「普遍の正義」
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2005/06/29 18:46 投稿番号: [74085 / 118550]
>「普遍の正義を実現させる為の手続きを経る手段が国際法であり条約であり国連なんだよ。」
「普遍の正義」などというものがあったと仮定して、それを実現させる為の手続きを経る手段が国際法であり条約であり国連」だとしたほうがいいのではないだろうか?
しかもその普遍の正義なるものは、おそらくはある一方的な独善によって決められた実体の無い幻影であるばかりでなく、その手段としての方法さえもが、最大の軍事力保有国を、その国家間に存在させるべき「法」によって規制、抑制する手だてを持たない無力さを露呈するだろう。
そして、さまざまな国家間による方向性、多様性によっての利害が交錯して、結局ある一つのスタンダード(普遍性)を構築することが出来ないまま、一方的な視点のみを優先する詭弁もしくは力による恫喝によって、内と外を巧みに装い分ける暴力的な、またその利己的な利害に応じた強硬策によって、強引に武力行使され、その(たぶん実現不可能な)国連での合意が反古にされ、重要案件は、永遠に取り決められたり、行使されるということが無い。
結局、ある一部の力を持つ国による「グローバルスタンダード」と言うものが、それの恩恵を預かる可能性のある国々の利害関係という決して純粋とは言えない利己的な支持によって仮に「普遍の正義」などと呼ばれてその詭弁を信じている(か信じざるを得ない状況にある)に過ぎないのではないだろうか?
結局これによって受け入れられない国々が存在することは確かで、そして彼らは、排除され、被害を被る側に立つ以外に選択肢がないという意味において、「正義」というものの普遍性は「幻影」ということが言えると思う。
こんなものは、「普遍の正義」などというよりも、何らかの実体のあるものにみせかけた虚構であり、それを実体と仮定させたうえで、論理を立脚することさえ危険な、実体の無い幻影の上に立った砂上の楼閣だと思う。
そして、こんな武力による国際間の調停の試みはもう多分有史以前からおこなわれてきた常套手段であり、そして、これによって多国間の紛争は結果的には抑止できなかったということを、いい加減に学習するべきではないだろうか?
※非暴力による多国間の平和と言う手段は、いまだに国際紛争の解決手段としては、いまだに一度も実行されたことの無い可能性を秘めていると私は考えている。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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