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「自己の死の体験」論

投稿者: masajuly2001 投稿日時: 2006/04/15 17:38 投稿番号: [90638 / 118550]
金魚の糞を相手にするのも飽きたので、無前提に「自己の死の体験」は存在しない、と思っているyankeejapanくんのアホらしさを指摘してあげよう。前提を付けたとき、一番単純なのは、「自己の死の体験」は有意味な日本語として存在するか、と問うてみればいい。誰だったかも覚えていないが、その者も納得してしまったわけだから、有意味な日本語として存在していることになるだろう。逆に言えば、有意味な日本語として「自己の死の体験」は存在するか、と問えば、答えは「存在する」だ。

まあ、これはあまりにも単純なので、別の前提で考えてみよう。例えば、単に「自己」というとき、それは特定個人の自己を前提にしていない。ということは、誰の自己でもいいのだ。ということは、知人が亡くなったと仮定すると、その知人は「自己の死を体験」したことになる。まあ、細かに「死」を見ていくと、これを体験と言えるかどうかは、かなり微妙だけどね。

さらに進めて、「自己」とは「身体的な自己」か「精神的な自己」のどちらなのか、と問うこともできる。「精神としての自己の死の体験」をしている人は現実にけっこういるだろう。また、違った意味で脳死体験というのも、認識論的には「精神としての自己の死の体験」の一つと言えるかもしれない。

yankeejapanくんは、「自己」を「自分」の意味で使ったのだろう。しかし、この場合も、「自己の死の体験」は存在する。生ある者には必ず死がある。ただ、現在は体験していないだけで、未来には必ず体験する。

こうなると、前提の有無、また前提条件がいかに重要かが理解できるだろう。前提を考えないことは、幼稚であり、もし大の大人がそれをやったとすれば、大人になってもまだ、異なる考え、視点をもった他者というものを意識していない平和ボケのマヌケということになる。同種の人間の仲間内だけで、何も考えず、のんべんだらりとした生活を送れてきたんだろう。まあ、これまで幸せで良かったね、ってところでしょうか。
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