ジョージW.ブッシュと憲法
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/04/06 00:29 投稿番号: [90072 / 118550]
George W. Bush Vs. The Constitution
http://www.cbsnews.com/stories/2006/02/21/opinion/main1334435.shtml
私達の歴史上、憲法が保証する自由は、戦時中繰り返し行き過ぎた政府によって脅かされ、その後平時に、より冷静な指導者によって再確認されてきた。1798年の外国人法および治安法、リンカーン大統領の人身保護令状の停止、第一次世界大戦中とその後の言論の自由の抑圧、第二次世界大戦中の日系人の強制収容、マッカーシズム、そしてベトナム時代の反対派への盗聴、これらは全て一旦恐怖が静まると、私達の自由の侵害、そして私達の負の遺産とみなされた。
ジョージ・ブッシュ大統領の時代は、憲法上の権利を犠牲にした、もう一つの行き過ぎの時代だ。しかし、すぐに正される見通しは薄い。戦争自体が終わったという事実以上に、それ以前の抑圧を終わらせるのを助けたものはない。そして終わりのない「対テロ戦争」という概念ほど、私達の自由を無期限に危険に晒すものはない。
大統領はこの国の敵だと自らが決めたアメリカ市民を投獄する、固有の権力を主張している。令状を取る必要も、彼らに罪状を説明する必要も、その他権利の章典に保証された不当な処罰に対する保護措置に従う必要もないとしている。彼の政権は拷問に等しい囚人の非人道的な扱いを行った。そして議会がそのような扱いを禁止する法律を通過させると、彼はその法律は独自の方法で解釈すると宣言した。そしてアメリカ人を令状無しに監視する秘密プログラムを命じた。
しかしこれらのどの具体的な職権乱用や権利侵害よりも危険なものがある。それはブッシュ大統領がこれらの行動を正当化するために持ちだした、固有の権限という理論であり、それが屈従的な議会によって事実上制度化されること、そして何より悪いのは、服従的な最高裁判所によって認められることだ。
私の懸念はロバート・H・ジャクソン判事がコレマツ裁判で反対意見を書いたときに述べたものに類似している。戦争中の1944年に日系アメリカ人の強制収容を命じた軍事命令の合憲性を支持した、悪名高い最高裁判決だ。そのプログラムを支持した司法解釈は、「命令自体の発布以上に、自由に対する
遙かに油断のならない打撃だ」と彼は書いた。その命令の有効性を確認することで、「裁判所は犯罪的手続きの中での人種差別と、アメリカ市民の強制移住の原則が、いつでも有効であると確認した。その原則は装填された武器のようにどの権力の手にも用意され、いつでも緊急の必要というもっとらしい主張として持ち出される」今日の本当の危険は、ブッシュ大統領とその擁護者が、将来の大統領の手に渡そうとしている装填された武器だ。彼の党のメンバーでも、その危険を察知し、それを止めるために行動すべきだ。
アメリカ人はブッシュ大統領の行動に対し、反応が鈍かった。なぜなら彼らの大多数は「対テロ戦争」の主要な標的であるアラブ人ではないからだ。しかしブッシュ大統領が傷つけている原則は、私達全てを守っているものだ。憲法は大統領の権限を議会や裁判所と分けている。義務的な協議の制度を作るためだ。それで不正な行為や権力の乱用が不可能になるわけではないが、その可能性を減じる。その制度は、もしそれら権力の座にある者が私達の伝統を思い出すことが出来ないなら、少なくとも将来権力の座を離れた自らを想像できることを求めている。
それほど遠くない昔、最高裁判所はブッシュ大統領が退けたチェック機能を回復するために頼られた。
しかし大統領の二人の指名候補が承認されたことから、裁判所の方向は変わったかも知れない。新しい判事達の共通点は、単にその政治的保守主義ではない。行政権限の幅広い解釈を支持してきた歴史でもある。
変化した裁判所と、戦争が永遠に続きそうなことが合わさった効果は、私達の憲法の枠組み全体を過激に歪めてしまいかねない。最近議会共和党では、ブッシュ大統領の監視プログラムの合法性に疑問を表明する議員が増えている。しかし本当の闘いは、幅広い政策に適用される総合的な原則を巡るものだ。
もちろんもし有権者が2008年の選挙で民主党の大統領を選んだら、恐らく裁判所の新しい判事でさえ、大統領の固有の権限を制限する、憲法上の理由を見つけるかも知れない。私はこれだけが唯一の希望だと言っているのではない。しかし民主主義では、権力の座を離れた後のことを想像できない者は、改めてそれを経験しなければならない。
(訳が正確かどうか知んね。気になれば自分で訳すこと)
http://www.cbsnews.com/stories/2006/02/21/opinion/main1334435.shtml
私達の歴史上、憲法が保証する自由は、戦時中繰り返し行き過ぎた政府によって脅かされ、その後平時に、より冷静な指導者によって再確認されてきた。1798年の外国人法および治安法、リンカーン大統領の人身保護令状の停止、第一次世界大戦中とその後の言論の自由の抑圧、第二次世界大戦中の日系人の強制収容、マッカーシズム、そしてベトナム時代の反対派への盗聴、これらは全て一旦恐怖が静まると、私達の自由の侵害、そして私達の負の遺産とみなされた。
ジョージ・ブッシュ大統領の時代は、憲法上の権利を犠牲にした、もう一つの行き過ぎの時代だ。しかし、すぐに正される見通しは薄い。戦争自体が終わったという事実以上に、それ以前の抑圧を終わらせるのを助けたものはない。そして終わりのない「対テロ戦争」という概念ほど、私達の自由を無期限に危険に晒すものはない。
大統領はこの国の敵だと自らが決めたアメリカ市民を投獄する、固有の権力を主張している。令状を取る必要も、彼らに罪状を説明する必要も、その他権利の章典に保証された不当な処罰に対する保護措置に従う必要もないとしている。彼の政権は拷問に等しい囚人の非人道的な扱いを行った。そして議会がそのような扱いを禁止する法律を通過させると、彼はその法律は独自の方法で解釈すると宣言した。そしてアメリカ人を令状無しに監視する秘密プログラムを命じた。
しかしこれらのどの具体的な職権乱用や権利侵害よりも危険なものがある。それはブッシュ大統領がこれらの行動を正当化するために持ちだした、固有の権限という理論であり、それが屈従的な議会によって事実上制度化されること、そして何より悪いのは、服従的な最高裁判所によって認められることだ。
私の懸念はロバート・H・ジャクソン判事がコレマツ裁判で反対意見を書いたときに述べたものに類似している。戦争中の1944年に日系アメリカ人の強制収容を命じた軍事命令の合憲性を支持した、悪名高い最高裁判決だ。そのプログラムを支持した司法解釈は、「命令自体の発布以上に、自由に対する
遙かに油断のならない打撃だ」と彼は書いた。その命令の有効性を確認することで、「裁判所は犯罪的手続きの中での人種差別と、アメリカ市民の強制移住の原則が、いつでも有効であると確認した。その原則は装填された武器のようにどの権力の手にも用意され、いつでも緊急の必要というもっとらしい主張として持ち出される」今日の本当の危険は、ブッシュ大統領とその擁護者が、将来の大統領の手に渡そうとしている装填された武器だ。彼の党のメンバーでも、その危険を察知し、それを止めるために行動すべきだ。
アメリカ人はブッシュ大統領の行動に対し、反応が鈍かった。なぜなら彼らの大多数は「対テロ戦争」の主要な標的であるアラブ人ではないからだ。しかしブッシュ大統領が傷つけている原則は、私達全てを守っているものだ。憲法は大統領の権限を議会や裁判所と分けている。義務的な協議の制度を作るためだ。それで不正な行為や権力の乱用が不可能になるわけではないが、その可能性を減じる。その制度は、もしそれら権力の座にある者が私達の伝統を思い出すことが出来ないなら、少なくとも将来権力の座を離れた自らを想像できることを求めている。
それほど遠くない昔、最高裁判所はブッシュ大統領が退けたチェック機能を回復するために頼られた。
しかし大統領の二人の指名候補が承認されたことから、裁判所の方向は変わったかも知れない。新しい判事達の共通点は、単にその政治的保守主義ではない。行政権限の幅広い解釈を支持してきた歴史でもある。
変化した裁判所と、戦争が永遠に続きそうなことが合わさった効果は、私達の憲法の枠組み全体を過激に歪めてしまいかねない。最近議会共和党では、ブッシュ大統領の監視プログラムの合法性に疑問を表明する議員が増えている。しかし本当の闘いは、幅広い政策に適用される総合的な原則を巡るものだ。
もちろんもし有権者が2008年の選挙で民主党の大統領を選んだら、恐らく裁判所の新しい判事でさえ、大統領の固有の権限を制限する、憲法上の理由を見つけるかも知れない。私はこれだけが唯一の希望だと言っているのではない。しかし民主主義では、権力の座を離れた後のことを想像できない者は、改めてそれを経験しなければならない。
(訳が正確かどうか知んね。気になれば自分で訳すこと)
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