Re: 現代の戦争被害
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2006/06/18 23:26 投稿番号: [92907 / 118550]
>>しかし、ルールどおりに【中共】は皇軍捕虜に、自分達の食料も無いのに、米を食べさせたり、虐待を戒めたそうです。
>嘘はいけない。
戦争は殺し合いなのに、自分たちが食べるのを我慢して捕虜に米を食べさせるはずがない。
それから「中共」、「皇軍捕虜」ってなんのこと?
当時の中国共産党と、【天皇の軍隊】の事です。
鬼畜の皇軍捕虜を【人間に戻してくれた】中国の捕虜収容所。
感謝しなくてはね。
ちなみに日本は中国国内では、捕虜収容所は作らなかった。即処刑か、強制労働させ、邪魔になれば虐殺。
★中帰連の方の体験弾
・・・
俺たちのやったことはまさに「鬼」の行為ではなかったのか。これが第四の打撃であった。
この戦犯管理所は戦時中は中国の抗日分子や容疑者を入れるために日本侵略者が造った監獄であった。だが日本の戦犯が入ると医療施設・浴場・理髪所・暖房設備があらたに完備された。日本の支配の時代には貧しい暖房施設がつくられてはいたが燃料の石炭はほとんど与えられなかった。紙さえも与えられなかったから便所に入っても服の一部を破いて幾度も使用しなければならなかった。
食事さえろくに与えられず労務は苛酷であった。少しでも反抗すれば激しい鞭打ちと独房での鉄鎖が待っていたのである。この話は当時この監獄の獄吏であった者の話であり、この獄吏は今戦犯として管制されていた。
さらにかつて勾留されていた中国人が、今監視員の一人であることも分かった。
中国の監視員は中央政府の方針と指示にしたがって戦犯の管理に当たっていたので、管理所長は常に「政府と党の方針」を強調した。
監視員は戦犯たちの前では個人的感情を表すことはなかった。戦犯の方がどなり声をあげても監視員が怒ったり殴ったことは一度もなかった。
食事は初期はあまり良いものではなかったが、
【腹一杯を保証しいくらでも追加要求に応じ、ときには新しく炊いて補充した。】
管制の初期には中国全体が大変貧しかった。
十五年の日中戦争、その後の国内戦争、新中国建国直後の朝鮮戦争などと打ち続く戦乱の中で国土のすべてが荒廃していた。
だから日本戦犯をとくに優遇することはできないし、またそうする理由はさらになかったことは言うまでもない。
だが戦犯の方は腹一杯食べながらも不平不満をかこつ生活でありすべてに怠惰であった。
やがて多くの者に手足のしびれや局部の麻痺症状がではじめた。
管理所当局は「我々は管理されたことはあっても管理したことがなく不慣れであった。自分たちと同じ食事を与えておればよいと思っていたが、皆の健康状態がよくないのでこれから改善する」と伝達した。
直ちに多数の医師を派遣してくわしく診断し、運動時間を大幅にふやした。
看護婦は毎日健康状態を聞き薬をくばって回った。
食事は大幅に改善され戦犯の中から経験者をえらび炊事場での調理に参加させた。
【三度の食事は白米となり魚・肉・野菜は豊かになり、うどん・まんじゅう・くだもの】
とどうしてこんなにも丁重にするのかと思うこともあった。
炊事場に参加した者の話では管理員の食事は以前戦犯に与えていた時のままであると言う。これはかつて日本人が中国人にしたのとは全く反対の姿勢であり態度である。
管理所当局はこれも「政府と党の政策」であると説明している。一体どうしてこのようにするのか?どうしてこんなことが出来るのか?
今までの戦犯たちの常識では考えられないことである。これが第五の打撃であった。この打撃は大変痛いものであり、恥ずかしささえ覚えた。
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/02/kunitomo_taiken.htm
>>また、米軍捕虜になった親戚から聞きましたが
【米軍は食料を与え、医療を施し、英語も教えてくれた】・・・と
これもルールが有効だった例でしょう。
>そういうラッキーな人もいたというだけのこと。
それだけでルールが有効だったなどと決め付けることはできない。
虐殺されて闇に葬られてしまった捕虜も多数いるはず。
そういう人は証言ができないからそういう話もない。
当時の捕虜虐殺については、日本のほうがはるかに酷かったという事。
沖縄の民間人も、米軍捕虜になれば【食料ももらえる】と分かっていたが、
米軍に救いを請えば、皇軍兵に殺された。
>米軍は人権意識がある現代でさえも捕虜を虐待しているのだよ。
>嘘はいけない。
戦争は殺し合いなのに、自分たちが食べるのを我慢して捕虜に米を食べさせるはずがない。
それから「中共」、「皇軍捕虜」ってなんのこと?
当時の中国共産党と、【天皇の軍隊】の事です。
鬼畜の皇軍捕虜を【人間に戻してくれた】中国の捕虜収容所。
感謝しなくてはね。
ちなみに日本は中国国内では、捕虜収容所は作らなかった。即処刑か、強制労働させ、邪魔になれば虐殺。
★中帰連の方の体験弾
・・・
俺たちのやったことはまさに「鬼」の行為ではなかったのか。これが第四の打撃であった。
この戦犯管理所は戦時中は中国の抗日分子や容疑者を入れるために日本侵略者が造った監獄であった。だが日本の戦犯が入ると医療施設・浴場・理髪所・暖房設備があらたに完備された。日本の支配の時代には貧しい暖房施設がつくられてはいたが燃料の石炭はほとんど与えられなかった。紙さえも与えられなかったから便所に入っても服の一部を破いて幾度も使用しなければならなかった。
食事さえろくに与えられず労務は苛酷であった。少しでも反抗すれば激しい鞭打ちと独房での鉄鎖が待っていたのである。この話は当時この監獄の獄吏であった者の話であり、この獄吏は今戦犯として管制されていた。
さらにかつて勾留されていた中国人が、今監視員の一人であることも分かった。
中国の監視員は中央政府の方針と指示にしたがって戦犯の管理に当たっていたので、管理所長は常に「政府と党の方針」を強調した。
監視員は戦犯たちの前では個人的感情を表すことはなかった。戦犯の方がどなり声をあげても監視員が怒ったり殴ったことは一度もなかった。
食事は初期はあまり良いものではなかったが、
【腹一杯を保証しいくらでも追加要求に応じ、ときには新しく炊いて補充した。】
管制の初期には中国全体が大変貧しかった。
十五年の日中戦争、その後の国内戦争、新中国建国直後の朝鮮戦争などと打ち続く戦乱の中で国土のすべてが荒廃していた。
だから日本戦犯をとくに優遇することはできないし、またそうする理由はさらになかったことは言うまでもない。
だが戦犯の方は腹一杯食べながらも不平不満をかこつ生活でありすべてに怠惰であった。
やがて多くの者に手足のしびれや局部の麻痺症状がではじめた。
管理所当局は「我々は管理されたことはあっても管理したことがなく不慣れであった。自分たちと同じ食事を与えておればよいと思っていたが、皆の健康状態がよくないのでこれから改善する」と伝達した。
直ちに多数の医師を派遣してくわしく診断し、運動時間を大幅にふやした。
看護婦は毎日健康状態を聞き薬をくばって回った。
食事は大幅に改善され戦犯の中から経験者をえらび炊事場での調理に参加させた。
【三度の食事は白米となり魚・肉・野菜は豊かになり、うどん・まんじゅう・くだもの】
とどうしてこんなにも丁重にするのかと思うこともあった。
炊事場に参加した者の話では管理員の食事は以前戦犯に与えていた時のままであると言う。これはかつて日本人が中国人にしたのとは全く反対の姿勢であり態度である。
管理所当局はこれも「政府と党の政策」であると説明している。一体どうしてこのようにするのか?どうしてこんなことが出来るのか?
今までの戦犯たちの常識では考えられないことである。これが第五の打撃であった。この打撃は大変痛いものであり、恥ずかしささえ覚えた。
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/02/kunitomo_taiken.htm
>>また、米軍捕虜になった親戚から聞きましたが
【米軍は食料を与え、医療を施し、英語も教えてくれた】・・・と
これもルールが有効だった例でしょう。
>そういうラッキーな人もいたというだけのこと。
それだけでルールが有効だったなどと決め付けることはできない。
虐殺されて闇に葬られてしまった捕虜も多数いるはず。
そういう人は証言ができないからそういう話もない。
当時の捕虜虐殺については、日本のほうがはるかに酷かったという事。
沖縄の民間人も、米軍捕虜になれば【食料ももらえる】と分かっていたが、
米軍に救いを請えば、皇軍兵に殺された。
>米軍は人権意識がある現代でさえも捕虜を虐待しているのだよ。
これは メッセージ 92872 (richard_cheney_jr さん)への返信です.
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