マッカーサーが原爆反対?
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2006/06/12 23:45 投稿番号: [92647 / 118550]
本当ですか?
朝鮮戦争時にマッカーサーは【原爆投下を企図し】ていますが。
>この原爆の日本への使用については、後に共和党大統領となるアイゼンハワーなどが猛反対しており、
>共和党支持者の米陸海軍の将軍たち(マッカーサーも含む)は全員が反対意見を具申している。
日本に対してだけは、反対だったのでしょうか?
参考までに ↓
★ナパーム弾は、有名な報道写真で示されたようにヴェトナム戦争では大問題となったが、
「朝鮮半島にはヴェトナムをはるかに上回る数のナパーム弾が投下され、
ヴェトナムなどは比較にならないほど極めて凄惨な影響を及ぼした。
というのは、北朝鮮には人口密集地や都市産業施設が北ヴェトナムよりかなり多くあったからだ。
加えて、当時の『業界』雑誌に掲載された多数の記事が物語るように、米空軍はナパーム弾を偏愛していたのである。」
著者は、朝鮮戦争時にナパーム弾を浴びて何の治療もされず、体中がかさぶたで覆われたままになってしまった被害者の悲惨な姿を、実際に韓国の町で見ている。
【しかし、米国で、ナパーム弾の被害を報じる「扇情的記事」は、事前に発行を停めるために、検閲当局に報告されるのであった。】
アメリカにとっては「限定戦争」であったが、
「北朝鮮の人々はナパームで焼き殺される日常的な脅威に、三年もの間向き合ってきたのである。」
「第二次世界大戦中の爆撃に関する研究により、民間人を攻撃するとかえって敵の攻撃が強まることが分かっていた。にもかかわらず、米軍当局は、空爆を社会全体に影響を及ぼす心理作戦の一種として活用しようとしていた。」
また、1953年、米空軍は、
【朝鮮に残された唯一の基幹産業である農業の壊滅を狙って、田植え直後にダムを破壊した。】
「米空軍は次のように、自らがもたらした破壊の効果に満足していた。
「発生した鉄砲水が下流の低地に流れ込み、43キロメートルにわたりあらゆるものを押し流し、濁流が、
[補給路その他を]跡形もなく消し去った。
……アジア人にとり[米を]失うことがどれほど悲惨か、西洋人には想像もつかない
−−飢餓と、緩慢なる死とが訪れるのである。」
■北朝鮮に対する原爆投下計画−−広島・長崎に続いて北朝鮮でも
【さらにマッカーサーは、原爆の使用をも視野に入れていた。】
「当時、ソ連が報復攻撃に出る可能性は低いと考えられていた。というのは、米国が少なくとも450発の核爆弾を保持していたのに対し、ソ連は25発しか持っていなかったからである。」
「マッカーサーには10日で戦争を終わらせるもくろみがあった。
『満州の喉元を横切るように……30発から50発の原爆を投下』しておいてから、
50万の中国国民党軍兵士を鴨緑江沿いに展開させる計画だったという。
そうすれば、「われわれの背後に−−日本海から黄海まで−−放射性コバルトのベルト地帯ができあがる
……活性化している期間は、60年から120年だ。
少なくとも60年間、北方から朝鮮半島に陸路で侵入することは不可能になる。」
こうした好戦性は、マッカーサーだけが持っているわけでもなかった。
トルーマン大統領も原爆の使用をちらつかせ、
日本に原爆を落とした経験のある米極東空軍司令官や、
アルバート・ゴア下院議員(アル・ゴアの父親)、
そしてマッカーサーの後任もまた原爆の使用を提案していた。
1951年9月から10月にかけては、沖縄の基地を飛び立ったB29が「北朝鮮上空に侵入して原爆投下の模擬訓練を行」うことまでやってのけている。・・
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/bruce_cumings.htm
朝鮮戦争時にマッカーサーは【原爆投下を企図し】ていますが。
>この原爆の日本への使用については、後に共和党大統領となるアイゼンハワーなどが猛反対しており、
>共和党支持者の米陸海軍の将軍たち(マッカーサーも含む)は全員が反対意見を具申している。
日本に対してだけは、反対だったのでしょうか?
参考までに ↓
★ナパーム弾は、有名な報道写真で示されたようにヴェトナム戦争では大問題となったが、
「朝鮮半島にはヴェトナムをはるかに上回る数のナパーム弾が投下され、
ヴェトナムなどは比較にならないほど極めて凄惨な影響を及ぼした。
というのは、北朝鮮には人口密集地や都市産業施設が北ヴェトナムよりかなり多くあったからだ。
加えて、当時の『業界』雑誌に掲載された多数の記事が物語るように、米空軍はナパーム弾を偏愛していたのである。」
著者は、朝鮮戦争時にナパーム弾を浴びて何の治療もされず、体中がかさぶたで覆われたままになってしまった被害者の悲惨な姿を、実際に韓国の町で見ている。
【しかし、米国で、ナパーム弾の被害を報じる「扇情的記事」は、事前に発行を停めるために、検閲当局に報告されるのであった。】
アメリカにとっては「限定戦争」であったが、
「北朝鮮の人々はナパームで焼き殺される日常的な脅威に、三年もの間向き合ってきたのである。」
「第二次世界大戦中の爆撃に関する研究により、民間人を攻撃するとかえって敵の攻撃が強まることが分かっていた。にもかかわらず、米軍当局は、空爆を社会全体に影響を及ぼす心理作戦の一種として活用しようとしていた。」
また、1953年、米空軍は、
【朝鮮に残された唯一の基幹産業である農業の壊滅を狙って、田植え直後にダムを破壊した。】
「米空軍は次のように、自らがもたらした破壊の効果に満足していた。
「発生した鉄砲水が下流の低地に流れ込み、43キロメートルにわたりあらゆるものを押し流し、濁流が、
[補給路その他を]跡形もなく消し去った。
……アジア人にとり[米を]失うことがどれほど悲惨か、西洋人には想像もつかない
−−飢餓と、緩慢なる死とが訪れるのである。」
■北朝鮮に対する原爆投下計画−−広島・長崎に続いて北朝鮮でも
【さらにマッカーサーは、原爆の使用をも視野に入れていた。】
「当時、ソ連が報復攻撃に出る可能性は低いと考えられていた。というのは、米国が少なくとも450発の核爆弾を保持していたのに対し、ソ連は25発しか持っていなかったからである。」
「マッカーサーには10日で戦争を終わらせるもくろみがあった。
『満州の喉元を横切るように……30発から50発の原爆を投下』しておいてから、
50万の中国国民党軍兵士を鴨緑江沿いに展開させる計画だったという。
そうすれば、「われわれの背後に−−日本海から黄海まで−−放射性コバルトのベルト地帯ができあがる
……活性化している期間は、60年から120年だ。
少なくとも60年間、北方から朝鮮半島に陸路で侵入することは不可能になる。」
こうした好戦性は、マッカーサーだけが持っているわけでもなかった。
トルーマン大統領も原爆の使用をちらつかせ、
日本に原爆を落とした経験のある米極東空軍司令官や、
アルバート・ゴア下院議員(アル・ゴアの父親)、
そしてマッカーサーの後任もまた原爆の使用を提案していた。
1951年9月から10月にかけては、沖縄の基地を飛び立ったB29が「北朝鮮上空に侵入して原爆投下の模擬訓練を行」うことまでやってのけている。・・
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/bruce_cumings.htm
これは メッセージ 92620 (kuriharatoru さん)への返信です.
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