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滑稽な歴史歪曲論者達2

投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2005/11/04 01:37 投稿番号: [83939 / 118550]
「ティンパーリーは南京戦当時、南京にいた事実はない」

ティンパーリーは、1937年5月初めに上海から南京に移り、すぐ Elizabeth Chambers と知り合い、8月28日に英国領事館(大使館)で結婚。9月4日に、書籍・資料・家財道具などをハルク(廃船)に置いて、午後6時の列車で16個の荷物と共に南京を出発したおり、1937年11月末(12月末を訂正)から1月初めにかけては、他のジャーナリストがしたように漢口で取材をし、蒋介石にインタビューしているが「曾虚白」はその事実を知らなかった。

「剛巧有両個外国人、留在南京目睹這惨劇的進展;一位是英国曼徹斯特導報記者田伯烈,一位是美国教授史邁士。」[『曾虚白自伝(上集)』p.200] (巧まずして二人の外国人が、南京に滞在しこの惨劇の進展を目撃した、一人はイギリスのマンチェスター・ガーディアン紙の記者ティンパーリーであり、もう一人はアメリカのスマイス教授である)   『曽虚白自伝』より

曾虚白は意訳の多い中国語訳『外人目賭中之日軍暴行』を書き上げられた後、初めて読んで自分の手柄のように語っているだけ。

国民党国際宣伝処の設立は1937年11月で曽虚白が宣伝処長に就任。

ティンパーリーが「WHAT WAR MEANS」を書き上げたのは1938年4月。

「WHAT WAR MEANS」を国民党国際宣伝処が依頼して書かせたのなら曽虚白が当時、ティンパーリーが南京にいなかった事実を知らないはずもなし。

国民党国際宣伝処は書き上げられた著作の出版を資金援助しただけ。

これが縁で後日、ティンパーリーはトランスパシフィック・ニュースサービス(国際宣伝処のアメリカでの広報会社)の設立や運営に関わることになる。(1939年頃?)

そもそもティンパリーの著作は南京の国際安全委員会のメンバーだったベーツ、フィッチらの報告の編著でありティンパリーに虚偽を書く余地はない。

ティンパリーが書いたのは序文、彼らの原稿の前に付け加えられた解説と最後の結論だけなんだから。

さて、断片的な情報や曽虚白の自伝の誇張された部分だけを取り上げ勝手な解釈を加えて事実を歪曲してるのは誰かな♪

大笑い♪
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