>補足
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/05/09 22:26 投稿番号: [70720 / 118550]
>「百人切り」冤罪者の遺族の方達による東京地裁での記事などを見ることができます。
今度は百人斬りですか。
この裁判は5月中に結審するようだから注目。
★本人が【母校で、捕虜虐殺】を証言したり、
志々目証言
帰国した野田少尉が故郷の小学校で講演した内容を、後輩の志々目彰氏が聞いたもの。
勇猛な白兵戦として報道された「百人斬り」の実態が、実は捕虜虐殺の据え物斬りであったことが、本人の口から率直に語られている
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/shijime.htm
★ほかの兵士がこの【百人斬り】を目撃したり、↓
このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである・・ この人が百人斬りの勇土とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。
「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。
助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
・・
戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの埋由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。
【その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。】
【両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦斗中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。】
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mochiduki.htm
★本人の友人が当時【百人斬り】の歌を作ったり・・・↓
戦友の六車部隊長が百人斬りの歌をつくつてくれました
百人斬日本刀切味の歌(豪傑節)
一、今宵別れて故郷の月に、
冴えて輝くわが剣
二、軍刀枕に露営の夢に、
飢ゑて血に泣く聲がする
三、嵐吹け/\江南の地に、
斬つて見せたや百人斬
四、長刀三尺鞘をはらへば、
さつと飛ぴ散る血の吹雪
五、ついた血口を戎衣でふけば
きづも残らぬ腕の冴え
六、今日は口かよ昨日はお□、
明日は試さん突きの味
七、國を出るときや鏡の肌よ、
今ぢや血の色黒光り……
(中略)
まだ極楽や靖國神社にもゆけず、二百五十三人も斬つたからぼつぼつ地獄落ちでせう、武運長久(われ/\は戦死することをかく呼んでゐます)を毎日念じてゐます、小生戦死の暁は何とぞ路傍の石塊を捨ひて野田と思ひ酒、それも上等の酒一升を頭から浴びせ、煙草を線香の代りに供へられ度、最後に大元帥陛下万々歳。……(写真は野田毅部隊長)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/oosaka-mainichi.htm
と実際は何人斬ったか不明だが、
【こういった競争があった証明】がたくさん出てきていますね。
今度は百人斬りですか。
この裁判は5月中に結審するようだから注目。
★本人が【母校で、捕虜虐殺】を証言したり、
志々目証言
帰国した野田少尉が故郷の小学校で講演した内容を、後輩の志々目彰氏が聞いたもの。
勇猛な白兵戦として報道された「百人斬り」の実態が、実は捕虜虐殺の据え物斬りであったことが、本人の口から率直に語られている
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/shijime.htm
★ほかの兵士がこの【百人斬り】を目撃したり、↓
このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである・・ この人が百人斬りの勇土とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。
「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。
助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
・・
戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの埋由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。
【その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。】
【両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦斗中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。】
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mochiduki.htm
★本人の友人が当時【百人斬り】の歌を作ったり・・・↓
戦友の六車部隊長が百人斬りの歌をつくつてくれました
百人斬日本刀切味の歌(豪傑節)
一、今宵別れて故郷の月に、
冴えて輝くわが剣
二、軍刀枕に露営の夢に、
飢ゑて血に泣く聲がする
三、嵐吹け/\江南の地に、
斬つて見せたや百人斬
四、長刀三尺鞘をはらへば、
さつと飛ぴ散る血の吹雪
五、ついた血口を戎衣でふけば
きづも残らぬ腕の冴え
六、今日は口かよ昨日はお□、
明日は試さん突きの味
七、國を出るときや鏡の肌よ、
今ぢや血の色黒光り……
(中略)
まだ極楽や靖國神社にもゆけず、二百五十三人も斬つたからぼつぼつ地獄落ちでせう、武運長久(われ/\は戦死することをかく呼んでゐます)を毎日念じてゐます、小生戦死の暁は何とぞ路傍の石塊を捨ひて野田と思ひ酒、それも上等の酒一升を頭から浴びせ、煙草を線香の代りに供へられ度、最後に大元帥陛下万々歳。……(写真は野田毅部隊長)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/oosaka-mainichi.htm
と実際は何人斬ったか不明だが、
【こういった競争があった証明】がたくさん出てきていますね。
これは メッセージ 70661 (battamama さん)への返信です.
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