桶狭間の戦い
投稿者: battamama 投稿日時: 2005/09/18 03:01 投稿番号: [80435 / 118550]
海外メディアが、こぞって小泉首相を評価・賞賛するのに対して、日本の月刊・週刊誌のほとんどが小泉首相に対して批判的だ。双方の物事のとらえ方・メンタリティーの違いが如実に現れている。
以下は、郵政民営化バトルの経緯を「自民党を壊した男」より抜粋。
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小泉はどうしてこれほどまでに、郵政民営化に執念を燃やすのか。
旧大蔵政務次官を務めた小泉は、20年以上前から郵政民営化論を唱えてきた。由瓶貯金、簡易保険に集まった巨額の資金が、第二の予算と言われた財政投融資制度を通じて道路公団など特殊法人に流れ、民間部門を圧迫してきた。小泉はこの「官僚システム」の解体のため、「入り口」の郵政事業と「出口」の特殊法人の双方を民営化すべきだと主張してきた。
首相就任後、まず取り組んだのは特殊法人改革だった。批判はあるものの道路公団民営化などを断行した。そして、残ったのが郵政民営化だ。これが実現しなければ、小泉の目指す「官僚システム」の解体は完成しない。
小泉にとって、郵政民営化の戦いは権力闘争でもあった。
郵政民営化反対の牙城は、郵政族を中心に自民党議員の約7割が参加する自民党郵政事業懇話会。自民党の集票マシンといわれた。特定郵便局長OBらで作る支持団体「大樹」と、二人三脚で郵政事業を守ってきた。会長ポストは金丸信元副総裁、小渕恵三元首相、野中広務元幹事長ら旧田中派の流れをくむ実力者が占めてきた。
田中、竹下、小渕、橋本派と続く最大派閥が牛耳ってきた「郵政」の巨大利権に対する挑戦は、最大派閥に弓引くことでもあった。小泉への風圧は強かった。
小泉が初めて立候補した1995年9月の自民党総裁選では、立候補に必要な推薦人(30人)がなかなか集まらなかった。30人目が決まったのは立候補届出当日だった。郵政民営化を総裁選の公約に掲げていたため、推薦人の候補者に圧力がかかったと言われた。
「たった一人の反乱」として始まった郵政民営化が実現することは、「最大派閥との戦いの最終的な勝利」を意味していた。
2005年4月4日、政府は小泉の指示通り、郵政民営化法案の骨子を決定した。
しかし、「自民党の了承を得なくても法案を4月中に国会に提出する」との小泉の意向が伝わると、自民党内から反発が吹き出した。13日に開かれた郵政事業懇話会総会には101人の議員が参加し、民営化反対の決議を採択した。
党執行部は、「4月中の国会提出」のタイムリミットが迫る26日深夜、郵政改革関係合同協会で、怒号が飛び交う中、法案了承を強行した。執行部が席を立った会議室には80人前後の反対は議員が残り、「今の了承は認められない」などと気勢を上げた。
この日、政権発足4周年を迎えた小泉は、記者団にこう強調していた。
「民営化法案が成立するということは、自民党を変えるということだ。成立しなければ(自民党を)ぶっ壊す。成立すればぶっ壊す必要はない」
「最後の砦」といわれる総務会。27日、総務の亀井静香元政調会長ら反対派は必死の巻き返しに出た。4時間近く激論が戦わされた。反対論、慎重論が相次ぎ、「国会提出だけの了承」にとどまった。小泉と反対派は国会で雌雄を決することになった。
法案を討議決定し、国会に提出した小泉は翌28日、羽田空港からインド、パキスタンなど4カ国訪問に飛び立った。
小泉は2003年8月、東大阪市の司馬遼太郎記念館を見学した後、記者団にこう語ったことがある。
「戦国時代や幕末の権力闘争に比べたら、今の権力闘争なんて何でもない。命のやりとりではないから、楽なもんだ」
民間の知恵を活かした経済財政諮問会議の活用という新しい政策作りの仕組みとともに、戦国時代の武将のような小泉自身の激しい性格が郵政民営化の大きな推進力になった。
以下は、郵政民営化バトルの経緯を「自民党を壊した男」より抜粋。
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小泉はどうしてこれほどまでに、郵政民営化に執念を燃やすのか。
旧大蔵政務次官を務めた小泉は、20年以上前から郵政民営化論を唱えてきた。由瓶貯金、簡易保険に集まった巨額の資金が、第二の予算と言われた財政投融資制度を通じて道路公団など特殊法人に流れ、民間部門を圧迫してきた。小泉はこの「官僚システム」の解体のため、「入り口」の郵政事業と「出口」の特殊法人の双方を民営化すべきだと主張してきた。
首相就任後、まず取り組んだのは特殊法人改革だった。批判はあるものの道路公団民営化などを断行した。そして、残ったのが郵政民営化だ。これが実現しなければ、小泉の目指す「官僚システム」の解体は完成しない。
小泉にとって、郵政民営化の戦いは権力闘争でもあった。
郵政民営化反対の牙城は、郵政族を中心に自民党議員の約7割が参加する自民党郵政事業懇話会。自民党の集票マシンといわれた。特定郵便局長OBらで作る支持団体「大樹」と、二人三脚で郵政事業を守ってきた。会長ポストは金丸信元副総裁、小渕恵三元首相、野中広務元幹事長ら旧田中派の流れをくむ実力者が占めてきた。
田中、竹下、小渕、橋本派と続く最大派閥が牛耳ってきた「郵政」の巨大利権に対する挑戦は、最大派閥に弓引くことでもあった。小泉への風圧は強かった。
小泉が初めて立候補した1995年9月の自民党総裁選では、立候補に必要な推薦人(30人)がなかなか集まらなかった。30人目が決まったのは立候補届出当日だった。郵政民営化を総裁選の公約に掲げていたため、推薦人の候補者に圧力がかかったと言われた。
「たった一人の反乱」として始まった郵政民営化が実現することは、「最大派閥との戦いの最終的な勝利」を意味していた。
2005年4月4日、政府は小泉の指示通り、郵政民営化法案の骨子を決定した。
しかし、「自民党の了承を得なくても法案を4月中に国会に提出する」との小泉の意向が伝わると、自民党内から反発が吹き出した。13日に開かれた郵政事業懇話会総会には101人の議員が参加し、民営化反対の決議を採択した。
党執行部は、「4月中の国会提出」のタイムリミットが迫る26日深夜、郵政改革関係合同協会で、怒号が飛び交う中、法案了承を強行した。執行部が席を立った会議室には80人前後の反対は議員が残り、「今の了承は認められない」などと気勢を上げた。
この日、政権発足4周年を迎えた小泉は、記者団にこう強調していた。
「民営化法案が成立するということは、自民党を変えるということだ。成立しなければ(自民党を)ぶっ壊す。成立すればぶっ壊す必要はない」
「最後の砦」といわれる総務会。27日、総務の亀井静香元政調会長ら反対派は必死の巻き返しに出た。4時間近く激論が戦わされた。反対論、慎重論が相次ぎ、「国会提出だけの了承」にとどまった。小泉と反対派は国会で雌雄を決することになった。
法案を討議決定し、国会に提出した小泉は翌28日、羽田空港からインド、パキスタンなど4カ国訪問に飛び立った。
小泉は2003年8月、東大阪市の司馬遼太郎記念館を見学した後、記者団にこう語ったことがある。
「戦国時代や幕末の権力闘争に比べたら、今の権力闘争なんて何でもない。命のやりとりではないから、楽なもんだ」
民間の知恵を活かした経済財政諮問会議の活用という新しい政策作りの仕組みとともに、戦国時代の武将のような小泉自身の激しい性格が郵政民営化の大きな推進力になった。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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