「ホワイトハウスとPLO」NHKBS①
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2005/11/21 03:55 投稿番号: [84705 / 118550]
「ホワイトハウスとPLO」宿敵との極秘情報ルート
NHKBS(2005.11.7)
「できるだけ早い段階から、宿敵と親しくなることが大事なんです。
そうしなければ、相手の動向を完全に見失ってしまうことになります」
(元国防総省情報アナリスト・アンソニー・コーズマン)
アリ・ハッサン・サラーマは
アラファトから警護隊フォース17を組織するよう命じられました。
サラーマのニックネームは「赤い王子」、「黒い九月」に所属
70年代初頭、レバノンで次第に追い詰められつつあったアラファトは
宿敵CIAとの対話を試みることを決意
サラーマがその大役を任されました。
CIAのロバート・エイムズとベイルートで接触
1972年ミュンヘン・オリンピック選手村での人質事件で
イスラエル政府は、サラーマをテロ事件の首謀者と特定
しかしCIAはサラーマとの協力関係を保持。
1973年夏、ベイルートのイスラエル情報部員は
サラーマとCIAの親密な関係についてイスラエル政府に警告を発する。
イスラエルは、アメリカに「サラーマはアメリカの協力者か、そうだと
認めるなら、そっとしておくが、そうでないなら殺害する」と問い合わせる。
米側は、肯定も否定もせず。
サラーマはレバノンのミス・ユニバースと結婚
1974年国連総会でのアラファトの「銃とオリーブの枝」演説
サラーマはアラファトの直ぐ後ろに付き添う。
総会前に、サラーマとエイムズはニューヨークで接触
パレスチナ側はレバノンでのアメリカの権益を守り
今後のテロ攻撃についてアメリカに警告を発すると約束。
見返りにアメリカは国連総会でのアラファトの演説を阻止しないと約束
「PLOは米大使館がテロ攻撃を受けないように保護すると約束」
(米国家安全保障会議ウィリアム・クアント)
1974年以降「黒い九月」の活動停止を決定
「PLOは米人居住地区を守り、米の権益を守りました。
危険がある時は警告を発しました。
米人が殺害される事件は一つも起きなかった」
(元CIAテロ対策責任者ヴィンセント・カニストラロ)
1975年キッシンジャー、77年カーター「PLOと交渉せず、承認せず」発言
1976年サラーマ夫妻を米CIA本部に招待
(当時のCIA長官はジョージ・ブッシュ)
1979年イスラエルがサラーマ暗殺
「イスラエルにとってサラーマと米の関係は脅威だったのです」
(元CIAテロ対策責任者ヴィンセント・カニストラロ)
1982年イスラエル軍レバノン侵攻
PLOレバノン追放
「皮肉なことにレバノンでの米人の安全を保障していたのは
パレスチナ人でしたから、その保証も消えてしまったのです」
CIAとPLOの接触もその後十年間途絶える。
戦艦ニュージャージーがシーア派の村々を砲撃
1983年ベイルート米大使館爆破事件:エイムズも死亡
1993年オスロ合意
1994年アラファトはフォース17に警護されガザに帰還
ジブリル・ラジューブ(治安部隊長官)
(17年間イスラエルの刑務所で服役)
米はかつてのサラーマの役割をラジューブに期待
治安部隊の使命は、イスラエルや米と連携して
ハマスなどの武装組織の活動を抑制することでした。
ラジューブはジレンマに陥りました。
パレスチナ人を守る為に同じパレスチナ人と戦わなければならなかったから
和平を裏切り行為と考える人々はラジューブを敵視
度重なる暴力の応酬で和平プロセスが脅かされた時、CIAが再び動きだす
「CIAの目的は純粋に治安を維持することでした」
(元米側交渉責任者デニス・ロス)
クリントン大統領は、CIAを通じ
ラジューブと治安部隊に数千万ドルを支給するよう指示
「イスラエルの治安部隊がどれ程強力でも、それだけでは効果がありません。
パレスチナ人の社会で活動できるパレスチナ人の治安部隊員を確保することが
必要です。そうでなければテロを完全に抑制することは不可能なのです」
(元米国務次官補ロバート・ベルトルー)
NHKBS(2005.11.7)
「できるだけ早い段階から、宿敵と親しくなることが大事なんです。
そうしなければ、相手の動向を完全に見失ってしまうことになります」
(元国防総省情報アナリスト・アンソニー・コーズマン)
アリ・ハッサン・サラーマは
アラファトから警護隊フォース17を組織するよう命じられました。
サラーマのニックネームは「赤い王子」、「黒い九月」に所属
70年代初頭、レバノンで次第に追い詰められつつあったアラファトは
宿敵CIAとの対話を試みることを決意
サラーマがその大役を任されました。
CIAのロバート・エイムズとベイルートで接触
1972年ミュンヘン・オリンピック選手村での人質事件で
イスラエル政府は、サラーマをテロ事件の首謀者と特定
しかしCIAはサラーマとの協力関係を保持。
1973年夏、ベイルートのイスラエル情報部員は
サラーマとCIAの親密な関係についてイスラエル政府に警告を発する。
イスラエルは、アメリカに「サラーマはアメリカの協力者か、そうだと
認めるなら、そっとしておくが、そうでないなら殺害する」と問い合わせる。
米側は、肯定も否定もせず。
サラーマはレバノンのミス・ユニバースと結婚
1974年国連総会でのアラファトの「銃とオリーブの枝」演説
サラーマはアラファトの直ぐ後ろに付き添う。
総会前に、サラーマとエイムズはニューヨークで接触
パレスチナ側はレバノンでのアメリカの権益を守り
今後のテロ攻撃についてアメリカに警告を発すると約束。
見返りにアメリカは国連総会でのアラファトの演説を阻止しないと約束
「PLOは米大使館がテロ攻撃を受けないように保護すると約束」
(米国家安全保障会議ウィリアム・クアント)
1974年以降「黒い九月」の活動停止を決定
「PLOは米人居住地区を守り、米の権益を守りました。
危険がある時は警告を発しました。
米人が殺害される事件は一つも起きなかった」
(元CIAテロ対策責任者ヴィンセント・カニストラロ)
1975年キッシンジャー、77年カーター「PLOと交渉せず、承認せず」発言
1976年サラーマ夫妻を米CIA本部に招待
(当時のCIA長官はジョージ・ブッシュ)
1979年イスラエルがサラーマ暗殺
「イスラエルにとってサラーマと米の関係は脅威だったのです」
(元CIAテロ対策責任者ヴィンセント・カニストラロ)
1982年イスラエル軍レバノン侵攻
PLOレバノン追放
「皮肉なことにレバノンでの米人の安全を保障していたのは
パレスチナ人でしたから、その保証も消えてしまったのです」
CIAとPLOの接触もその後十年間途絶える。
戦艦ニュージャージーがシーア派の村々を砲撃
1983年ベイルート米大使館爆破事件:エイムズも死亡
1993年オスロ合意
1994年アラファトはフォース17に警護されガザに帰還
ジブリル・ラジューブ(治安部隊長官)
(17年間イスラエルの刑務所で服役)
米はかつてのサラーマの役割をラジューブに期待
治安部隊の使命は、イスラエルや米と連携して
ハマスなどの武装組織の活動を抑制することでした。
ラジューブはジレンマに陥りました。
パレスチナ人を守る為に同じパレスチナ人と戦わなければならなかったから
和平を裏切り行為と考える人々はラジューブを敵視
度重なる暴力の応酬で和平プロセスが脅かされた時、CIAが再び動きだす
「CIAの目的は純粋に治安を維持することでした」
(元米側交渉責任者デニス・ロス)
クリントン大統領は、CIAを通じ
ラジューブと治安部隊に数千万ドルを支給するよう指示
「イスラエルの治安部隊がどれ程強力でも、それだけでは効果がありません。
パレスチナ人の社会で活動できるパレスチナ人の治安部隊員を確保することが
必要です。そうでなければテロを完全に抑制することは不可能なのです」
(元米国務次官補ロバート・ベルトルー)
これは メッセージ 80799 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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