報道される「北朝鮮」報道の座標軸は、前述の「冷笑主義」プラス「大衆迎合的人道主義」が基本となっている。
こうした視点は、報道すべき「取材の現場の事実」を理由として使い分けされているならまだしも、テレビの自己保身から使い分けされ、アメリカの戦争政策には寛大な報道に終始している。
どう考えても「北朝鮮の脅威」よりも、今この瞬間アフガンで、イラクで、レバノンで行われている、アメリカを中心とする勢力の殺戮行為の方がはるかに「非人道的」である。
そうだとすると、使い分けの基準も整合性を持たない。
かつて戦前の日本のメディアが行った戦争報道と比較して、このような今のテレビの報道は、「冷笑主義」と「大衆迎合的人道主義」を隠れ蓑として装うだけに悪質である。
新たな質の「戦争」協力が、メディアのマニュアルとなりつつある。
(次回に続く)
http://web.chokugen.jp/miyazaki/2006/09/21_ef76.html
★・・・例えば「日米同盟」は必要という常識である。自衛隊のイラク派兵の際にはもっぱらこの「日米同盟を守る」という常識が、その愚行を説明する根拠となった。
しかし仮に日米の「同盟関係」が重要であったとしても、理由もなく大軍を出して人を殺しに行こうとする同盟者がいたとしたら、それを止めるのが本当の常識と言うものである。
しかし、そうした常識は機能しない。逆に前提となっている「日米同盟は必要」という「常識」が、何の疑いもなく機能する。
そもそも冷戦構造の下で誕生した「日米同盟」は、冷戦が終了した時に終わるというのが、私には「常識」だと思われる。
・・
http://web.chokugen.jp/miyazaki/2006/09/22_2424.html
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