強制連行は事実ですよ。
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/07/14 23:54 投稿番号: [75052 / 118550]
★強制連行には朝鮮国内と海外があります。
鴨緑江発電所など朝鮮国内へ連行されて働かされていた人数は四百万人以上という統計数字があります。
朝鮮半島から海外への強制連行は、最小から最大まで幅があります。
一番少ない数が厚生労働省の六十六万六千人、
次が外務省の報告書にある約七十二万人、
そして日本の一部研究者が出しているのが百万人少し。
私たちは少なくても百五十万人と考えています。
二倍以上の差がある。国内と海外を合わせると六百万人、さらに調べるともっと増えると思います
・ ・・
http://www.kokuminrengo.net/2005/200506-corea.htm
★植民地支配については日本はいかに反省したかー戦後
水野直樹(京都大学人文研教授)
「強制連行」「強制労働」が「国民徴用令」の法律に基づいて行われたと言われますが、
朝鮮人労働者の動員は必ずしも「国民徴用令」に基づいているものではないんですね。
これが適用されたのは日本では1943年、朝鮮では44年からで、戦争のかなり末期です。
【それ以前から似たようなことが行われています。】
「国家総動員法」「国民徴用令」という法令に基づいて日本政府は1939年から動員計画を立てていった。
【その際、日本人と朝鮮人の動員の仕方が違うわけです。】
朝鮮人の場合は地域ごとに動員の人数を割り当てる。
【計画を達成するために役所、警察などの機関が動員され、ほぼ強制的な形で労働者をかり出すことが行われた。】
役所の指示に従わない人間がいれば割り当てを達成できないので、その際、暴力的なやり方で、
田んぼで働いていたところを連れてこられたという証言もあるわけです。
そういう人たちばかりではなかったと思いますが、一部では暴力的な動員がかなり早い時期から行われた。
【戦争が激しくなると労働者不足が起こってきますから、ますます暴力的な動員が行われることになります。】
これは否定できないわけです。
【日本人と朝鮮人では動員のやり方がそもそも違うわけです。】
同じように、どこに動員するかというのも全然違うわけです。
日本人の労働者の動員は主に軍需工場です。軍需工場も空襲を受けて危ないわけですが、労働条件としてはそんなに危険なものではない。
それに対して
【朝鮮人の労働者が動員されたところは炭鉱、鉱山、建設工事現場です。同じ法令を適用していても明確に動員先が違っていた。】
日本政府が計画的にそういうふうにしたわけです。「同じ徴用だった。動員だった」と言うことは間違いだと思います。
むりやり労働に従事させるので逃亡する人が一杯いたわけです。
日本人が徴用に行き、そこから逃げ出した人はいないわけではないでしょうが、そんなに多くはなかったでしょうね。
朝鮮人の場合は半分くらい炭鉱から逃げ出してしまうことが起こった。
それを防止することが当局にとって、会社にとって一番大きな課題だったわけです。
【労働者が住んでいるところを塀で囲って出られないようにする。働きに行く時だけ出る。休みの日も出られない。出るには許可が必要でした。】
金スンギルさんもそういう宿舎で塀が囲われていて町に出る時も許可が必要だった。それ自体が違法だと裁判では認めています。
形式的にしろ「徴用でも契約関係が成り立っている」と認めるわけです。
休日をどう使うかはそれぞれの人の自由です。それを束縛している。束縛せざるをえないわけです、逃げ出す人が一杯いるから。朝鮮人に対する厳しい監視、拘束が行われていた。それを明らかに示す文書があります。徴用でも働いたら一応賃金が出る。
【しかし逃亡を防止するために日本政府が会社に指示を出している文書があります。】
【「賃金は渡さない。貯金をさせる。貯金通帳は本人に渡さない。会社で管理しておく」。】
そういう指示を文章にしているんです。
日本人の場合、そこまではしてないでしょうね。
朝鮮人労働者については賃金は直接渡さず、貯金をさせて通帳は会社で管理しておくことを日本政府が指示していた。
【これは明らかに違法です。労働者を現場に縛りつけておくことを行っていたわけです。】
・・・
ttp://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/mizunob.html
鴨緑江発電所など朝鮮国内へ連行されて働かされていた人数は四百万人以上という統計数字があります。
朝鮮半島から海外への強制連行は、最小から最大まで幅があります。
一番少ない数が厚生労働省の六十六万六千人、
次が外務省の報告書にある約七十二万人、
そして日本の一部研究者が出しているのが百万人少し。
私たちは少なくても百五十万人と考えています。
二倍以上の差がある。国内と海外を合わせると六百万人、さらに調べるともっと増えると思います
・ ・・
http://www.kokuminrengo.net/2005/200506-corea.htm
★植民地支配については日本はいかに反省したかー戦後
水野直樹(京都大学人文研教授)
「強制連行」「強制労働」が「国民徴用令」の法律に基づいて行われたと言われますが、
朝鮮人労働者の動員は必ずしも「国民徴用令」に基づいているものではないんですね。
これが適用されたのは日本では1943年、朝鮮では44年からで、戦争のかなり末期です。
【それ以前から似たようなことが行われています。】
「国家総動員法」「国民徴用令」という法令に基づいて日本政府は1939年から動員計画を立てていった。
【その際、日本人と朝鮮人の動員の仕方が違うわけです。】
朝鮮人の場合は地域ごとに動員の人数を割り当てる。
【計画を達成するために役所、警察などの機関が動員され、ほぼ強制的な形で労働者をかり出すことが行われた。】
役所の指示に従わない人間がいれば割り当てを達成できないので、その際、暴力的なやり方で、
田んぼで働いていたところを連れてこられたという証言もあるわけです。
そういう人たちばかりではなかったと思いますが、一部では暴力的な動員がかなり早い時期から行われた。
【戦争が激しくなると労働者不足が起こってきますから、ますます暴力的な動員が行われることになります。】
これは否定できないわけです。
【日本人と朝鮮人では動員のやり方がそもそも違うわけです。】
同じように、どこに動員するかというのも全然違うわけです。
日本人の労働者の動員は主に軍需工場です。軍需工場も空襲を受けて危ないわけですが、労働条件としてはそんなに危険なものではない。
それに対して
【朝鮮人の労働者が動員されたところは炭鉱、鉱山、建設工事現場です。同じ法令を適用していても明確に動員先が違っていた。】
日本政府が計画的にそういうふうにしたわけです。「同じ徴用だった。動員だった」と言うことは間違いだと思います。
むりやり労働に従事させるので逃亡する人が一杯いたわけです。
日本人が徴用に行き、そこから逃げ出した人はいないわけではないでしょうが、そんなに多くはなかったでしょうね。
朝鮮人の場合は半分くらい炭鉱から逃げ出してしまうことが起こった。
それを防止することが当局にとって、会社にとって一番大きな課題だったわけです。
【労働者が住んでいるところを塀で囲って出られないようにする。働きに行く時だけ出る。休みの日も出られない。出るには許可が必要でした。】
金スンギルさんもそういう宿舎で塀が囲われていて町に出る時も許可が必要だった。それ自体が違法だと裁判では認めています。
形式的にしろ「徴用でも契約関係が成り立っている」と認めるわけです。
休日をどう使うかはそれぞれの人の自由です。それを束縛している。束縛せざるをえないわけです、逃げ出す人が一杯いるから。朝鮮人に対する厳しい監視、拘束が行われていた。それを明らかに示す文書があります。徴用でも働いたら一応賃金が出る。
【しかし逃亡を防止するために日本政府が会社に指示を出している文書があります。】
【「賃金は渡さない。貯金をさせる。貯金通帳は本人に渡さない。会社で管理しておく」。】
そういう指示を文章にしているんです。
日本人の場合、そこまではしてないでしょうね。
朝鮮人労働者については賃金は直接渡さず、貯金をさせて通帳は会社で管理しておくことを日本政府が指示していた。
【これは明らかに違法です。労働者を現場に縛りつけておくことを行っていたわけです。】
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ttp://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/mizunob.html
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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