イスラエル虐殺年表簡易版
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/07/19 02:01 投稿番号: [93994 / 118550]
1948年
4.19 ペギンの率いるイルグン・ツヴァイ・レウミ団,デール・ヤシン村を襲撃.パレスチナ住民250人全員を虐殺.生き残った村民は,エルサレムまで行進させられ,さらしものにされる.この後恐怖にとりつかれたパレスチナ人の大量脱出が始まる.
5.14 イスラエル建国.
1953年
シャロンの率いるイスラエル軍部隊,ユダヤ人殺害に対する報復としてヨルダン領内のキビア村を襲撃.無抵抗の住民50人を殺害.
1956年
10.29 イスラエル軍,カフム・カシム村で「外出禁止令に違反した」としてパレスチナ住民47人を虐殺.第二次中東戦争を引き起こすための挑発行動と見られる.のちに事件が発覚するが,「単なる技術上の過失」とされ処罰されず.
1972年
9.05 ファタハとPFLPの合同チーム「黒い9月」,ミュンヘン・オリンピックに参加したイスラエルの選手11人を人質にとり立てこもる.ミュンヘン空港の滑走路で西ドイツ特殊部隊と銃撃戦となり,ゲリラ5人,人質9人が犠牲となる.
同9月 イスラエル軍3000人,レバノン南部に侵入.パレスチナ難民キャンプを襲撃し数百人を殺害.ベイルート・ダマスカス間の国道に大量報復爆撃を加える.
1973年
2月 イスラエル軍空軍機がリビア航空機を撃墜.乗客・乗員104人が犠牲となる.
1982年
6.04 シャロン国防相,駐英大使襲撃事件を口実にレバノン侵攻計画「ガラリヤ平和作戦」を発動.イスラエル空軍が2日間にわたりレバノン南部に大規模爆撃を繰り返す.
6.06 イスラエル軍機甲部隊がレバノン国境を越え侵攻.第6次中東戦争(レバノン戦争)が始まる.作戦をともにする「レバノン軍」は,イスラム系民間人を約500人を虐殺.
6.13 イスラエル軍,ベイルートに達し,大統領府を占拠.ダマスカスに通じる国道を封鎖.クラスター爆弾,黄燐爆弾,バンカー・バスターなどの残虐兵器が使用され,この日一日だけで1500人が爆撃により死亡.
6.15 イスラエル軍とファランジストが共同作戦.レバノン警察の調べで1万人が死亡,負傷者は1万7千人にのぼる.
7.05 イスラエル軍,第二波の市内爆撃を開始.1週間にわたり連続.
7.22 イスラエル軍,第三波の市内爆撃を開始.最大規模の爆撃が三週間にわたり連続.
8.04 イスラエル地上軍がベイルート市内に突入.レバノン首相の事務所,レバノン情報省,アンナハル新聞社,フランス国営放送,UPI,AP通信社を破壊.
8.12 1日で4万発の爆弾が投下される.
8.21 フランス軍がベイルート市内に入る.PLOの撤退が開始される.ここまでの死者2万人,負傷者3万人を数える.
9.13 イスラエル軍,ベカー高原のパレスチナ難民キャンプに大規模な爆撃.
9.16 レバノン・フォースは,サブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプに報復攻撃.48時間にわたる作戦でパレスチナ難民三千人が虐殺される.当時,難民キャンプはイスラエル軍が包囲しており,イスラエル軍首脳がキリスト教民兵を侵入させ,逃げ出そうとする民衆を押し返し,民兵の虐殺するに任せた.
1990年
10月 「嘆きの壁発砲事件」が発生.イスラエル軍,東エルサレムのテンプル山で,パレス チナ人22人を射殺.国連安保理はイスラエル非難決議を採択.
11月 この時点でインティファーダの犠牲者は、死者900人、銃撃による重傷4万9000人、打撲傷2万4000人、手足の骨折1万6000人、流産3500人、催涙ガスの負傷者3300人で、投獄されたパレスチナ人は総数2万5000人にのぼる.
1993年
4月 イスラエル軍兵士200人,ガザのハマス支配地区を包囲.30世帯の家をロケット弾で完全に破壊.
7.25 イスラエル空軍,レバノン東部ベカー平原とレバノン南部で,「ヒズボラ」とPFLP・GCの拠点十数ヵ所への攻撃.1週間の空爆で,レバノン側で120人死亡,500人が負傷.住民約25万人が難民化する.イスラエル側でも20数人が死傷.ヒズボラは爆弾攻撃で報復.イスラエル兵7人が死亡する.
1994年
2.25 ヘブロンのユダヤ人入植者,アブラハムモスクに集まったパレスチナ人に向け銃を乱射.29人の死者を出す.
2002年
4.01 イスラエル軍,アラファトの執務するラマラの自治政府議長府を包囲.攻撃を加える.ジェニンのパレスチナ人難民キャンプでは数百人が虐殺される.
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純粋な軍隊同士同士のぶつかり合いによる犠牲はほとんど入れていないし多くのモレもあるだろうが大まかなところだけ。
4.19 ペギンの率いるイルグン・ツヴァイ・レウミ団,デール・ヤシン村を襲撃.パレスチナ住民250人全員を虐殺.生き残った村民は,エルサレムまで行進させられ,さらしものにされる.この後恐怖にとりつかれたパレスチナ人の大量脱出が始まる.
5.14 イスラエル建国.
1953年
シャロンの率いるイスラエル軍部隊,ユダヤ人殺害に対する報復としてヨルダン領内のキビア村を襲撃.無抵抗の住民50人を殺害.
1956年
10.29 イスラエル軍,カフム・カシム村で「外出禁止令に違反した」としてパレスチナ住民47人を虐殺.第二次中東戦争を引き起こすための挑発行動と見られる.のちに事件が発覚するが,「単なる技術上の過失」とされ処罰されず.
1972年
9.05 ファタハとPFLPの合同チーム「黒い9月」,ミュンヘン・オリンピックに参加したイスラエルの選手11人を人質にとり立てこもる.ミュンヘン空港の滑走路で西ドイツ特殊部隊と銃撃戦となり,ゲリラ5人,人質9人が犠牲となる.
同9月 イスラエル軍3000人,レバノン南部に侵入.パレスチナ難民キャンプを襲撃し数百人を殺害.ベイルート・ダマスカス間の国道に大量報復爆撃を加える.
1973年
2月 イスラエル軍空軍機がリビア航空機を撃墜.乗客・乗員104人が犠牲となる.
1982年
6.04 シャロン国防相,駐英大使襲撃事件を口実にレバノン侵攻計画「ガラリヤ平和作戦」を発動.イスラエル空軍が2日間にわたりレバノン南部に大規模爆撃を繰り返す.
6.06 イスラエル軍機甲部隊がレバノン国境を越え侵攻.第6次中東戦争(レバノン戦争)が始まる.作戦をともにする「レバノン軍」は,イスラム系民間人を約500人を虐殺.
6.13 イスラエル軍,ベイルートに達し,大統領府を占拠.ダマスカスに通じる国道を封鎖.クラスター爆弾,黄燐爆弾,バンカー・バスターなどの残虐兵器が使用され,この日一日だけで1500人が爆撃により死亡.
6.15 イスラエル軍とファランジストが共同作戦.レバノン警察の調べで1万人が死亡,負傷者は1万7千人にのぼる.
7.05 イスラエル軍,第二波の市内爆撃を開始.1週間にわたり連続.
7.22 イスラエル軍,第三波の市内爆撃を開始.最大規模の爆撃が三週間にわたり連続.
8.04 イスラエル地上軍がベイルート市内に突入.レバノン首相の事務所,レバノン情報省,アンナハル新聞社,フランス国営放送,UPI,AP通信社を破壊.
8.12 1日で4万発の爆弾が投下される.
8.21 フランス軍がベイルート市内に入る.PLOの撤退が開始される.ここまでの死者2万人,負傷者3万人を数える.
9.13 イスラエル軍,ベカー高原のパレスチナ難民キャンプに大規模な爆撃.
9.16 レバノン・フォースは,サブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプに報復攻撃.48時間にわたる作戦でパレスチナ難民三千人が虐殺される.当時,難民キャンプはイスラエル軍が包囲しており,イスラエル軍首脳がキリスト教民兵を侵入させ,逃げ出そうとする民衆を押し返し,民兵の虐殺するに任せた.
1990年
10月 「嘆きの壁発砲事件」が発生.イスラエル軍,東エルサレムのテンプル山で,パレス チナ人22人を射殺.国連安保理はイスラエル非難決議を採択.
11月 この時点でインティファーダの犠牲者は、死者900人、銃撃による重傷4万9000人、打撲傷2万4000人、手足の骨折1万6000人、流産3500人、催涙ガスの負傷者3300人で、投獄されたパレスチナ人は総数2万5000人にのぼる.
1993年
4月 イスラエル軍兵士200人,ガザのハマス支配地区を包囲.30世帯の家をロケット弾で完全に破壊.
7.25 イスラエル空軍,レバノン東部ベカー平原とレバノン南部で,「ヒズボラ」とPFLP・GCの拠点十数ヵ所への攻撃.1週間の空爆で,レバノン側で120人死亡,500人が負傷.住民約25万人が難民化する.イスラエル側でも20数人が死傷.ヒズボラは爆弾攻撃で報復.イスラエル兵7人が死亡する.
1994年
2.25 ヘブロンのユダヤ人入植者,アブラハムモスクに集まったパレスチナ人に向け銃を乱射.29人の死者を出す.
2002年
4.01 イスラエル軍,アラファトの執務するラマラの自治政府議長府を包囲.攻撃を加える.ジェニンのパレスチナ人難民キャンプでは数百人が虐殺される.
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純粋な軍隊同士同士のぶつかり合いによる犠牲はほとんど入れていないし多くのモレもあるだろうが大まかなところだけ。
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