日の丸・君が代
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/04/02 23:17 投稿番号: [68192 / 118550]
★興味深いサイトを見つけたので・・・↓
http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/essays/hkmcover.htm
上記から・・
★真に問われているのは象徴天皇制をどうするかだ
高橋哲哉
日の丸・君が代法制化にかんして加藤典洋氏が、日の丸と君が代を分離し、「日の丸の法制化は構わないが、君が代のいまのままでの法制化を、日本国民は認めるべきではない、
もし慣例として曲が根づいているというのなら、最低、歌詞だけは変えよ」という提案をした
(毎日新聞六月二八日付ほか)。
この種の分離案を提案したのは加藤氏だけではないし、賛成か反対かで揺れた民主党も、両者を分離し日の丸だけの法制化案を対案として提出した。
民主党案は否決され、衆参両院とも結局は日の丸・君が代をセットにした政府提出の国旗・国家法案が圧倒的多数の賛成で可決成立してしまったが、
日の丸・君が代どちらの法制化にも反対してきた私にとって、とくに加藤氏の提案は、氏の『敗戦後論』をめぐる最近の論争のなかで私が一貫して批判してきた氏の議論と密接につながっており、看過できない。
・・・
☆まつろわぬ民(服従しない民)への暴力
はじめに、日の丸・君が代問題について私の基本的立場を明らかにしておこう。
私は日の丸・君が代の法制化に反対である。
法制化以前に、事実上の国旗・国歌として、さまざまな儀式の場面で、とくに学校教育の場で、日の丸の掲揚と君が代の斉唱が行なわれることに反対であり、
【一九八五年の文部省「徹底通知」以来、各学校に実施が押しつけられてきたことに強い批判をもっている。】
【反対理由は、なによりも、両者が侵略戦争と植民地支配のシンボルだったことにある。】
この原則論を譲ることはできない。
【旧枢軸国のドイツ・イタリアが戦後まもなく国旗・国歌を変更したように、】
日本も事実上の国旗・国歌を使うなら、過去の反省を踏まえて別のものに換えるべきであった。今からでも遅くない。別の国旗、別の国歌に換えるのが望ましい。
・・
どんな「崇高」な理想を象徴する国旗・国歌でも、いやむしろ、そこに象徴された理想が「崇高」であればあるほど、
【民衆に国民的一体化を強要し、まつろわぬ民、他者への暴力に動員していく力を発揮する。】
「国民が一致して心から歌える歌でないから」君が代に反対する、という議論はある程度有効だが、国旗礼拝・国歌斉唱という集団的身体行為の反復をとおして、
【国民全体が一つの国旗・国歌のもとに「心」まで「一致」させられてしまうことの恐ろしさもまた忘れることはできないのだ。】
・・・
☆戦争の「負債」を返す道とは
・・
日本のメディアはほとんど紹介しなかったが、今年の三月この問題が政府から初めて提起されたとき、
【中国や東南アジアのメディアが示した反応はそのことをあらためて裏書きしていた。】
一例をあげておこう。
「日本人が国旗・国歌を願望しているのは疑いを容れない。だが、彼らは依然としてこれに日の丸・君が代を不適格なものとして排除すべきことを歴史から学びとっていない。もし、帝国の歴史を持つ世界中の国々が、戦争について、いわくつきの民族的な旗幟を持ち続けるとしたら、日本以上に多くの国々がこれらを告発するであろう」
(シンガポール「ストレーツ・タイムズ」三月九日付社説、和仁廉夫訳)。
「被侵略国の心ある住民の不信の種」は、日本が日の丸・君が代を「捨て去る」ことにあるのではなく、それらを「持ち続ける」こと、あまつさえ法制化をもしようとすることにある。・・
【イタリアは一九四六年、西ドイツは一九四九年、いちはやく国旗と国歌を変更している。】
そのことが「被侵略国の心ある住民の不信の種」になったという話は聞かない。
ドイツ・イタリアとも、周辺諸国との和解を進めてEUの主要メンバーとなったし、ドイツの戦後処理が日本のそれに比べて進んでおり、国際的評価も高いことは加藤氏も認めるだろう。
・・
☆象徴天皇制という問題
第二に、加藤氏の「君が代」に関する提案は、石原慎太郎東京都知事にならった「曲はそのままで歌詞を変える」という中途半端なものであるため、
【象徴天皇制との関係があいまいである。】
・・
象徴天皇制をめぐるあいまいさとはなにか。加藤氏の提案を少し詳しく見てみよう。
「六月十一日に出された政府統一見解では、君が代の〈君〉とは象徴天皇のことで、戦前の〈主
http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/essays/hkmcover.htm
上記から・・
★真に問われているのは象徴天皇制をどうするかだ
高橋哲哉
日の丸・君が代法制化にかんして加藤典洋氏が、日の丸と君が代を分離し、「日の丸の法制化は構わないが、君が代のいまのままでの法制化を、日本国民は認めるべきではない、
もし慣例として曲が根づいているというのなら、最低、歌詞だけは変えよ」という提案をした
(毎日新聞六月二八日付ほか)。
この種の分離案を提案したのは加藤氏だけではないし、賛成か反対かで揺れた民主党も、両者を分離し日の丸だけの法制化案を対案として提出した。
民主党案は否決され、衆参両院とも結局は日の丸・君が代をセットにした政府提出の国旗・国家法案が圧倒的多数の賛成で可決成立してしまったが、
日の丸・君が代どちらの法制化にも反対してきた私にとって、とくに加藤氏の提案は、氏の『敗戦後論』をめぐる最近の論争のなかで私が一貫して批判してきた氏の議論と密接につながっており、看過できない。
・・・
☆まつろわぬ民(服従しない民)への暴力
はじめに、日の丸・君が代問題について私の基本的立場を明らかにしておこう。
私は日の丸・君が代の法制化に反対である。
法制化以前に、事実上の国旗・国歌として、さまざまな儀式の場面で、とくに学校教育の場で、日の丸の掲揚と君が代の斉唱が行なわれることに反対であり、
【一九八五年の文部省「徹底通知」以来、各学校に実施が押しつけられてきたことに強い批判をもっている。】
【反対理由は、なによりも、両者が侵略戦争と植民地支配のシンボルだったことにある。】
この原則論を譲ることはできない。
【旧枢軸国のドイツ・イタリアが戦後まもなく国旗・国歌を変更したように、】
日本も事実上の国旗・国歌を使うなら、過去の反省を踏まえて別のものに換えるべきであった。今からでも遅くない。別の国旗、別の国歌に換えるのが望ましい。
・・
どんな「崇高」な理想を象徴する国旗・国歌でも、いやむしろ、そこに象徴された理想が「崇高」であればあるほど、
【民衆に国民的一体化を強要し、まつろわぬ民、他者への暴力に動員していく力を発揮する。】
「国民が一致して心から歌える歌でないから」君が代に反対する、という議論はある程度有効だが、国旗礼拝・国歌斉唱という集団的身体行為の反復をとおして、
【国民全体が一つの国旗・国歌のもとに「心」まで「一致」させられてしまうことの恐ろしさもまた忘れることはできないのだ。】
・・・
☆戦争の「負債」を返す道とは
・・
日本のメディアはほとんど紹介しなかったが、今年の三月この問題が政府から初めて提起されたとき、
【中国や東南アジアのメディアが示した反応はそのことをあらためて裏書きしていた。】
一例をあげておこう。
「日本人が国旗・国歌を願望しているのは疑いを容れない。だが、彼らは依然としてこれに日の丸・君が代を不適格なものとして排除すべきことを歴史から学びとっていない。もし、帝国の歴史を持つ世界中の国々が、戦争について、いわくつきの民族的な旗幟を持ち続けるとしたら、日本以上に多くの国々がこれらを告発するであろう」
(シンガポール「ストレーツ・タイムズ」三月九日付社説、和仁廉夫訳)。
「被侵略国の心ある住民の不信の種」は、日本が日の丸・君が代を「捨て去る」ことにあるのではなく、それらを「持ち続ける」こと、あまつさえ法制化をもしようとすることにある。・・
【イタリアは一九四六年、西ドイツは一九四九年、いちはやく国旗と国歌を変更している。】
そのことが「被侵略国の心ある住民の不信の種」になったという話は聞かない。
ドイツ・イタリアとも、周辺諸国との和解を進めてEUの主要メンバーとなったし、ドイツの戦後処理が日本のそれに比べて進んでおり、国際的評価も高いことは加藤氏も認めるだろう。
・・
☆象徴天皇制という問題
第二に、加藤氏の「君が代」に関する提案は、石原慎太郎東京都知事にならった「曲はそのままで歌詞を変える」という中途半端なものであるため、
【象徴天皇制との関係があいまいである。】
・・
象徴天皇制をめぐるあいまいさとはなにか。加藤氏の提案を少し詳しく見てみよう。
「六月十一日に出された政府統一見解では、君が代の〈君〉とは象徴天皇のことで、戦前の〈主
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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