戦犯管理所の思い出
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/05/19 23:14 投稿番号: [71529 / 118550]
中国で、戦後【戦犯管理所】に収容され、【鬼畜】だった皇軍兵は
思いもよらない中国側の人道的な扱いを受け、【人間性】を取り戻した。
中国には、日本人残留孤児を養育してもらったり、【鬼畜】を人間らしく更正させてもらったり、
【大恩】があるんだった。
靖国参拝なんて、まさに【忘恩の徒】のなせる業だね。
★大澤剛(司会) 座談会にはいる前に中国人民に感謝します。
きのう私たちは中国人民政府から、自分たちの過去おかした罪からみて、考えもしなかった寛大な処理をうけ、間もなくなつかしい親兄弟のいる日本に帰ろうとしています。
中国をはなれるにあたり、六年間のさまざまなことが思い出されます。昨日寛大な処理を聞いたときのことからまず感想をのべあって見たいとおもいます。
中島宗一 そうですなぁ、わしや偽満州国の警察に長くおったんですが、あの昨日の自分たちに対する処理を宣告された時、
検察員先生の方が、ここにいる戦争犯罪者は人道主義に反し、国際法に反した罪行を犯した者と言われました。
私もひとつの例をあげてみるならば、日本が東北を侵略した時、これに反抗して立ち上がった抗日軍を指揮した趙尚志将軍を道案内したというたったひとつの理由で
オロチョンの方をとらえ、日本刀で首をきり、さらにその上脳味噌を取り黒やきにして薬だといってのんだ、
人間では考えられない行爲をした自分が、だんだん人間としての気もちをもつようになり、
私のやった事が本当に悪いことであることを知り、当然中国人民に厳重な処罰をうけなくちゃならないというふうに考えていました。
それがこのような寛大処理の恩典によくして、あの時の自分は電気にうたれたようになりました(一同同感の声)。あの時の感謝と感激は一生忘れられません。
伊東恒 私はあの日撫順で釈放を言い渡されたときのあの廣間にはいった時、私が待っていた裁判が始まったと考えていたのです。
だが私はあの検察員の方から中国政府の私たちにたいする起訴免除の決定発表をいわれた時自分の事のような感じはしませんでした。
何か私にはピンとこなかったのです。そのうちに名前がよばれたんですが、私の名前があった、その時の気持は何と表現してよいか分かりませんでした。
私が過去やったことが走馬燈のようにぐるぐると頭をかけめぐり、複雑な感じでいつの間にか涙がぽろぽろ出るのを禁じられませんでした。
過去陸軍士官学校を出て日本軍の指揮官、教育者としての
【日本の農村漁村の、本当に純朴な逭年を東洋平和の為だとか聖戦だとかでだまし、中国へ侵略にかりたてて来たのです。】
皆さんもごぞんじのように杭州湾上陸につづいて侵入し、杭州一帯の地域で砲兵を指揮し、
【何のつみとがもない住民まで砲弾で射ち殺し、平和な部落や寺院を破壊したり放火したりしました。】
そのご憲兵に変りましてからも一生懸命あの兇悪な憲兵の下士官兵を3000名近く教育しました。
そしてこれらの者は中国全土アジア全地域にわたり世界歴史上例のない、野蛮残酷な罪行を行って来ました。
こうした私に対する決定をきいた時、ただ本当に申しわけなさでもう私は何とおわびしてよいか分かりません。あの時の感激は一生を通じて忘れることは出来ません。
久保田源次郎 わしも年より役として一言いわしていただきます。
私は過去25年の長い間日本軍隊の將校として多くの部下を教育し、また部隊長として戦争に出て行きました。
こういうことは
【国家の為だ人民の為だとか日本はますます国力が大きくなるのだとか、】あるいは結局のところ自分の名誉であるとさまざまなことを考えてましてあまたのいくさを行いました。
その上、東北では十年の間偽満州国、ことに偽蒙古軍官学校に勤めまして、
蒙古の純朴な逭年を日本軍の軍隊の手先として中国人をもって中国人と戦わすというように、皆さまとちがったあくらつな考えのもとに多くのことをやって参りました。
また師団司令部管区の参謀長として偽蒙古軍の司令官を傀儡と致しまして、その人たちの名前のよって私が自分勝手な命令を出して多くの部下や部隊に多くの人民を惨殺する行為をおこなわせました。
いま申しましたように自分の罪行のことを考えると、私は当然死刑もしくは重い刑に処せられ、撫順の管理所において死を待ち、日本に帰れないと考えていましたが、
撫順であまたの中国人民の方々の傍聴されている前で起訴を免除されて釈放されるということを聞いた時、まったく夢ではないかと考えました。被害者の方々にまことに済まなかったと、胸がいっぱいです。(同\xB4
思いもよらない中国側の人道的な扱いを受け、【人間性】を取り戻した。
中国には、日本人残留孤児を養育してもらったり、【鬼畜】を人間らしく更正させてもらったり、
【大恩】があるんだった。
靖国参拝なんて、まさに【忘恩の徒】のなせる業だね。
★大澤剛(司会) 座談会にはいる前に中国人民に感謝します。
きのう私たちは中国人民政府から、自分たちの過去おかした罪からみて、考えもしなかった寛大な処理をうけ、間もなくなつかしい親兄弟のいる日本に帰ろうとしています。
中国をはなれるにあたり、六年間のさまざまなことが思い出されます。昨日寛大な処理を聞いたときのことからまず感想をのべあって見たいとおもいます。
中島宗一 そうですなぁ、わしや偽満州国の警察に長くおったんですが、あの昨日の自分たちに対する処理を宣告された時、
検察員先生の方が、ここにいる戦争犯罪者は人道主義に反し、国際法に反した罪行を犯した者と言われました。
私もひとつの例をあげてみるならば、日本が東北を侵略した時、これに反抗して立ち上がった抗日軍を指揮した趙尚志将軍を道案内したというたったひとつの理由で
オロチョンの方をとらえ、日本刀で首をきり、さらにその上脳味噌を取り黒やきにして薬だといってのんだ、
人間では考えられない行爲をした自分が、だんだん人間としての気もちをもつようになり、
私のやった事が本当に悪いことであることを知り、当然中国人民に厳重な処罰をうけなくちゃならないというふうに考えていました。
それがこのような寛大処理の恩典によくして、あの時の自分は電気にうたれたようになりました(一同同感の声)。あの時の感謝と感激は一生忘れられません。
伊東恒 私はあの日撫順で釈放を言い渡されたときのあの廣間にはいった時、私が待っていた裁判が始まったと考えていたのです。
だが私はあの検察員の方から中国政府の私たちにたいする起訴免除の決定発表をいわれた時自分の事のような感じはしませんでした。
何か私にはピンとこなかったのです。そのうちに名前がよばれたんですが、私の名前があった、その時の気持は何と表現してよいか分かりませんでした。
私が過去やったことが走馬燈のようにぐるぐると頭をかけめぐり、複雑な感じでいつの間にか涙がぽろぽろ出るのを禁じられませんでした。
過去陸軍士官学校を出て日本軍の指揮官、教育者としての
【日本の農村漁村の、本当に純朴な逭年を東洋平和の為だとか聖戦だとかでだまし、中国へ侵略にかりたてて来たのです。】
皆さんもごぞんじのように杭州湾上陸につづいて侵入し、杭州一帯の地域で砲兵を指揮し、
【何のつみとがもない住民まで砲弾で射ち殺し、平和な部落や寺院を破壊したり放火したりしました。】
そのご憲兵に変りましてからも一生懸命あの兇悪な憲兵の下士官兵を3000名近く教育しました。
そしてこれらの者は中国全土アジア全地域にわたり世界歴史上例のない、野蛮残酷な罪行を行って来ました。
こうした私に対する決定をきいた時、ただ本当に申しわけなさでもう私は何とおわびしてよいか分かりません。あの時の感激は一生を通じて忘れることは出来ません。
久保田源次郎 わしも年より役として一言いわしていただきます。
私は過去25年の長い間日本軍隊の將校として多くの部下を教育し、また部隊長として戦争に出て行きました。
こういうことは
【国家の為だ人民の為だとか日本はますます国力が大きくなるのだとか、】あるいは結局のところ自分の名誉であるとさまざまなことを考えてましてあまたのいくさを行いました。
その上、東北では十年の間偽満州国、ことに偽蒙古軍官学校に勤めまして、
蒙古の純朴な逭年を日本軍の軍隊の手先として中国人をもって中国人と戦わすというように、皆さまとちがったあくらつな考えのもとに多くのことをやって参りました。
また師団司令部管区の参謀長として偽蒙古軍の司令官を傀儡と致しまして、その人たちの名前のよって私が自分勝手な命令を出して多くの部下や部隊に多くの人民を惨殺する行為をおこなわせました。
いま申しましたように自分の罪行のことを考えると、私は当然死刑もしくは重い刑に処せられ、撫順の管理所において死を待ち、日本に帰れないと考えていましたが、
撫順であまたの中国人民の方々の傍聴されている前で起訴を免除されて釈放されるということを聞いた時、まったく夢ではないかと考えました。被害者の方々にまことに済まなかったと、胸がいっぱいです。(同\xB4
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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