Re: 朝日新聞、報道の戦争責任を追及せよ!
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2006/08/07 23:40 投稿番号: [94760 / 118550]
当時の新聞なんて皆【似たり寄ったり】ですが?
>ps
「地上の楽園、北朝鮮」 これも朝日新聞のキャンペーンだよ
事実誤認のヤンキーだね!
事実は ↓
★当時の日本人は、政府からマスコミまで、右も左も寄ってたかって、人道
の名のもとに「帰国者」の送り出しに協力しました。
誰一人として、差別を
なくしてこの国で共に生きていこうと手を差し伸べる者はいませんでした。
例えば、当時の新聞はこんな記事を載せています。
1959年12月24日 産経新聞
| 暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け
| 入れ【清津で坂本記者】
| 『出迎えた人は人口二十万のこの市で五万人。手に手に、もも色の造花、
| 国旗を持って港一帯から沿道は歓呼の列で埋められた。…岸壁に着くと「マ
| ンセイ(万歳)」の爆発。五色の紙吹雪を浴びながら帰国者はすぐ前の休憩
| 所に入った。一階建てだが、日比谷公会堂以上の大きさ。ソファーが五、六
| 〇あり、あとは清潔なベンチが並んでいた。
| 熱風を送る装置がたくさんあって部屋は暖かく、…こういうことのできる
| 母国の経済力に帰国者は驚き、安心したに違いない。
| …大アパート、六畳くらいの部屋には、タンス、家具はもちろん小型ラジ
| オまで至れりつくせりだ。…料理でも日本から帰った人にいきなり辛すぎる
| ものは刺激が強すぎるだろうと甘くしてあったり…。』
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/korea-koizumi.htm
【読売新聞】 1960年1月9日朝刊
| 「北朝鮮へ帰った日本人妻たち」
| はじめてみる夫の祖国、朝鮮民主主義人民共和国に帰った日本人妻たちは
| どんなお正月を迎えたでしょうか。平壌でともに新春をすごした
島元読売新聞特派員から、第一船と第二船の帰国者や日本人妻たちの帰国後の模様、と
|くに北朝鮮で迎えたその日本人妻たちのはじめてのお正月の感想などを伝え
| てきました。
| ★「夢のような正月」〝ほんとうに来てよかった〟
| 夫の祖国に帰った日本人妻たちはみんな喜びと幸福にひたっています。新
| 潟を出港するまでの不安や心配は、国をあげての大歓迎にすっかり消しとん
| でしまったようです。まだ言葉は通じないし習慣にもなじんでいませんが
、
| 日本人妻の代表が金日成首相に招かれて新年宴会に出席したり希望の職場に
| つくなど【日本で貧困と、ときには屈辱の生活をおくっていたその妻たちには】
| 夢のようなお正月。まだ日本で帰国をためらっている同じ境遇の人たちに
| 「早く来るように伝えてほしい」と口をそろえて語っているのです。
| ★おモチも特配
| 第一船で夫の…さんと帰国した…さんは、まず平壌スターリン通りのアパ
| ートに入っておどろきました。机からイス、食卓の家具はもちろん、台所に
| はじゅう器一切、一か月分のお米、三か月分の燃料、ミソ、しょう油、マッ
| チ、ゾウキン、買い物カゴまですぐ生活できるように揃っていたからです。
| …さんは、夫が朝鮮人で何度も失業し、そのうえ四人の子どもをかかえてい
| たため、これまで満足なお正月を迎えたことがなく、雑煮、菓子、くだもの、
| 酒、しることそろったお正月ははじめてでした。「かあちゃんこれからもこ
| こでお正月をしようや」と日本語で喜ぶ子どもたちの姿を見て、本当に来て
| よかったと安心したそうです。
| ★どっちが祖国か
| …女性同盟から日本語のわかる人が来て、手をとって朝鮮語や料理を教え
| てくれたばかりか、大みそかなどは日本式の雑煮を作ってくれたほどの気の
| くばりようです。町でバスに乗っても「どうぞ、どうぞ」と座らされ、かえ
| って恥ずかしいくらいだそうです。
【日本での冷たい目を思うと、どちらが本
| 当の祖国なのかわからなくなる】
こともあるほどで、純粋の日本人である自分
| でさえそう思っているの
>ps
「地上の楽園、北朝鮮」 これも朝日新聞のキャンペーンだよ
事実誤認のヤンキーだね!
事実は ↓
★当時の日本人は、政府からマスコミまで、右も左も寄ってたかって、人道
の名のもとに「帰国者」の送り出しに協力しました。
誰一人として、差別を
なくしてこの国で共に生きていこうと手を差し伸べる者はいませんでした。
例えば、当時の新聞はこんな記事を載せています。
1959年12月24日 産経新聞
| 暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け
| 入れ【清津で坂本記者】
| 『出迎えた人は人口二十万のこの市で五万人。手に手に、もも色の造花、
| 国旗を持って港一帯から沿道は歓呼の列で埋められた。…岸壁に着くと「マ
| ンセイ(万歳)」の爆発。五色の紙吹雪を浴びながら帰国者はすぐ前の休憩
| 所に入った。一階建てだが、日比谷公会堂以上の大きさ。ソファーが五、六
| 〇あり、あとは清潔なベンチが並んでいた。
| 熱風を送る装置がたくさんあって部屋は暖かく、…こういうことのできる
| 母国の経済力に帰国者は驚き、安心したに違いない。
| …大アパート、六畳くらいの部屋には、タンス、家具はもちろん小型ラジ
| オまで至れりつくせりだ。…料理でも日本から帰った人にいきなり辛すぎる
| ものは刺激が強すぎるだろうと甘くしてあったり…。』
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/korea-koizumi.htm
【読売新聞】 1960年1月9日朝刊
| 「北朝鮮へ帰った日本人妻たち」
| はじめてみる夫の祖国、朝鮮民主主義人民共和国に帰った日本人妻たちは
| どんなお正月を迎えたでしょうか。平壌でともに新春をすごした
島元読売新聞特派員から、第一船と第二船の帰国者や日本人妻たちの帰国後の模様、と
|くに北朝鮮で迎えたその日本人妻たちのはじめてのお正月の感想などを伝え
| てきました。
| ★「夢のような正月」〝ほんとうに来てよかった〟
| 夫の祖国に帰った日本人妻たちはみんな喜びと幸福にひたっています。新
| 潟を出港するまでの不安や心配は、国をあげての大歓迎にすっかり消しとん
| でしまったようです。まだ言葉は通じないし習慣にもなじんでいませんが
、
| 日本人妻の代表が金日成首相に招かれて新年宴会に出席したり希望の職場に
| つくなど【日本で貧困と、ときには屈辱の生活をおくっていたその妻たちには】
| 夢のようなお正月。まだ日本で帰国をためらっている同じ境遇の人たちに
| 「早く来るように伝えてほしい」と口をそろえて語っているのです。
| ★おモチも特配
| 第一船で夫の…さんと帰国した…さんは、まず平壌スターリン通りのアパ
| ートに入っておどろきました。机からイス、食卓の家具はもちろん、台所に
| はじゅう器一切、一か月分のお米、三か月分の燃料、ミソ、しょう油、マッ
| チ、ゾウキン、買い物カゴまですぐ生活できるように揃っていたからです。
| …さんは、夫が朝鮮人で何度も失業し、そのうえ四人の子どもをかかえてい
| たため、これまで満足なお正月を迎えたことがなく、雑煮、菓子、くだもの、
| 酒、しることそろったお正月ははじめてでした。「かあちゃんこれからもこ
| こでお正月をしようや」と日本語で喜ぶ子どもたちの姿を見て、本当に来て
| よかったと安心したそうです。
| ★どっちが祖国か
| …女性同盟から日本語のわかる人が来て、手をとって朝鮮語や料理を教え
| てくれたばかりか、大みそかなどは日本式の雑煮を作ってくれたほどの気の
| くばりようです。町でバスに乗っても「どうぞ、どうぞ」と座らされ、かえ
| って恥ずかしいくらいだそうです。
【日本での冷たい目を思うと、どちらが本
| 当の祖国なのかわからなくなる】
こともあるほどで、純粋の日本人である自分
| でさえそう思っているの
これは メッセージ 94715 (yankeejapan さん)への返信です.
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