千年単位の倫理観創作作業
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2005/05/29 01:17 投稿番号: [72558 / 118550]
>私なんかぴちぴちぷちぱつぱつですよー!!
う〜〜〜ん・・・。(^_^;)
>【ドラさんは、チェジウさんとチャンツィイーさんとどっちに似ているんだろう?】
>という話し合いの方を推奨します。
私たちはリアリストですから、そういう架空の前提(失礼)には、残念ながら議論が弾みませんでした(^_^;)
>まだ未解明の部分はあるかもしれませんが、あるなしで言えば、殆ど決着のついた問題です。
ドラさんはそう書くだろうと考えていました。私は勿論同意します。
************
以前、陳瞬臣さんの書いた「始皇帝」というのを読んだときの記憶だけで書きます。
始皇帝というのは、文字通り、中国初の「皇帝」の称号を自分で作り出して名乗った人な訳ですが、彼はその多くの偉大な事業とともに、それに伴った非常に過酷な労働をその頃の国民に強い、それが結局、ほぼ彼一代で彼にも強大な統一国家が崩壊する大きな要因になったわけです。
ただ、万里の長城などは、たぶん彼の偉業となっているものもたくさんあるには違いないが、たとえば北京の近郊の万里の長城などは彼のものではないようで、彼は個々に存在した突厥からの防波堤としての城壁を、統一を機に、大きくつなげて拡大したに過ぎないという側面もあって、彼にかぶされているぬれぎぬ(?)がどの程度なのか、いまだにはっきりとは解っていないそうなのです。
ただ、兵馬俑や、始皇帝陵なんかは物凄く時間と手間がかかっていることは否めないわけですから、彼が過酷な強制使役をしなかったわけでもないようです。
中国人の面白いところは、この始皇帝の行いというものを、以降の約2000年の中国統治の「反面教師」として、後の皇帝としての行いの為の一つの基準のようなものが出来上がってくるわけです。
つまり、「君子」としてここまではいいがこういうことまではやってはならないとか、あの時に始皇帝がこういうことをしたから国が滅びたのだからこれはやってはならないとか、こういう善行はするべきだとか・・・。時には、万里の長城のように濡れ衣(?)まで着せながら、後世の人間達のために「基準作り」がおこなわれてきたわけです。
つまり歴史の長い国である中国は、千年、二千年単位でたった一人の人間というものの評価を(作り続けて)下すというようなことをする国であるわけです。
※ 彼らにとっての「温故知新」というものは、そういうスパンに於ての「倫理観の創作行為」のことを問題にしているのではなかろうか?と勝手に考えているわけです。
************
そういう国が、(これは中国政府の追及とは無関係に)80年前の日本の行いとか、日本国の軍事的反省を、「つい最近のこと」としてその責任の所在を明らかにすることを求めてきているにも関わらず、多くの日本の無能政治家達は、「80年も前のこと」という感覚で対峙しようとしています。
それも、安倍や麻生のように、血縁の政治家が個人としての利己的な利益を得るために直接関係している、日本に責任のあることが確実な、残虐な歴史的事実を、日本国民全員を同質化することで巻き込んで、正当化しようと必死になっている姿は、「優雅さ」とか、「奥ゆかしさ」とかそういうものと非常にかけ離れた、「オドロオドロしさ」とか「醜悪さ」だけが目に付いて、日本人としての「潔さ」みたいなものが感じられない「恥ずかしい」気持ちにさせられてしまいます。
※きっと彼ら(安倍氏ら)によって、日本人に対する東アジアの人たちの評価対象は、日本人全体の評価ということに転化させられて、一般化され、大きな意味での日本人全体の気質、国民性への懐疑へと繋がり、将来的な「国益」を非常に損なうものになってしまうことは疑いの無いことだと考えています。
これがわからない人たちがいることが非常に残念です。
う〜〜〜ん・・・。(^_^;)
>【ドラさんは、チェジウさんとチャンツィイーさんとどっちに似ているんだろう?】
>という話し合いの方を推奨します。
私たちはリアリストですから、そういう架空の前提(失礼)には、残念ながら議論が弾みませんでした(^_^;)
>まだ未解明の部分はあるかもしれませんが、あるなしで言えば、殆ど決着のついた問題です。
ドラさんはそう書くだろうと考えていました。私は勿論同意します。
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以前、陳瞬臣さんの書いた「始皇帝」というのを読んだときの記憶だけで書きます。
始皇帝というのは、文字通り、中国初の「皇帝」の称号を自分で作り出して名乗った人な訳ですが、彼はその多くの偉大な事業とともに、それに伴った非常に過酷な労働をその頃の国民に強い、それが結局、ほぼ彼一代で彼にも強大な統一国家が崩壊する大きな要因になったわけです。
ただ、万里の長城などは、たぶん彼の偉業となっているものもたくさんあるには違いないが、たとえば北京の近郊の万里の長城などは彼のものではないようで、彼は個々に存在した突厥からの防波堤としての城壁を、統一を機に、大きくつなげて拡大したに過ぎないという側面もあって、彼にかぶされているぬれぎぬ(?)がどの程度なのか、いまだにはっきりとは解っていないそうなのです。
ただ、兵馬俑や、始皇帝陵なんかは物凄く時間と手間がかかっていることは否めないわけですから、彼が過酷な強制使役をしなかったわけでもないようです。
中国人の面白いところは、この始皇帝の行いというものを、以降の約2000年の中国統治の「反面教師」として、後の皇帝としての行いの為の一つの基準のようなものが出来上がってくるわけです。
つまり、「君子」としてここまではいいがこういうことまではやってはならないとか、あの時に始皇帝がこういうことをしたから国が滅びたのだからこれはやってはならないとか、こういう善行はするべきだとか・・・。時には、万里の長城のように濡れ衣(?)まで着せながら、後世の人間達のために「基準作り」がおこなわれてきたわけです。
つまり歴史の長い国である中国は、千年、二千年単位でたった一人の人間というものの評価を(作り続けて)下すというようなことをする国であるわけです。
※ 彼らにとっての「温故知新」というものは、そういうスパンに於ての「倫理観の創作行為」のことを問題にしているのではなかろうか?と勝手に考えているわけです。
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そういう国が、(これは中国政府の追及とは無関係に)80年前の日本の行いとか、日本国の軍事的反省を、「つい最近のこと」としてその責任の所在を明らかにすることを求めてきているにも関わらず、多くの日本の無能政治家達は、「80年も前のこと」という感覚で対峙しようとしています。
それも、安倍や麻生のように、血縁の政治家が個人としての利己的な利益を得るために直接関係している、日本に責任のあることが確実な、残虐な歴史的事実を、日本国民全員を同質化することで巻き込んで、正当化しようと必死になっている姿は、「優雅さ」とか、「奥ゆかしさ」とかそういうものと非常にかけ離れた、「オドロオドロしさ」とか「醜悪さ」だけが目に付いて、日本人としての「潔さ」みたいなものが感じられない「恥ずかしい」気持ちにさせられてしまいます。
※きっと彼ら(安倍氏ら)によって、日本人に対する東アジアの人たちの評価対象は、日本人全体の評価ということに転化させられて、一般化され、大きな意味での日本人全体の気質、国民性への懐疑へと繋がり、将来的な「国益」を非常に損なうものになってしまうことは疑いの無いことだと考えています。
これがわからない人たちがいることが非常に残念です。
これは メッセージ 72555 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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