Voices from the conflict:Sunday 7/16 ②
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2006/07/19 06:32 投稿番号: [93998 / 118550]
COLETTE HAGE MOUSSA, BEIRUT, LEBANON
状態は日ごとに悪くなっています。
私達はいつでも爆撃を聞くことができます。
街全体がカオスに陥れられました。
私達は余りにも恐いので、思い切って通りに出て、ただ食物を買いに
最寄りのスーパーマーケットにこっそり出ることさえできません。
それさえ問題です。
配達も中断しています。
食物を買うために行列している群衆がいます。
頻繁に停電します。
電話は殆どいつも通じません。
最悪なのは、何が起きるのか予測できないことです。
イギリスに住んでいる私の兄は、
自宅に飛行機で帰国できるシリアに入る方法を何とか見つけました。
西欧の大使館が各自の国民を退避させようと努力しているのを聞くと、
私達は忘れ去られているように感じます。
私達はサウジアラビアかシリアに行くことができました。
しかしその行程自体は危険でしょう。
だから今の所私の家族は様子をみる為に留まっています。
このようなちっぽけな、貧しい国が、
これほど激しく攻撃を加えられることは、とても悲しいことです。
観光事業は本当に順調にいっていました。
そして皆が喜んでいました。
私達は母国がそれ自身を取り戻していくのを共に見てきました。
そしてたった数時間で、全てが崩壊しました。
ALON, FROM HAIFA, ISRAEL, NOW IN TEL AVIV
最初のロケットが木曜日に着弾した時、私はハイファにいました。
死傷者はありませんでした。そして概ね平常通りでした。
私のガールフレンドの両親はハイファの地下シェルターにいます。
イスラエルのたいていの街や都市は1967年の六日間戦争以来、
最悪の軍事違反に対してさえ準備を整えてきました。
全ての建物にはシェルターのような安全な部屋があります。
私は状況が今どれほど深刻であるかについて全く驚いていません。
皆がヒズボラが既に弾薬を蓄えていたことを知っていました。
私達はテルアビブの人口密集地に目標を定める可能性について話してきました。
しかし広範囲にわたるパニックはありません。
私は心配しています − 誰も長期の攻撃を望んでいません。
しかし私は少なくとも更に二週間このように続くだろうと思います。
私の主な関心はレバノンの人々のことです。
私はこれ以上いかなる市民も傷つけられるのを見たくありません。
私の最高の希望はレバノン軍がレバノン政府の決定を実施して、
ヒズボラに強硬路線を採らせないことです。
私は数週間以内にハイファに戻るつもりです。
私は必要な用心をするつもりです。しかし私は戻ることを恐れてはいません。
ZINA, BEIRUT, LEBANON
私はもう24時間以上眠っていません。
爆撃によって私は一晩中目を覚まされました。
私はとても怯えているので、ずっと体調が良くありません。
私は山岳地帯にいます。しかし爆撃はとても大きな音なので、
ドアのすぐ外で爆発したように聞こえます。
私の生活はここ数日で完全に変わってしまいました。
火曜日には、友達と笑い、冗談を言っていました。
それからママが水曜日の朝に電話をしてきて、
私を車で拾って、家に連れて帰ると言いました。
私はその時から外出していません。
私はまだたったの20歳です。
このような生活をするのは初めてです。
ロンドンに戻れるのか、再び家族に会えるかどうか心配です。
私が育ったロンドンにいつ退避できるか
イギリス大使館からの電話を待っています。
しかしレバノンは私の国であり、私の家です。
レバノンの黄金の夏になる筈でした。
たくさんの友人がここに滞在しに来ることになっていました。
一つのホテルでは、七時間の内に結婚式が70件キャンセルされました。
私達の経済は破壊されるでしょう。
ヒズボラがハイファを攻撃したので、
マットレスをより安全な廊下に運びました。
窓が粉々になって降り注がないからです。
しかしまた眠れない夜になるでしょう。
状態は日ごとに悪くなっています。
私達はいつでも爆撃を聞くことができます。
街全体がカオスに陥れられました。
私達は余りにも恐いので、思い切って通りに出て、ただ食物を買いに
最寄りのスーパーマーケットにこっそり出ることさえできません。
それさえ問題です。
配達も中断しています。
食物を買うために行列している群衆がいます。
頻繁に停電します。
電話は殆どいつも通じません。
最悪なのは、何が起きるのか予測できないことです。
イギリスに住んでいる私の兄は、
自宅に飛行機で帰国できるシリアに入る方法を何とか見つけました。
西欧の大使館が各自の国民を退避させようと努力しているのを聞くと、
私達は忘れ去られているように感じます。
私達はサウジアラビアかシリアに行くことができました。
しかしその行程自体は危険でしょう。
だから今の所私の家族は様子をみる為に留まっています。
このようなちっぽけな、貧しい国が、
これほど激しく攻撃を加えられることは、とても悲しいことです。
観光事業は本当に順調にいっていました。
そして皆が喜んでいました。
私達は母国がそれ自身を取り戻していくのを共に見てきました。
そしてたった数時間で、全てが崩壊しました。
ALON, FROM HAIFA, ISRAEL, NOW IN TEL AVIV
最初のロケットが木曜日に着弾した時、私はハイファにいました。
死傷者はありませんでした。そして概ね平常通りでした。
私のガールフレンドの両親はハイファの地下シェルターにいます。
イスラエルのたいていの街や都市は1967年の六日間戦争以来、
最悪の軍事違反に対してさえ準備を整えてきました。
全ての建物にはシェルターのような安全な部屋があります。
私は状況が今どれほど深刻であるかについて全く驚いていません。
皆がヒズボラが既に弾薬を蓄えていたことを知っていました。
私達はテルアビブの人口密集地に目標を定める可能性について話してきました。
しかし広範囲にわたるパニックはありません。
私は心配しています − 誰も長期の攻撃を望んでいません。
しかし私は少なくとも更に二週間このように続くだろうと思います。
私の主な関心はレバノンの人々のことです。
私はこれ以上いかなる市民も傷つけられるのを見たくありません。
私の最高の希望はレバノン軍がレバノン政府の決定を実施して、
ヒズボラに強硬路線を採らせないことです。
私は数週間以内にハイファに戻るつもりです。
私は必要な用心をするつもりです。しかし私は戻ることを恐れてはいません。
ZINA, BEIRUT, LEBANON
私はもう24時間以上眠っていません。
爆撃によって私は一晩中目を覚まされました。
私はとても怯えているので、ずっと体調が良くありません。
私は山岳地帯にいます。しかし爆撃はとても大きな音なので、
ドアのすぐ外で爆発したように聞こえます。
私の生活はここ数日で完全に変わってしまいました。
火曜日には、友達と笑い、冗談を言っていました。
それからママが水曜日の朝に電話をしてきて、
私を車で拾って、家に連れて帰ると言いました。
私はその時から外出していません。
私はまだたったの20歳です。
このような生活をするのは初めてです。
ロンドンに戻れるのか、再び家族に会えるかどうか心配です。
私が育ったロンドンにいつ退避できるか
イギリス大使館からの電話を待っています。
しかしレバノンは私の国であり、私の家です。
レバノンの黄金の夏になる筈でした。
たくさんの友人がここに滞在しに来ることになっていました。
一つのホテルでは、七時間の内に結婚式が70件キャンセルされました。
私達の経済は破壊されるでしょう。
ヒズボラがハイファを攻撃したので、
マットレスをより安全な廊下に運びました。
窓が粉々になって降り注がないからです。
しかしまた眠れない夜になるでしょう。
これは メッセージ 93997 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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