益岡賢さんのHPから
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/03/25 22:36 投稿番号: [67810 / 118550]
★基準線と石油とイラク侵略
益岡 賢
2005年3月21日
基準線
不思議なことに、旧ソ連には政治犯や政治囚は一人もいなかった。理由は単純で、
「政治犯」や「政治囚」という概念が法的にも、またソ連邦の公式報道と公式言説の中にも、存在しなかったためである。
2002年9月、インド、デリーの交通局は、自動車を使っている人々が信号待ちのとき「物乞い」に物をほどこすことを禁じた。慈善行為を施した運転手には罰金を科せされることとなった。
政府は、一つの政令によって、人々の寛容と慈善心を犯罪に変えた。これら「物乞い」は(その多くが孤児や遺棄された子どもたちだった)、信号待ちの車に雑誌やガムを売ったりする「犯罪」を捨て、売春や盗みや麻薬取引を始めた。
これらは、言葉が先か概念が先かとか、経験的対象の存在が先か認識のカテゴリーが先かといった抽象的な議論への導入としてではなく、
もっと現実的かつ世俗的に、私たちが生きている世界で、経験的対象の様式は変わらないのに(簡単にいうとこれまで通り生活していたのに)、突如としてそうした対象/生活の一部ないし全部が
「犯罪」とされてしまうことがあること、あるいは逆に、犯罪行為が犯罪とされなくなることがあることの例である。
言葉の配置を変えることによるこうした魔術の実現には、その言葉が法や支配的言説のように強制的暴力を伴うか閉鎖的な社会のかなりの部分を覆うかしていることが要求される。
法としての言葉を変えることでこうした魔術を行うためには、独裁的な政治体制のもとでなければ、
【まず法が適用される社会の成員の間にこの魔術を魔術と思わせない雰囲気を作っておくことが必要になる。】
・・・・
けれどもこのNSC文書は、チェイニーのタスクフォースはこれら二つの政策領域の「融合」を検討することになっていると述べている。
【すなわち、「無法国家に対する運用上の政策の見直し」と「新たなおよび既存の油田とガス田の獲得に関する行動」の二つの融合。】
これは、チェイニーのタスクフォースが、エネルギー政策が通常扱う領域を超えて、恐らくはイラクを含むだろう「無法」国家にある石油とガス資源をどうやって「獲得」するかに関する地政学的問題を検討していたことを示唆している。
そしてこのチェイニーのタスクフォースが2001年春の会合で回覧した地図は、イラクをブロックに分割し、石油パイプラインや油田の位置を詳細に示している。また同時に回覧された資料は、サダム・フセイン政権と各国のイラク油田開発計画の状況をリストしている。
ところで、我々は、2003年春、ブッシュ政権がイラク侵略を検討していたとき、その頭にあったのは、イラクの大量破壊兵器から世界の人々を解放し(米国大統領ジョージ・W・ブッシュはテレビ演説で、爆弾を投下しているのは「世界をより平和なものにするためである」と説明していた)、
イラクの人々に自由と民主主義をもたらすことであり、
【未開発の巨大な油田を制圧することなど全く頭になかったと信じなくてはならないことになっている。 】
そしてそれに基づいて「公共」の議論を展開しなくてはならないことにもなっているらしく、
相変わらず、大手メディアでは、「大量破壊兵器がなかった」といった情報はときに耳にしても、ここで述べてきたような情報は体系的には聞く機会も読む機会もない。
日本では、ポルノDVDや宅配ピザのビラ、日本経済新聞の申し込みビラなどがマンションに多数投げ込まれている中、
【反戦チラシを入れたり日の丸君が代強制に反対するビラを学校周辺で撒いたことに対してねらい打ちの逮捕が続いている。】
【米軍が殺した相手がテロリストなのは米軍が殺したという事実が証明している、
日本の警察に逮捕された人々が犯罪者なのは逮捕されたという事実が何よりも雄弁に語っている、等々というカフカイスクな全体主義がますます跋扈している。 】
我々の社会が全体主義に包まれ、それが我々に跳ね返ってくる日は近い、などというしたり顔の発言をするかわりに、一つ一つのことについて、全体との関係を失わずに判断し、人に説明し、介入していこう。
例えば、圧倒的な大手メディアの前で我々は無力なわけではない。メディアは視聴者の声を意外に気にするし、それを考慮しもするし、それによって個別の志ある記者たちが勇気づけられもする。
良い記事をきちんと讃えるfa x を出す、ひどい記事には反対の意を表明する電話をするなどといった一つ一つの日常でもできる行為は、それなりの一歩となる(疲れるけど)。
益岡 賢
2005年3月21日
基準線
不思議なことに、旧ソ連には政治犯や政治囚は一人もいなかった。理由は単純で、
「政治犯」や「政治囚」という概念が法的にも、またソ連邦の公式報道と公式言説の中にも、存在しなかったためである。
2002年9月、インド、デリーの交通局は、自動車を使っている人々が信号待ちのとき「物乞い」に物をほどこすことを禁じた。慈善行為を施した運転手には罰金を科せされることとなった。
政府は、一つの政令によって、人々の寛容と慈善心を犯罪に変えた。これら「物乞い」は(その多くが孤児や遺棄された子どもたちだった)、信号待ちの車に雑誌やガムを売ったりする「犯罪」を捨て、売春や盗みや麻薬取引を始めた。
これらは、言葉が先か概念が先かとか、経験的対象の存在が先か認識のカテゴリーが先かといった抽象的な議論への導入としてではなく、
もっと現実的かつ世俗的に、私たちが生きている世界で、経験的対象の様式は変わらないのに(簡単にいうとこれまで通り生活していたのに)、突如としてそうした対象/生活の一部ないし全部が
「犯罪」とされてしまうことがあること、あるいは逆に、犯罪行為が犯罪とされなくなることがあることの例である。
言葉の配置を変えることによるこうした魔術の実現には、その言葉が法や支配的言説のように強制的暴力を伴うか閉鎖的な社会のかなりの部分を覆うかしていることが要求される。
法としての言葉を変えることでこうした魔術を行うためには、独裁的な政治体制のもとでなければ、
【まず法が適用される社会の成員の間にこの魔術を魔術と思わせない雰囲気を作っておくことが必要になる。】
・・・・
けれどもこのNSC文書は、チェイニーのタスクフォースはこれら二つの政策領域の「融合」を検討することになっていると述べている。
【すなわち、「無法国家に対する運用上の政策の見直し」と「新たなおよび既存の油田とガス田の獲得に関する行動」の二つの融合。】
これは、チェイニーのタスクフォースが、エネルギー政策が通常扱う領域を超えて、恐らくはイラクを含むだろう「無法」国家にある石油とガス資源をどうやって「獲得」するかに関する地政学的問題を検討していたことを示唆している。
そしてこのチェイニーのタスクフォースが2001年春の会合で回覧した地図は、イラクをブロックに分割し、石油パイプラインや油田の位置を詳細に示している。また同時に回覧された資料は、サダム・フセイン政権と各国のイラク油田開発計画の状況をリストしている。
ところで、我々は、2003年春、ブッシュ政権がイラク侵略を検討していたとき、その頭にあったのは、イラクの大量破壊兵器から世界の人々を解放し(米国大統領ジョージ・W・ブッシュはテレビ演説で、爆弾を投下しているのは「世界をより平和なものにするためである」と説明していた)、
イラクの人々に自由と民主主義をもたらすことであり、
【未開発の巨大な油田を制圧することなど全く頭になかったと信じなくてはならないことになっている。 】
そしてそれに基づいて「公共」の議論を展開しなくてはならないことにもなっているらしく、
相変わらず、大手メディアでは、「大量破壊兵器がなかった」といった情報はときに耳にしても、ここで述べてきたような情報は体系的には聞く機会も読む機会もない。
日本では、ポルノDVDや宅配ピザのビラ、日本経済新聞の申し込みビラなどがマンションに多数投げ込まれている中、
【反戦チラシを入れたり日の丸君が代強制に反対するビラを学校周辺で撒いたことに対してねらい打ちの逮捕が続いている。】
【米軍が殺した相手がテロリストなのは米軍が殺したという事実が証明している、
日本の警察に逮捕された人々が犯罪者なのは逮捕されたという事実が何よりも雄弁に語っている、等々というカフカイスクな全体主義がますます跋扈している。 】
我々の社会が全体主義に包まれ、それが我々に跳ね返ってくる日は近い、などというしたり顔の発言をするかわりに、一つ一つのことについて、全体との関係を失わずに判断し、人に説明し、介入していこう。
例えば、圧倒的な大手メディアの前で我々は無力なわけではない。メディアは視聴者の声を意外に気にするし、それを考慮しもするし、それによって個別の志ある記者たちが勇気づけられもする。
良い記事をきちんと讃えるfa x を出す、ひどい記事には反対の意を表明する電話をするなどといった一つ一つの日常でもできる行為は、それなりの一歩となる(疲れるけど)。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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