それ、発言そのものでないですよ
投稿者: GivingTree 投稿日時: 2005/02/14 11:39 投稿番号: [64702 / 118550]
アフラさん、貴方の“引用元”をよく読みましょう。
「最後には、日本人の子供の顔を見ると気分が悪くなる、
こんな子供の為に何かしようと思っているような連中はバカだ、とまで(概略だが)言ってのけたのだった。 」
この文章には多分に筆者の主観が入っています。実際にそうい言ったかどうか、文脈は違うかもしれない。筆者がわざわざ「概略」としているのは、そこに自分の主観が入っていることを認めつつ、どこまでが本当に彼女の言葉でどこからが自分の解釈かを曖昧にしているということでもあります。
俺は一回しか松井さん本人と会ったことないし、名刺をもらっており、VAWW-NETの住所も把握していますが、VAWW-NETの人間と関わったのはそれっきりで、後は別の活動でアジア女性資料センターの方々(松井さんの後任など)とお会いしたことがあるきりでした。だから、松井さんは「良い人」だ「悪い人」だ言い切れる確信は自分の中にはありません。ただ、彼女という人柄に触れるエピソードとして、彼女が高齢で持病のある方であるにも関わらず「自分の足で活動する方」だったことを、マスコミやNGOの広報などからは報じられない、自分個人の経験から紹介しただけなんです。
性善説/性悪説で、いち個人をかっさばくなんて、滑稽だと思いませんか?人にはそれぞれ、さまざまな面がありますよ。それは、社会運動家にしたって、反戦活動家にしたって同じです。なのに、貴方たちはそういうヒューマンな部分を忘れ、活動家はすべて「聖人君子」であれのように言う。それどころは「市民とはこうあるべきではないか」などと、ロクに市民として社会に貢献する活動を行っていない(行っていたらNGOなどの組織の成り立ちをわかっているはずの)人間がのたまう。笑止ですよ。
俺はいつも不思議に思っていたことがあります。
国連などについてもそうですが、不思議なのは、国連やNGOなどの組織を悪くいう人に限って、「国連やNGOはこうあるべきではないか」という考えを持っている。まるで、実際は理想的な国連やNGOを求める考えが心の内にあるかのような物言いです。ならばなぜ「否定」せずにただ「改善」を求める姿勢を示さないのか?
俺はそれは責任回避の心理にあるのではないかと、最近思い始めました。つまり、世間一般で批判されたり、スキャンダルが明るみになっている組織などについて、「改善」を表明してもそれは「支持している」ように捉えられてしまう。そうしたら、なぜ「支持している」かのように振舞うのか、説明を求められる。でもその説明責任を果たせない。自分の中に「もっとこうであれば」という思いが隠されていることを、正直に表面に出すことができないのが、国連やNGOなどの組織の中心人物に対するいわれのない誹謗中傷へと姿を変えて噴出しているのではないかということです。そしてその隠された期待が、代表的な人物を「聖人君子のようであるべき」だとする一種の神話化現象のようなものとなって、形を現すのではないか。そんな風に感じています。
そこで、社会に貢献せんとして立ち上げられた民間・国際・市民組織の代表にそうした「高潔さ」を求めるアフラさんにも問いたいと思います。
1)貴方はなぜ、松井さんなどの運動の代表者にそのような「高潔さ」を求めるのですか?
2)貴方自身はそのような運動に身を投じておられ、または職場・家庭などでどのように「高潔」に振舞っているんですか?
3)貴方自身が自ら「高潔」だと思うそれらの振る舞いについて、貴方の周辺の評価は貴方のそれと一致していますか?一致していない場合、どのような評価を得ていますか?
これに答えられれば、貴方は偽善を語っていない、運動家を批判するに値する高潔な精神の持ち主という一つの指標となるでしょう。どうぞお答えください。
「最後には、日本人の子供の顔を見ると気分が悪くなる、
こんな子供の為に何かしようと思っているような連中はバカだ、とまで(概略だが)言ってのけたのだった。 」
この文章には多分に筆者の主観が入っています。実際にそうい言ったかどうか、文脈は違うかもしれない。筆者がわざわざ「概略」としているのは、そこに自分の主観が入っていることを認めつつ、どこまでが本当に彼女の言葉でどこからが自分の解釈かを曖昧にしているということでもあります。
俺は一回しか松井さん本人と会ったことないし、名刺をもらっており、VAWW-NETの住所も把握していますが、VAWW-NETの人間と関わったのはそれっきりで、後は別の活動でアジア女性資料センターの方々(松井さんの後任など)とお会いしたことがあるきりでした。だから、松井さんは「良い人」だ「悪い人」だ言い切れる確信は自分の中にはありません。ただ、彼女という人柄に触れるエピソードとして、彼女が高齢で持病のある方であるにも関わらず「自分の足で活動する方」だったことを、マスコミやNGOの広報などからは報じられない、自分個人の経験から紹介しただけなんです。
性善説/性悪説で、いち個人をかっさばくなんて、滑稽だと思いませんか?人にはそれぞれ、さまざまな面がありますよ。それは、社会運動家にしたって、反戦活動家にしたって同じです。なのに、貴方たちはそういうヒューマンな部分を忘れ、活動家はすべて「聖人君子」であれのように言う。それどころは「市民とはこうあるべきではないか」などと、ロクに市民として社会に貢献する活動を行っていない(行っていたらNGOなどの組織の成り立ちをわかっているはずの)人間がのたまう。笑止ですよ。
俺はいつも不思議に思っていたことがあります。
国連などについてもそうですが、不思議なのは、国連やNGOなどの組織を悪くいう人に限って、「国連やNGOはこうあるべきではないか」という考えを持っている。まるで、実際は理想的な国連やNGOを求める考えが心の内にあるかのような物言いです。ならばなぜ「否定」せずにただ「改善」を求める姿勢を示さないのか?
俺はそれは責任回避の心理にあるのではないかと、最近思い始めました。つまり、世間一般で批判されたり、スキャンダルが明るみになっている組織などについて、「改善」を表明してもそれは「支持している」ように捉えられてしまう。そうしたら、なぜ「支持している」かのように振舞うのか、説明を求められる。でもその説明責任を果たせない。自分の中に「もっとこうであれば」という思いが隠されていることを、正直に表面に出すことができないのが、国連やNGOなどの組織の中心人物に対するいわれのない誹謗中傷へと姿を変えて噴出しているのではないかということです。そしてその隠された期待が、代表的な人物を「聖人君子のようであるべき」だとする一種の神話化現象のようなものとなって、形を現すのではないか。そんな風に感じています。
そこで、社会に貢献せんとして立ち上げられた民間・国際・市民組織の代表にそうした「高潔さ」を求めるアフラさんにも問いたいと思います。
1)貴方はなぜ、松井さんなどの運動の代表者にそのような「高潔さ」を求めるのですか?
2)貴方自身はそのような運動に身を投じておられ、または職場・家庭などでどのように「高潔」に振舞っているんですか?
3)貴方自身が自ら「高潔」だと思うそれらの振る舞いについて、貴方の周辺の評価は貴方のそれと一致していますか?一致していない場合、どのような評価を得ていますか?
これに答えられれば、貴方は偽善を語っていない、運動家を批判するに値する高潔な精神の持ち主という一つの指標となるでしょう。どうぞお答えください。
これは メッセージ 64701 (ahuramazda1945 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/64702.html