遊就館
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2006/08/22 00:21 投稿番号: [95306 / 118550]
・・
しかし、遊就館には英霊の写真はあっても、日本が攻め入った国の人々の姿はありませんでした。加害の事実を無視し、戦争を一方的な美談に仕立て上げています。
そればかりか日本の植民地支配への抵抗を「排日」「テロ」だと表現していました。
韓国、中国の歴史記念館を訪れたことを思い出しました。ソウルの西大門刑務所歴史館では、抵抗運動を続けた朝鮮人へ徹底した弾圧が繰り広げられたことが分かりました。
南京大虐殺記念館では、土に埋まった数々の人骨が保存されていました。
日本軍に数十カ所刺され流産しながらも生き残った李秀英さん(2004年死去)にも出会いました。
北京・盧溝橋の抗日戦争記念館では、日本の侵略とのたたかいが新中国建国にとってどれほど重要なものであったかが理解できました。暗く重い気持ちになりました。植民地支配、領土拡大を推し進める側は、徹底的に残虐だったのですから。
被害を受けた国々は、そのことをしっかり記憶しています。一方的に消し去ることのできない歴史の事実です。
(鎌塚由美)
血のにおいしない「戦争」
遊就館を見学するには、想像力が必要です。
◇ ◇
日中戦争での日本軍の戦いぶりを紹介するビデオ映像。タイトルは「支那事変 総攻撃」。
画面上の中国の地図の上、日本軍が爆撃した各都市に爆弾のマークが一つ一つ増えていく。上海、杭州、南京…。映像は「壮挙だ」と屈託なく説明します。
・・
ニューギニア作戦に従事した日本軍第18軍。食糧などの補給を受けられず、死者の9割は餓死と推定されています。
遊就館の解説パネルは、18軍が「人間の限界をこえた苦闘」を戦いぬくなかで「崇高な人間性」が発揮され「多くの逸話を残した」と語って終わります。
「餓死」の文字すら出てきません。
大展示室には特攻機「桜花一一型」があります。
小さな飛行機のような形で、先端には1.2トンの爆薬をさく裂させる信管。母機の爆弾倉につり下げて出撃し、敵艦船の手前で切り離されて操縦士もろとも突っ込みます。車輪など着陸用の装備はなく、回避も帰還も不可能です。
この重さ約2トンの金属の塊に乗りこむ時の、絶望感を想像します。上空で、切り離される瞬間を待つ恐怖を想像します。想像しないと、展示からは何も伝わってきません。
以前訪れた「ひめゆり平和祈念資料館」(沖縄県糸満市)には、
【艦砲射撃で手足を飛ばされた女子学生や自決に失敗した兵士らの苦しむ姿を伝える証言があふれていました。】
遊就館の戦争展示に全く欠けているものの一つは「血のにおい」。
戦争の血生臭さ、そしてアジアと日本の2千万を超える人々が払った犠牲のいたましさです。(安川崇)
東南アジアとのギャップ
10年前、マニラ特派員だった私は、東南アジア各国の歴史・戦争博物館を訪ね歩きました。「自存自衛」という日本の身勝手な理屈で、侵略、占領された側の痛苦の思いが伝わってきました。
遊就館に足を一歩踏み入れた次の瞬間から、そのギャップのすさまじさに驚かされました。
遊就館玄関ホール。
そこに堂々と展示されているのは泰緬(たいめん)鉄道を走った機関車―「恥知らずな…」との思いがこみあげました。
泰緬鉄道は戦前、日本軍がタイとビルマ(ミャンマー)の間に建設した415キロの線区です。インドへの侵攻作戦に必要な軍需物資の輸送路を確保するためでした。映画「戦場に架ける橋」の舞台にもなりました。
過酷な労働に栄養不足、マラリアなどの病気、連合軍の攻撃…。連合軍捕虜数万人、アジア人数十万人が亡くなったとされます。
「英国統治下の時も計画されたが、難路にて着工されなかった」、それが「1年3カ月という驚異的な速さで完成した」と、誇らしげに紹介しているのが遊就館です。
タイの博物館には、やせ細った男たちが腰巻き一つで、まくら木を担がされている人形が展示されていました。
インドネシアから泰緬鉄道の建設現場に連れて来られた人を取材したとき、彼はいいました。
「生き残れたことがいまでも不思議だ。人の生き血を吸って完成した鉄道だな」
遊就館にくると、東南アジアの博物館とはまるで違う歴史観に戸惑い、日本軍に人間の尊厳を踏みにじられた人たちの憤る声が聞こえてきそうでした。(豊田栄光)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-06-15/26_01_0.html
そればかりか日本の植民地支配への抵抗を「排日」「テロ」だと表現していました。
韓国、中国の歴史記念館を訪れたことを思い出しました。ソウルの西大門刑務所歴史館では、抵抗運動を続けた朝鮮人へ徹底した弾圧が繰り広げられたことが分かりました。
南京大虐殺記念館では、土に埋まった数々の人骨が保存されていました。
日本軍に数十カ所刺され流産しながらも生き残った李秀英さん(2004年死去)にも出会いました。
北京・盧溝橋の抗日戦争記念館では、日本の侵略とのたたかいが新中国建国にとってどれほど重要なものであったかが理解できました。暗く重い気持ちになりました。植民地支配、領土拡大を推し進める側は、徹底的に残虐だったのですから。
被害を受けた国々は、そのことをしっかり記憶しています。一方的に消し去ることのできない歴史の事実です。
(鎌塚由美)
血のにおいしない「戦争」
遊就館を見学するには、想像力が必要です。
◇ ◇
日中戦争での日本軍の戦いぶりを紹介するビデオ映像。タイトルは「支那事変 総攻撃」。
画面上の中国の地図の上、日本軍が爆撃した各都市に爆弾のマークが一つ一つ増えていく。上海、杭州、南京…。映像は「壮挙だ」と屈託なく説明します。
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ニューギニア作戦に従事した日本軍第18軍。食糧などの補給を受けられず、死者の9割は餓死と推定されています。
遊就館の解説パネルは、18軍が「人間の限界をこえた苦闘」を戦いぬくなかで「崇高な人間性」が発揮され「多くの逸話を残した」と語って終わります。
「餓死」の文字すら出てきません。
大展示室には特攻機「桜花一一型」があります。
小さな飛行機のような形で、先端には1.2トンの爆薬をさく裂させる信管。母機の爆弾倉につり下げて出撃し、敵艦船の手前で切り離されて操縦士もろとも突っ込みます。車輪など着陸用の装備はなく、回避も帰還も不可能です。
この重さ約2トンの金属の塊に乗りこむ時の、絶望感を想像します。上空で、切り離される瞬間を待つ恐怖を想像します。想像しないと、展示からは何も伝わってきません。
以前訪れた「ひめゆり平和祈念資料館」(沖縄県糸満市)には、
【艦砲射撃で手足を飛ばされた女子学生や自決に失敗した兵士らの苦しむ姿を伝える証言があふれていました。】
遊就館の戦争展示に全く欠けているものの一つは「血のにおい」。
戦争の血生臭さ、そしてアジアと日本の2千万を超える人々が払った犠牲のいたましさです。(安川崇)
東南アジアとのギャップ
10年前、マニラ特派員だった私は、東南アジア各国の歴史・戦争博物館を訪ね歩きました。「自存自衛」という日本の身勝手な理屈で、侵略、占領された側の痛苦の思いが伝わってきました。
遊就館に足を一歩踏み入れた次の瞬間から、そのギャップのすさまじさに驚かされました。
遊就館玄関ホール。
そこに堂々と展示されているのは泰緬(たいめん)鉄道を走った機関車―「恥知らずな…」との思いがこみあげました。
泰緬鉄道は戦前、日本軍がタイとビルマ(ミャンマー)の間に建設した415キロの線区です。インドへの侵攻作戦に必要な軍需物資の輸送路を確保するためでした。映画「戦場に架ける橋」の舞台にもなりました。
過酷な労働に栄養不足、マラリアなどの病気、連合軍の攻撃…。連合軍捕虜数万人、アジア人数十万人が亡くなったとされます。
「英国統治下の時も計画されたが、難路にて着工されなかった」、それが「1年3カ月という驚異的な速さで完成した」と、誇らしげに紹介しているのが遊就館です。
タイの博物館には、やせ細った男たちが腰巻き一つで、まくら木を担がされている人形が展示されていました。
インドネシアから泰緬鉄道の建設現場に連れて来られた人を取材したとき、彼はいいました。
「生き残れたことがいまでも不思議だ。人の生き血を吸って完成した鉄道だな」
遊就館にくると、東南アジアの博物館とはまるで違う歴史観に戸惑い、日本軍に人間の尊厳を踏みにじられた人たちの憤る声が聞こえてきそうでした。(豊田栄光)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-06-15/26_01_0.html
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